第10話 変わらない、変わっていく。

 紬と紡が、揃って帰宅するためにバスに乗る。

 当然、同じように下校する生徒でバスはそれなりに賑わっていた。


 雫と花梨が仲良く徒歩で駅に向かう姿が車中から見えて、なんとなく二人ともそれを視線で追ったが何かを言うことはなかった。


「それでお前、進路結局どうすんだよ」


「あー、それなー。紬は?」


「俺は初めに出したのと変わんねえよ、専門一択」


「……でもそれって親父反対したまんまだろ、どうすんだよそっち」


「まあ、あー……それはそれ。後で考える」


 紬たちの家は、自営業だ。

 車やバイクの整備工場のために、毎日のようにオイル塗れになった父親を彼らはよく見ていた。

 良い稼ぎとは言い難いようで、年中無休で朝から晩まで働く父親に幼い頃は不満だって持ったものだ。

 クラスメイトがやれ海外だ、有名なリゾート地だと長期休暇の度に土産を渡してくるというのに、自分たちはせいぜいそう遠くないところに住まう祖父母の家に行ってそれなりに観光地化している地元のお菓子を買うくらいだったのだから。

 それでも、ある程度落ち着いてみれば自分たちに何不自由させないようにしてくれている父親の背中は、頼もしいものとも見えていた。


 だから、紬は高校を卒業したら専門学校に行くつもりでいる。

 本当は高校から専門学校に行きたかったが、それは父親に反対されたのだ。

 別段自分の工場を継ぐ必要はないんだから、好きなようにしろ……と言ったその渋面を、二人ともよく覚えている。


 紡はまだ決めかねているようだった。

 だが、紬は知っている。決めかねている、と言いながら本当はただ言い出せないことを。


「……金のこと気にして言い出せない方が、親父、怖いぜ多分」


「っあーーーーーーーー!! なんでンなこと言うんだよテメェ!」


「ウジウジ悩んでっからだよばぁか」


 紬は知っている。紡が、本当は服飾系の専門学校に通いたいことを。

 だが、家計を心配して言い出せないことも、知っている。その分バイトの給料を、貯金していることも。


「このカッコつけ野郎が」


「うるせぇな、このご時世に実家継ごうとしてるお前に言われたくねーわ!」


 公共の場であることから小さめの声で互いを罵り合って、ぷっと笑い合う。

 それもいつものこと、だ。


 だがもう彼らも高校三年生、すでに二学期で進路はほぼ決まってなければいけない。

 教師からは親御さんを呼ぶかまで言われているのを二人とも今説得中だから待ってくれと食い下がっているところなのだ。


「あーあ、時間、止まらねえかなあ」


「アホか、そんな都合のいいこたぁ起きねえよ」


 起きるんだったらとっくの昔に、やっている。

 そう言いそうになったのを紬はぐっと飲み込んだ。


(花梨が、お前に告白する前に戻れたら……なんてどれだけ俺が考えたと思ってんだこの野郎)


 言えない悪態を飲み込んで、紬は窓の外を見る。

 いつもの光景でなんの変哲もない民家がただそこにはあって、行き交う人がいて、信号があればバスが止まる。

 いつも通りの光景だがいつもどおり、それは時間がちゃんと進んでいるということなのだ。

 

 変わっていない、のではなくて。

 日々変わっているそれを、変わっている自分たちが受け入れているだけ、なのだ。


 そう思うようになったのは、成長したからなのか。

 紬にはよくわからなかった。


「今度さー」


「ん?」


「勉強会しようぜってなったじゃん」


「ああ、なったな。紡の赤点回避のために」


「うっせ。それでそれどこでやんだよ?」


「……図書館?」


「こないだ図書館は勉強するところじゃねーって貼り紙出てたって話題あったろ」


「あ、そっか」


 だとすると選択肢は一気に狭まる。

 誰かの自宅、これは却下だ。正直紬と紡の部屋で四人はきつい。

 かといって女子たちの家というのは色々問題がある気がする。


「……じゃあしょうがねーから放課後の学校?」


「ええー! 青春台無し!!」


「なんだそりゃ。そもそもてめぇが赤点取りそうなのが問題なんだっつーの!」


「オレのバイトぉ……」


「赤点取ったらどっちにしろ親父とお袋がバイト続けさせるわけねーだろ、諦めろこのバカ紡」


「くっそ……双子で同じ顔してやがんのになんでお前は赤点とらねぇんだよ……ずりぃ!」


「ずるくねえ。ちゃんと授業受けとけこのバカ。あとテスト前くらい勉強しろこのバカ」


「バカって言いすぎじゃね!?」


「じゃあファミレスにすっか」


「しょーがねーな、それが無難だな」


 学生たちでにぎわうファミレスならば、多少の勉強会くらい許されるだろう。

 何せ金のない学生なもので、ドリンクバーとポテトくらいしか頼まないこともしばしばだ。ついでにいえば近所のおばちゃんたちもパートで働いていて見かけたら自分たちの親のところにも話が行くかもしれない。

 狭い地域だ、まあそれくらいはしょうがない。


「あっ、カラオケもいいんじゃね!?」


「ぜってぇお前が遊びだすからだめだ。却下」


 いいこと思いついた!

 そう言わんばかりの紡の言葉を却下して、紬はふと手元のケータイを見る。


 SNSのメッセージが一件、花梨からだった。


『明日、紡がバイトなので放課後相談にのってくれない?』


「……」


 紬は、少しだけ考える。

 自分たちが降りる停留所まで、あと少し。


『ここじゃだめなのかよ』


『うん、だめ』


『あんま時間とれない』


『それでいいよ』


 ぽこん、ぽこん。

 軽快な音とは真逆に、気持ちはどんどん暗いものに沈んでいく。


「……紬?」


「おう」


「なんかあったか?」


「いや、大したことじゃねえよ」


 紬がカバンの中へとケータイを乱雑に放り込む。

 それはいつものままなのに、普段と違うものを感じ取った紡だったが何も言葉は出なかった。


(……『ありがと』……じゃねえよ、くそ)


 一体全体何を相談したいのか。

 言われなくてもわかっている、きっと紡の事だろう。


 クラスメイト達が言っていた、雫が言っていた、時々けんかをしていた事なのかもしれない。愚痴なのか、惚気なのか、どちらにしても最悪だ。

 花梨に対して何も思えていなければ、兄弟の彼女ということで親身にもなれただろう。

 紡に対して何も思っていないければ、友人という立場からやはり親身になっただろう。


 どちらにも、特別な感情があるなら。

 それは、自分にとっては苦しいばかり。


 わかっているにの、紬は目を背けることができなかった。

 それまでの関係すべてを、壊してしまうのが怖くて。

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