幕間 神域のある一日

 神域は、穏やかだ。

 女神とその眷属である夫婦と、その眷属たちによる暮らし――そこは争いなどない、ただ穏やかなだけの日々がある。


 蟻たちの朝は早い。

 働き蟻たちは基本的に外敵がいない神域であろうと夜間も警備を怠らないが、日中は自分たちの食い扶持を稼いだり主であるヨシヤに対する貢ぎ物を見つけるために神域の外に出る。

 ヨシヤが外に出る際には護衛やその他の役割を担うために選ばれた幸運な数匹が同行することを許されるが、それ以外の蟻たちは基本的に周辺警護、ハナの家事手伝い、探索、女王蟻であるあっちゃんのお世話と忙しいのだ。

 普通の蟻であれば女王蟻が産んだ卵、及び幼虫の世話もあるのだが神の眷属のそのまた眷属という立ち位置になった彼らは寿命も延びたし知能も格段に上がっている。

 そのため必要以上に増やすこともせず、人員過多に陥ることはない。


 時折外で苦難に出合って落ち込む主人のために張り切って外でゴブリンを狩って作った彼らの大事な食料でありオヤツでもあるゴブリン玉を差し入れるのだが、あまり喜ばれないのが最近の悩みである。

 玉にしたからダメなのか?

 頭そのものだったら喜ぶのか?

 日夜、蟻たちの間で議論が交わされていることをヨシヤは知らない。

 あっちゃんは『多分、人間、ソレ嫌イ』と気づいているが子供たち自身が気づくべきだと彼女は静観を決めているようだった。


 教えてあげてほしい。


 そして蜂たちもまた忙しい。

 木々や草花、それらから得られる作物の管理、花々から得る蜜の貯蔵とこちらもなかなか忙しい。

 最近では蟻たち同様、主であるヨシヤが神域の外に出る際に同行を許されるようになったので彼らは彼らでまた工夫をしたのだ。


 女王蜂であるエイトの護衛兵である蜂たちは黒光りする鎧のようなものを身に纏い、槍のようなものも携えるようになった。

 その方が護衛っぽいというハナの発案である。

 でも彼らが戦う際に利用するのは、自分の針と牙であるのでどれだけ槍を使うかは不明である。


 そんな勤勉で主大好きな蟻と蜂たちは、最近悩んでいる。


 主であるヨシヤが、どうやら自分たちよりも客人であるモフモフ……アーピス神の方が好きなのかもしれない、という恐ろしい事態に気づいたのである。

 残念ながら彼らは自分たちがモフモフしているとは言い切れないことを自覚していた。

 そう、自覚しているのである。

 一応、産毛のようなものが生えているがそれはきっとヨシヤが求めるものではないのだろうと彼らは察してしまったのだ!


 どうする?

 どうしたらいい?


 そんな悩みを互いに共有し、情報を集めた結果……ヨシヤが外の世界・・・・で『可愛い』という言葉を使う生き物たち・・・・・の仕草を真似るという事に辿り着いたのだ!!


 そして、彼らは訓練を始めた。

 たゆまぬ努力でその訓練は行われた。


「ん? どうしたんだい?」


 そして、とうとうヨシヤに対して披露する日が来たのである。

 蟻たちはドキドキしながら主の前に立ち、見てほしいとジェスチャーした。

 自分たちよりも先にそれ・・を会得した蟻たちに若干のジェラシーを覚えつつも、蜂たちだって羽を震わせて応援した。

 だって主大好き同士だもの。


「……んん?」


 ギチィ……。


 不穏な音が、聞こえた。


 ギチィ……ギチ、ギチギチ、ギュリィィイン!


 蟻たちの気合いを表すかのように、彼らの目がギラギラと輝き、恐ろしい音とともにヨシヤに向けられる。

 それを一身に受けたヨシヤの顔色はすこぶる悪いが、彼は浮かべた笑みをそのままに僅かも動かない。動けない。


(俺……なんか、しちゃったかな……)


 蟻たちが目指したのは、いわゆる『きゅるん、うるうる』だったのだが、ヨシヤはソレを知らない。

 主に喜んでもらおうとして空回っていることを、眷属たちも知らない。


 そうだよね、そもそも『きゅるん』は効果音であって強靱な顎から出る音ではない。

 そしてうるうるおめめは虫という生き物である以上、難しい話なのだ。

 

彼らの交わらない想いをなんとなく察したのは、ハナとあっちゃん、エイトの女性陣たちなのであった。

 ただ、彼女たちはお互い顔を見合わせて――面白いから放っておこう、そう言葉なく意見を交わす。


 今日も神域は、平和である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る