第4話
結局会話だけで終わったログインの後、ぐっすり寝て昼前に起きた。そして慌ててスーツに着替えようとして、会社は辞めたんだったと思い出して途方に暮れる。
やけに綺麗になった室内で、何か趣味でも見つけてみるかと街に繰り出した。
この時間に歩くのなんて休み以外では久しぶりか。
忙しなく早足で歩く人々を横目に、香りに惹かれて喫茶店に入る。
ゲームへ再びログインするのは後の楽しみに取っておき、今は日常の楽しみを追求しよう。
「向井君、仕事以外でこっちに来るなんて珍しいね。今日は有給?」
「そんなところです」
以前勤めていた会社は輸入した商品を顧客に融通する卸業。
この喫茶店にも何回か顔を出し、豆から調度品に至るまで買っていただいた。店と客側の関係。
その関係もあって、その後の様子を確認するためにこうして足繁く通っていたのだが、配属場所が変わってからこっちに顔を出す時間的余裕が取れずにいたのだ。
「たまには仕事でこっちに来てよ。相談したい事があるんだよね」
「引き継ぎを頼んだ柏崎さんは?」
「あの人はダメダメ。向井君ほど商品にこだわりがないもの。額面通りの説明しかしないの。こっちが欲しいのはその手の情報じゃないのにね」
「すみません、うまく引き継ぎ出来ていなかったみたいで」
「君が謝ることじゃないさ。会社だから業績を出そうって言う気持ちはわかるんだよ。その点、君は業績そっちのけで面白い商品を持ってくるでしょ? ああ、この人俺のことわかってるなぁって。買う予定のない商品まで買わされちゃう。上手いなぁって思ってたんだよ。でも移動してからちっとも来てくれなくてさ」
いつものコーヒーを頼んでもないのに覚えてくれて出してくれるオーナーさんは、話好きで耳を傾けているだけで近況がこれでもかと入ってくる。職業柄、この店に足りないものを考えてしまうが。
今はもうその職についてないのだ。
けど性格上「お話くらいは聞きますよ?」と時間つぶしに付き合った。
このお店はマスター自らが焙煎してピッキングしている。
コーヒーに対してそこまでこだわるマスターだからこそ、調度品にも深いこだわりがあるのだ。
ここ最近の悩みは新規開拓について。
常連客が高齢化していくと、足が遠のいて平均売り上げが落ちていく。このお店のマスターは人柄がいいので多少歳を取っていても若い子達の受けはいい。
しかし若者が通うにはこの店の商品設定はお高い。
コーヒー一杯で1,000円はする。
それでも僕は満足してるので足を運ぶが、新規顧客獲得は難しい。
それでも足を運ばせるための店づくりを相談されて、僕はこうしてみてはどうだろうかと提案した。
要は1,000円出しても惜しくない付加価値をつければ良いのだ。
それがアニメとのコラボレーション。
それも喫茶と関係のあるコラボなら商品をそこまで変えずに店頭でコラボグッズを販売するくらいで良い。
このアイディアはするもしないもマスターの自由。
お金をかけるのならいくらでもアイディアは出てくるが、この店の抱える問題は割と深刻だ。
若年層の興味がどこに向いているかだけでも調べてみる価値はあるのではないかと促し、料金を払って店を後にした。
帰り際に豆を買い付けたので、後でミルで引いて久しぶりにコーヒーを淹れるか。
最近はそんな手間すら惜しんでいたからね。
ログイン前の楽しみが一つ増えて、次の店に顔を出す。
営業で足繁く顔を出していた商店街だったものだから、帰宅する頃には大荷物になっていた。
その分散財もしたが、嬉しい話も聞けたし満足である。
コーヒーを淹れながらケーキ屋で仕入れたモンブランを楽しみつつ、ネットを流し見する。
結局のところ、なんでまた僕が持て囃されてるのか理解できない部分が多いんだよなぁ。
うぐぐいすさんが僕のファンだからと、手放しで褒めたところで他のプレイヤーが賛同するだろうか?
そうこうしているうちにお目当ての話題がヒットする。
お、これか。なになに……ムーンライト伝説? うわ、なにこれ恥ずかしい。
思わず独り言が漏れる。
情報の拡散元は、多分うぐぐいすさんかなぁ?
所々に僕を称賛する言葉が綴られてるから、なんとなくだけど。
匿名掲示板の体を成してない気もするけど、なるほどね。
こう来たか。
彼女は僕の手記から全く違う名前を付与してプレイヤーにレシピを拡散していたのだ。
例えばポト蜜を応用した赤土の固形化を簡易粘土として発表。
他にも名前のつけようのない「すごくぬるぬるするクリーム」を潤滑油として応用。水車や風車をゲーム世界に展開させている。
彼女は強いて言えば僕の理解者。
僕の生み出した名前もない、用途の判明しないアイテム群に特定の価値をつけてまわった。
多分、それだけじゃない。
それ以上に望んでいた物を、僕のアイテムが彼女の救いになったのだ。
その時僕は丁度出払っていたので彼女の活躍は知らない。
当時を知る彼らは口を揃えて僕の追っかけだと言った。
「まったく、そういうのはガラじゃないんだけどな」
ちょうどコーヒーが最後の一滴まで出切ったので裏漉ししてから一口飲み込む。
うん、美味しい。
この苦味とモンブランの甘さが狂おしいほど好きなんだ。
もちろん苦いだけじゃなくフルーティな香りがよりモンブランを引き立てる。
こんな贅沢な休日、もう何年も送ってないや。
でも今度は、好きなだけ──
いや、次の働き口も見つけないとな。
ゲームにばかりかまけてばかりもいられない。
通院の終了日に目処が付き次第、復職も考えないとね。
貯金はあるけど、無職の期間が開けば開くほど再就職は難しくなるから大変だ。
その日はログインするまで大いにくつろいだ。
ログインするなり出迎えてくれる面々は、昨日出会った人達とはメンツが変わる。
それはそうだ。毎日毎日暇してる暇人なんていない。
五年前ですら学生だったのは僕くらいだもの。
「わー、ムーンライトさんお久しぶりです! こっち来てたんですねー」
「お久しぶりです茶豆さん。相変わらず木工に掛かりきりですか?」
「はい〜、こればかりは性分なので〜。あ、そうそう。ムーンライトさんに会ったら聞こうと思ってた事があったんですよ」
茶豆さんは子犬のような人懐っこさで僕の前まで来ると、尻尾をブンブン振っている姿を幻視するほど擦り寄ってきた。
「なんだろう? 僕で解決できる事だったらいいなぁ」
「実はですねぇ、このカラクリ細工の回転率を安定して回す潤滑油を探してまして。なんかいいアイテムないかなって」
「わぁ、これは大作ですね。で、この部分の圧と摩擦に耐えられる潤滑油ですか?」
「……はい」
軽く鑑定をかけたところ、その場所にかかる負荷は【摩擦*Ⅲ】【圧力*Ⅳ】と言ったところか。確かに既存に出回っている潤滑油でこれを安定させるものは見当たらないだろう。
「と、なると……五年前の記憶ですからうろ覚えで悪いですが。確かバームの実から絞った油とポト蜜を混ぜて濁ったクリームがその耐性を持っていたと思います。バームの実は今手持ちにないのでお作り出来ませんので申し訳ありません」
「いやー、もう作品見ただけで答え出せるのがやばいんですよ。他の人に聞いてもみんな頭傾げてうんうん唸ってしまうんで」
「そうですね。僕はその分余計なアイテムまで抱え込むから」
「性分ですものね?」
「ええ、お互いに気苦労ばかりが募ってしまいますよね」
茶豆さんは早速バームの実を競り落としに行った。
ポトの花は近所の花屋さんに売っているが、バームの実ともなれば冒険者が外から持ち込まない限りこの街で手に入れるのは難しい。
「早速お人好しが発動してるな、ムーン君」
「ニャッキさん。ええ、まあこれが性分なんで」
「うぐぐちゃんが探してたぞ? クランの中を案内したいんだってよ」
「わざわざメッセンジャーボーイを引き受けてくれたので?」
「ああ、クランマスターの命には絶対なんでな」
「え、このクランってニャッキさんが募ったんじゃ?」
「ああ? 俺らみたいな自分勝手な連中が、誰かの面倒を見られるものかよ!」
とてもいい笑顔で言う。自慢できませんよ、それ。
でも、確かに没入したら周りのことが見えなくなる人達がクランにまとまってるなんて不思議だよなぁ。
まさか彼女が誘って出来上がった場所だったとは。
僕のファンを名乗る後輩は、なかなかのやり手のようである。
それはそうとどやされないうちに僕はうぐぐいすさんの待つエントランスへと足を運んだ。
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