「魔法使い」というお仕事を、「飛び込み」で!

和泉茉樹

第一部 初心者と試練

1-1 新天地にて

     ◆


 各駅停車の列車に揺られること四時間、ついに終点にたどり着こうとしている。

 まったく長かった。始発に乗り込み、席に着いてからの長い時間もついに終わりだ。腰がすでに痛い。

「次はトキオ中央駅、トキオ中央駅……」

 車内アナウンスで延々と乗り換えの案内が告げられていく。

 膝の上に乗せて抱えるように持っていたリュックサックを無意識にゆすってしまった。

 こういうのを武者震いっていうのかも。

 やがて電車は減速して、長い長いホームに入線した。

 一斉に周囲の人が動き出し、僕も遅れないようにそれに続く。降りる人も多ければ、乗り込む人も多い。ホームに溢れる人の多さは膨大と言っていい人のに、阿吽の呼吸、示し合わせたように集団が行動するのは、この大都市にはルールがちゃんと存在することを主張しているようだ。

 ホームは地上にあっても、ホームを結ぶのは地下の構造物。人々がぞろぞろと階段を下り、地下通路を改札へ向かう。空気が変に湿っている気がする。それにどこか重いような感覚もあった。

 それはこの地下にひしめく無数の人々の呼吸、体温のせいだろうか。

 ここにいる人がたしかに生きているということ、生命というものが発散するエネルギーの残滓が、澱のようになるのは、不自然な逆転を感じさせる。

 僕はなんとなく腸の中で活動する細菌を思い浮かべた。この地下の通路にひしめく人また人を、うーん、菌というのは言い過ぎか。

 改札が見えてくる。ちょっとドキドキしながら昔ながらの切符を通すと、ちゃんとゲートが開いた。そこから少しだけ地下を進み、階段で地上へ上がっていく。

 頭上に見える光がやがて溢れ出し、その街の威容が目に入った。

 おお、と思わず声が漏れた。

 はるかに聳える高層ビルの群れと、その間を抜ける歩車分離が徹底された立体構造の通り。色とりどりの看板と、さらに多様性を見せる人々の姿。

 道を行く人々は思い思いに色とりどりの服装をし、どれが最新のファションかなんて、一目では見当がつかない。どんな奇抜な格好でもこの人波は飲み込むだろうし、どんな平凡な服装でもこの人波の中では失笑を買ったりはしない。

 僕は一応、駅への出入り口である大階段のそばに設置してある周囲の地図を確認した。

 最新技術のホログラム地図は駅の周囲の地上と地下を網羅している。こうなると地下構造物は腸というより、蟻の巣だ。

 えーっと、職業斡旋所に行かなくちゃ。

 独特のマークを地図の上で探し、場所を頭に記憶する。地上にある建物で、比較的、近いと分かった。

 背中のリュックサックを背負い直し、通りを歩き出す。ただ街に入り込むだけで、緊張した。

 ジパン国の第二の都市、トキオ。

 かつては首都であったものの、地震や津波の影響からその座は第二都市だったザカイに譲り渡したけど、今でもこの都市は発展を続けている。

 繰り返された自然災害に人々は躍起になって頑固に抵抗し、休みなく街をより頑強に作り変えていった。

 僕が十歳になる前に大地震があったけれど、トキオはまるで被害を受けなかった。揺れも津波も、トキオの街には傷ひとつつけられなかった、とされる。

 要塞都市、などと揶揄されるのもこの頃からだ。

 僕は過去のことを空想しながら、周囲に広がる実際のトキオの街を観察した。

 科学と「魔法」による合作が、この都市の本質だ。

 もっとも、「魔法」でさえも科学化されつつあるのがここのところの世の中だけど。

 職業斡旋所は思ったより駅から離れていたけど、まだまだ市街地の中だ。いったい、この街はどれだけ広いのだろう?

 それでも、周囲からやや浮いているほど古びた建物が職業斡旋所だった。複雑に組み合わされた耐震補強の合金製のフレームがそこここにある。

 建物に入ってみると、中は意外にも空いていた。春先の空気とは違う、調整された適温の室温。

 カウンターの一つで対応してくれた職員の女性は、全く当たり前のことだけど、僕に身分証を提示するように求めてきた。当然、予想していたので、念を入れて用意してあった言葉を口にすることになった。

 まるで役者になった気もしたけど、とにかく演技は絶対に必要だ。

「家出してきたので、できれば、その、身分証とかが無しで働きたいんですけど」

 途端に職員の笑顔が引きつったものになったけど、しかし仕事熱心らしく、すぐには僕を投げ出したり、追い返したりはしなかった。

「ご両親はあなたがここにいることはご存知なのですか?」

「いえ、伝えていません」

「えーっと、十八歳ですね?」

「はい、成人しています」

 女性は何か言おうとしたようだけど、僕の眼差しに負けたように口を閉じ、手元の端末を操作し始めた。

 少し待つと、この程度ですが、と端末がこちらに向けられる。

 五つほどの項目があり、三つは工事現場の警備員、二つは倉庫での仕事のようだった。

「自動車免許があれば、もうちょっと違うんですが」

 同情してくれたのか、申し訳なさそうな様子の女性に、むしろ僕の方が申し訳ない心境だった。

 その場では警備員の仕事に渡りをつけてもらうことにして、電話番号を伝えた。

「泊まるところはあるんですか?」

 まったくの善意からだろう、女性が確認してくれたけど、「なんとかします」とはぐらかしておいた。危険なところにはいかないように、と遠回りに女性は心配までしてくれた。

 危険も何も、ちょっとはお金がある。昔ながらのカプセルホテルで問題ないだろう。

 斡旋所を出て、携帯端末を取り出す。おっと、バッテリーが心許ない。充電する場所を探さないとな。

 端末には母親からの連絡のログが残っていた。

 良心が痛んだけど返事をしないことにした。

 僕はこれから、このトキオの街で、「魔法使い」になるべく、生きていくんだ。

 カプセルホテルの情報を調べ、通りを歩いていく。どんどん駅から離れ、人気は消えていき、建物も古くなる。道路の舗装でさえも汚れて見えた。

 不意に、すぐそばでサイレンが鳴り始めたので、肩を震わせて足を止めてしまった。

 周囲には少ないとはいえ、二十人ほどの人がいたけど、一斉に駆け出し、そばの商店へ逃げていくのが見えた。

 サイレンに続いて人工音声が流れ始めた。

「越境災害が発生しています。直ちに避難してください。越境災害が発生しています」

 越境災害!

 噂では聞いていた。というか、噂でしか知らない。

 実際に見てみたかったのだけど、まさかこんなに早く機会がくるなんて。

 でも、あっという間に周囲は無人になり、自動で通りに面した家屋のシャッターが下りていく。

 しまった、と思った時にはもう遅い。

 要は、僕は完全に逃げ遅れていた。

 サイレンだけが周囲に響き渡り、人の気配は完全に消えてしまい、最先端の都市の一角に一瞬でゴーストタウンが出現したようだった。

 これはちょっと、間違ったかも……。

 次の瞬間、強烈な耳鳴りに僕は短く悲鳴をあげることになった。

 それが越境災害の始まりだった。




(続く)

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