第8話 時には少し、穏やかに

 授業は、退屈だ。

 いずれ社会に出た時に知らないと恥をかく、そう大人は言うけれどよくわからない。

 それでも、きっとそれはただ切って捨てるには勿体ない、そういうものなんだろうなあと紬は思う。

 だけど、退屈は退屈なのでさぼったりよそ見をしたり、時には居眠りをしたりとまあそういう風にして過ごすのだけれど。

 見つかれば叱られるし、時には罰として宿題も増やされるのが厄介ではあるがそれは自業自得なので納得済みだ。


 だが紬のそういう部分が高校生らしくないんだとクラスメイトは彼を笑う。

 

 それに対して、紬はただ首を傾げるだけだ。

 団体行動を学ぶ、大人しく授業を受けることを教え込んで縛り付ける方法を学ばせる。

 そういったもんだろうし、それはそれで悪くない。そう紬は思うだけだ。

 紡に言わせればそれは捻くれた考え方だと笑われたものだが、別に気にしない。


 だから今日も居眠りで、幸いにも指されないままに終わった授業の後で欠伸をかみ殺して伸びをしていると短い休み時間だからと言わんばかりに急いで近寄って来た雫がいた。

 その様子がまるで小動物のようで、面白かったのだけれども。

 紬は流石にそれを口にしたら彼女の不興を買うのだろうと予想して、口を噤んだ。


「つ、紬くん!」


「ん」


「あ、あのね、今日は、お昼大丈夫?」


「おう、……昨日はたまたま調子が悪かっただけだからよ、そんな病弱みたいに心配しなくていいんだぜ」


「えっ、そ、そんなつもりはないよ!! でも……」


「雫?」


「あんまり、健康は、過信……しない方が良いよ。ほら、いつなにがあるかわかんないからさ!」


「……」


 視線を落として、笑った雫の顔に紬はしまった、と思う。

 目の前の彼女が穏やかに笑って、一緒に登校して、先程なんて体育で走っている姿を見掛けたものだからごくごく当たり前のこととして会話をしていた。

 だけれど、雫は。

 つい最近まで、学校に来れない程だったのだ。


 仲が良くなっていたから気にしていなかった、というよりは。

 特に意識していなかった。

 それはつまり、無関心にも似たもので、紬は悪いことをしたと思う。


 だからと言って、あえてこのことを謝罪すれば忘れていたと言っているようなもので、それはそれで彼女からしたら嬉しくないのではないだろうか?

 それとも忘れられるほどに元気になれたのだと喜ぶだろうか?


 どちらにしても、自分が無神経だったという事実は消えないので紬としては悩みどころだ。


「……あとでジュース奢るわ」


「えっ!? そ、そんな悪いよ。別に奢ってもらうようなこと……」


「快癒祝いってやつだよ。……まあ俺ぁ、よくわかってねえけど」


「あ、……ありがとう」


 祝いだと言われて、ちょっと目を丸くした雫がゆるゆるとその目元を和らげて、はにかむように笑った。

 その表情に、紬は瞬きする。


(当たり前だけど)


 嬉しそうに笑った雫。

 怒ったという花梨。

 彼女たちを突っぱねたという紡。


(俺は、なんも知らねえんだな)


 花梨とはそれなりに付き合いは長いし、食べ物の好き嫌いだとかそういったものは知っている。それでも、紡が好きだという彼女のことは知らなかった。

 

 紡にいたっては昨日ネットでアダルトなやつを見ようとして変な警告画面が出てきて大慌てでパソコンを閉じた後にきょろきょろ挙動不審な行動をしていたことだって知っている。結局紬がその挙動不審っぷりを見かねて話を聞いて、そういうサイトは危ないから止めろと何度も言ったろうがという説教時間になったのだけれども。


 雫については、何も知らない。

 ただ、病気で学校に来ていなかった。それだけだ。


 最近の自分は、自分の事で手いっぱいだったなと紬は思う。

 下手をすると、大切な人たち全員を大事だと思う反面、その嬉しそうな声も楽しそうな表情も、不快でたまらなかったのだ。

 そんな風に思う自分が苦しくて、日常が崩れて行くその音が聞きたくなくて耳を塞いでいたのだ。


 そしてそれを認めてしまうのは、あまりにも格好悪いと思っていたのだ。今も思っている。


(面倒くさい)


 誰が、とか。

 どうして、ではなくて。

 自分がとてつもなく面倒くさい。


 ありとあらゆることに納得できないくせに、自分が望むようにならなきゃ嫌な癖に、それを格好悪いと見栄を張って苦しむだなんて理解に苦しむのだ。

 自分の事なのにと思うが、それが紬の現状だ。


 それでもこうしてそう思えるようになっただけ、少しは気持ちが落ち着いたのかもしれないと思う。

 あの手紙は関係なしに、少しずつ紡と花梨が並んで歩く姿を視界に入れても大丈夫になったように。苦しくて、時には目を逸らしていたけれども。

 現実が歪んで、憎らしくて愛しい。自分のものにならなくてもいい。

 それが、どれだけ虚しくても。


 恋は、恋で、そして猛毒だ。


(いつか、この恋を忘れられる日なんて来るんだろうか)


 次の教科の担当教師がやってきて、雫が自分の席に戻る。

 そしていつものようにチャイムが鳴って、紬もぼんやりと黒板を見る。

 教師の間延びした声が、先程居眠りをしたばかりだというのに眠気を誘う。


(あー、くそ、腹減ったなぁ)


 昼休みが、少しだけ待ち遠しい。

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