第7話 綺麗な言葉と、猛毒

 翌日、いつものように登校した紬と紡がバスを降りれば花梨の姿があった。

 つきりと胸がまた痛んだ紬だったが、今日は花梨の横に雫の姿があったことに無意識に詰めていた息を吐き出した。


「……おはよ、紬くん。あの、もう具合大丈夫?」


「ああ、……昨日は悪かった」


「ううん! 大丈夫だよ!!」


 ほっとした様子で笑った雫が、ごく自然に紬の隣を歩く。

 前には、紡と花梨の姿があることに紬はそっと目を細めた。それでも隣にいる雫が声を掛けてくれたり、そちらに注意を向けられることで随分と気が紛れることを知った。


(……俺が、自分で自分の首絞めてたのか?)


 二人が並んで歩くから、当たり前のように二人の一歩後ろを歩くようになったのは特に意識してのことじゃない。

 それでも紬はそうしたことで、仲睦まじい彼らを視界に入れて自分が勝手に苦しい思いをしていたのかもしれないとここに至って気付いたのだ。

 今までは、二人の姿に『どうして』とばかりの感情と、胸を刺すような痛みと、どろどろした何かが渦巻くような感覚ばかりだった紬にとっては目の前が開けたような気分だ。


 それでも、視界に入れるたびにズキズキと胸が痛むのは変わらないのだけれども。

 花梨の幸せそうな笑みを見るたびに、そうしたのが自分ではないという現実に悔しくもなるし、そうできている紡が羨ましくてたまらない。


「紬くん?」


「あ? ああ……」


「花梨ちゃんたち、仲直りしたみたいで良かったね」


「え?」


「えっ?」


「喧嘩したのか、あいつら」


 紬が目を丸くして呟いたことに、雫がばつの悪そうな顔をする。

 何気ない会話のつもりだったのだろうし、紬が彼らをじっと見ていたことから出た話題だったのだろうが雫としては余計なことを言ってしまった、そういう表情だ。

 だが言ってしまったものは仕方ない、と彼女は「花梨ちゃんには、内緒ね? 仲直りしたみたいだしね?」と念を押した上で言葉を続けた。


「昨日ね、紡くんが一緒に帰れないって言って、部活でもバイトでもないのにどうしてって花梨ちゃん、食い下がったの」


「……俺のせいか」


「ち、違うよ。花梨ちゃんもね、紬くんが目を覚ますまで待ってたいって言ったの。心配だからって……わ、わたしも待つって言ったんだけどね?」


「……」


「でも紡くんがどうしてもだめだって言うもんだから、花梨ちゃんが怒っちゃって」


「……そっか」


 紬は雫の説明に、どんな顔をして良いのかわからず視線をただ、落とした。

 

 紡がどうしてそんなことを言ったのか、それは花梨をとられないようにという嫉妬だったのか。或いは、双子であるがゆえに聡い互いの感情に、紬の想いに、彼が気付いたのだとしたら?

 花梨はどうして待つなんて言ったのか。紡に対して良いところを見せようと思ったのか、本当に心配だったのか、それとも……。そう思ったところで紬は自分を最低だと心の内で罵った。


 無言で歩き続けて、スニーカーから上履きへ。

 ごくごく当たり前のその行動も、ただ無言で視線も合わせないとなると雫からすればどうしてよいのかわからず彼のそばでオロオロしている。


「あ、あの……紬くん、あのね、えっと……?」


「気にすんな」


「えっ」


「……紡はさ、多分俺がいつ起きるかわかんねえのに付き合わせるのが悪いって思ったんだよ。花梨だってその場は怒ったんだろうけど落ち着いたらわかんねぇやつじゃないだろ」


「う、うん」


「だから、もうこの話題は俺も聞かない。それでいいんだろ?」


「……うん!」


「悪いな、気を使わせて」


「え、そ、そんなことないよ。わたし、なんにもわかってなかったから」


 雫がぱたぱたと手を振って否定するが、それに紬は曖昧に笑って自分の席に向かった。

 ちょっとだけ視界が開けた気がした。

 だが、それはあくまで『ちょっとだけ』だった。


 紬の中で、彼女から聞いた話は色んな感情をまた揺り動かしたのだ。

 

 紡のこと、花梨のこと。

 好きだと思うし大事だと思うのに、羨ましい妬ましい、どうしてよいのかわからない真黒の、説明も名前もつけられないような感情がぐるぐるする。


 その上で思い出す。

 鞄に、いれっぱなしの封筒をそっと教科書を出すふりをして、確認する。


 若干くたびれた白の封筒に指を這わせて、紬はそっと息を吐き出した。


(……あなたと、恋がしたいです)


 手紙をもらってから、まるで何もない。

 何もないのに、こんなにも影響がある。


 崩れて行く日常を改めて感じて、自分の中に諦めきれない気持ちがあること。

 それに恋に踊らされて間抜けなガキだということも紬は思い知っている。


 この綺麗な・・・言葉を書いた人間は、どんなものを自分に求めてこんな手紙を書いたのだろうかと思ったところで指先を戻した。


 そもそもが、自分に向けられた言葉かどうかも未だにはっきりしないのだ。

 ただ、この手紙のおかげで少しずつ変わらないでいることができない、その現状を僅かずつでも認められるような気がする。


 それでも、紬にとって恋は今でも猛毒だけれど。

 花梨への想いも、紡への感情も、全てが全部黒く染まることができたならどれだけ楽だろう、叫んで喚いて色んなものを投げ飛ばして、相手を傷つけたならばどれだけすっきりするだろう。


 それは、毒だ。

 自分が自分でなくなる、毒だ。

 それでも抗えない毒だ。

 きらきらしたものに見せて、少し間違えたら途端にこうやって日常を崩して、そして戻してくれないのだ。


 紬はもう知っている。

 恋を知らない、その前に戻れない。

 そのことを、毒を通して知ってしまったのだ。

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