第12話 花梨と雫

 紬が去った後の教室に、花梨はぽつんと佇んでいた。

 遠くに聞こえる部活動をする生徒たちの声も、廊下を通る人の声も、今はとにかく煩わしかった。


 追うに追えない、その感情は罪悪感だ。

 だがそれと同時に怒りもそこには確かにあった。


 どうして、と花梨は思うのだ。

 紡のことは勿論好きだ、だが紬と友達になったのは、彼が紡の兄弟だからじゃない。

 ただ単純に気が合って話が楽しい、そんな友達だからだ。

 だからこそ、彼女は味方をして欲しかった。


 勿論、紬にとって紡が大切な兄弟であることもわかっている、そして自分を大切な友人として見てくれているからこそ先程の言葉に怒ったのだろうということもわかっている。

 それがあの拒絶した背中だったのだと思うと、申し訳なかった。

 だけどやっぱり、同時に腹立たしいのだ。


(どうして、わかってくれないのよ!)


 わかってもらえないだろう、と花梨も思う。花梨自身、理不尽な気持ちだと思う部分があるからだ。

 それでも、彼女は誰かにわかって欲しかった。花梨自身、気持ちを持て余していてどうしていいかわからなくて、誰かに助けて欲しかったのだ。


 紡のことが好きで、だから自分を見てもらいたい。

 他のことばかり見ていないで、自分をもっと。もっと。もっと。

 それは自分が勝手なのか、責められるべきなのか。花梨にはわからない。


(だって、好きなの)


 好きだから、自分だけを見て欲しい。

 好きだから、もっと構って欲しい。

 それは、いけないことだろうか?


 紡にだって自分の時間が必要で、バイトだって進学のためだと知っている。

 だけど、もう少しだけでいいから花梨は自分を優先してくれる部分が欲しかったのだ。


「……花梨ちゃん?」


 泣きたかった。

 どうしていいのかわからなかった。


 恋なんてしなければ良かった。

 もっと楽しくて、キラキラしているだけのものだと思ったのに。


「花梨ちゃん!」


「……雫……」


 近くで声を掛けられて、ようやく花梨ははっとする。

 心配そうにしている雫に、花梨はなぜだか無性に泣きたくなって、しがみついた。

 唐突な彼女の行動に、雫はよろめいたが驚きながらもそれを拒否することなく、泣き始めた友人に対してどうしていいかわからないままにその背を摩ることしかできなかった。


 泣きながら、紡が好きなのに自分ばかりが追っかけているような気がする、紬に相談したけど相手にしてもらえなかった、わがままなのかもしれない、だけど紡に振り向いて欲しい、嫌われたくない、どうしたらいいのかわからない。

 そう言い続けた。

 紬に告げた愚痴と内容はそう変わらない。ただ思い切り泣いたか、自分の文句だけを伝えたかったか、それだけの違いでしかない。

 結局は花梨の中でわかっているのは、紡に嫌われたくないがもっと構って欲しくて、口うるさくしたことで紡がめんどうくさそうな態度を少しでも見たことに傷ついた、そういうことなのだ。


 紡は花梨ではないのだから、当然それは理解できない。

 話を聞いている雫にも、共感できることはあっても理解はできない。


 だが花梨がして欲しいのは、理解だった。


「わかってほしい、だけなのに……!!」


「花梨ちゃん……」


「どうして!? 部活なんてもうなくてもいいじゃん、あたしともっと出かけてくれても、バイトのない時くらい相手してくれても、電話出てくれたって……!」


 四六時中とは言わない。

 ほんの少しで良い。いつもよりも、少しだけ。


 でもその少しだけ、が肥大していっていることを、花梨も理解していた。

 そしてそれを止めることができなくて、とうとう紡と言い合いにもなったのだ。そうして生まれるのが、理解してくれないことに対する怒りと、そして自分はこんなに想っているのに紡は違うのかという不安と、そして彼に見捨てられるのではないかという恐怖だったのだ。


「ただ、あたしは、紡がっ、好きっ、な、だけ……なの、にぃ……!!」


 ボロボロ涙を零して訴えるその気持ちは、切々としていたよく伝わった。

 友人である雫で伝わるのだからおそらく紡にはもっと伝わっていたはずだ。


(……花梨ちゃん……)


 温度差、というやつなのかもしれないと雫は思うが口にはしない。

 それでも、花梨の背を摩りながら思うのだ。

 恋はままならない。

 同じくらいの『好き』なんてものは、ないんだなぁと彼女は思う。


 だが花梨のように言葉にしなければ伝わることはないし、そしてその反面、花梨のように言葉と行動に出てこうして傷つくこともあるのだ。だから、ままならないものなのだ。

 

 それでも人は恋をする。


「花梨ちゃん、大丈夫……?」


「うん……」


 ぐすぐすとまだ涙をこぼしながらも、少しだけ落ち着いた花梨が「ありがとう」と小さな声で雫に礼を言った。


「紬にも、悪いこと、しちゃった……」


 わかっている。本当は、わかっていた。

 紬が言ったように、紡が好きでもないやつに時間を割くなんて、ない。

 自分のために頑張って貯めているバイト代からプレゼントをしてくれたり、デートをしてくれたり、愛情を感じていないわけじゃない。


 ただ、好きっていう気持ちが大きくなって、どうすることもできなくなっただけなのだ。

 そばにいたい、ずっといたい。だけどそれじゃあ何もできない。

 何もできないけれど、一緒に居たい。他の何も目に入れたくないし考えたくない。

 

 花梨も、苦しい。だから、誰かに助けて欲しかった。

 恋なんて、しなければ良かったのか。

 それは、違うなと思う。


「あたしは、紡が、好き」


「うん」


「紡と付き合えて、幸せ」


「うん」


「……でも、これって、ずっと続くの、かなって思ったら」


 高校にいる間はいい。

 学校に来れば会えるのだし、空いた時間は共に過ごせる。


 だけれど、彼らはもう三年生。進路について、もう各自が具体的に道を見つけている。

 そうなれば、それぞれの道に進んだ先はどうなるのか。

 未来のことなど、誰にもわからない。それが花梨には怖いのだ。


 楽しくてキラキラしていて、大切なこの恋心は離れてしまったらどうなるのだろう?

 離れてしまわないためには、どうしたらいいのだろう?


 わからないことは、不安になる。

 不安だから、安心させて欲しい。そしてこの気持ちを理解して欲しいと思うのだ。


 それが一方的過ぎて、紡の方にも不安があるとわかっているのに自分のことばかり押し付けていることは彼女も自覚している。というよりも、自覚した。

 自覚せざるを得なかった。


 それでも不安が消えるわけではないのだ。


「……帰ろ、花梨ちゃん」


「……うん」


 まるで小さな子供のように。

 雫に手を引かれながら花梨は夕焼けの空を、見上げた。

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