第16話
ヨシヤの宣言に、二人はまるで気圧されたかのようにぎゅっと目を瞑り石へと祈りを捧げる。
名も知らぬ神、見知らぬ行商人が告げた言葉、それらが彼らにとっては本当に、本当に……小さな、僅かな希望の光であったからかもしれない。
ヨシヤは知らない。
彼らが、生まれ故郷を出て苦労を分かち合いながら細々と暮らしていたことを。
決してその暮らしは楽ではなく、子を授かった頃にはマーサはそれまでの苦労が祟って体を壊していたことを。
それでも、授かった我が子を喜び、愛していこうと誓っていた夫婦に向かって医師から告げられたのは残酷な現実。
マーサの体を思うならば、今回は諦めよとは彼らにとってこれ以上酷なことがあるだろうか。
夫婦で話し合った。何度も、何度も話し合った。
そして、諦めることはなく、もっと穏やかに、慎ましくはあっても心も体も穏やかになれる土地に行こうと決めてここに来たのだ。
「女神様、命を育み慈しむ、この若い夫婦の願いをどうかお聞きください……!」
「お願いです……私はどうなってもいい。この子達を……」
「ぼ、僕からもお願いします! 妻と、子供をお救いください!」
ヨシヤの声を皮切りに、夫婦がそれぞれ声を出した。
ヨシヤは、二人の手がどちらも緊張と必死な気持ちで力が入っているのを感じて、どうにかしてあげたい、妻にこの気持ちは届くだろうかと願っていた。
『あなたたちの願いは、届きました』
ふと、ハナの穏やかな声が聞こえた。
ああ、いつだってヨシヤを優しく出迎えてくれる、失敗した時や悲しいことがあった時、何も聞かずに笑顔で受け入れてくれた時の声と同じだとヨシヤは思った。
『命を育む者よ、それを守りたいと願う者よ、その願いを聞き届けましょう』
それは冷たい石でしかなかったはずだった。
三人の手のひらが触れていたことで温もりのようなものを感じ始めていたのは確かであったが、それを念頭に置いてもまるで湯たんぽを手に持ったかのような温かさがそこから広がって、ヨシヤが思わずそこに視線を向ければご神体にしている石が仄かに輝いているではないか。
そして驚くべきは、その柔らかな輝きは石を伝ってマーサを包むようにしており、リチャードとヨシヤはそれを固唾を呑んで見守るばかりだ。
いや、ヨシヤの目には別の物も見えている。
マーサの頭上にある、メーターの変化だ。
ハートマークは変わらずフルで、人魂マークのメーターが揺れ始めてぐんぐんと良い方に向かっているではないか!
(すげぇ!!)
神様パワー、ハンパねえ!
そんな風にヨシヤの内心は荒ぶっていたのだが、勿論それは目の前の夫婦にバレることもない。彼らは彼らで今、とてつもない体験をしているのだから。
人の良さそうな行商人に絆されて、お祈りされてみたらあら不思議、本当に声が聞こえてきたじゃないか!
そんな状況でパニックになるなという方が無理である。
ほどなくして収まった光に、呆然とする三人は光を失った宝石からそうっと手を離し、机の上に置き直した。
「マ、マーサ。その、どうだい? 体調は……」
「ええ……あの光がすごく温かくて、お腹が張っていたのも収まって……今はなんだか、とても眠いわ。昂奮しているの、だけど、ごめんなさいリチャード、私……」
「ああ、うん。いいんだよ、寝なさい。後は……ええと、ヨシヤさんと僕とで話をしておくから」
「……ヨシヤさん」
「は、はい」
「ありがとう……ございます……」
相当眠いのだろう。マーサはすでにとろりとした眼差しだ。
半分眠ってしまっているのかもしれない。
その状態にリチャードもヨシヤに一声かけて妻を抱き上げ、ベッドに寝かしつけてカーテンを引き、眠りやすい状態にしてやった。
じろじろ見ては失礼だろうと背を向けるヨシヤに、リチャードが笑うのが聞こえて振り返る。
「……あれは、不思議なお声、でしたね……」
ポットから茶を淹れて置き直したリチャードが、酷く真面目な顔をしてヨシヤにそう言った。
それに対してなんとも言えないヨシヤはただ神妙な顔をして、ご神体を見つめることでなんとか誤魔化す。
「本当に妻が良くなるかどうかはまだわかりません。ですが、……この体験は、きっと僕たち夫婦にとってかけがえのないものになるのではないかと思っています」
「リチャードさん」
「よろしければ、その神のお名前を伺ってもいいですか?」
問われてヨシヤは咄嗟に声を上げる。
これは、信者獲得の大チャンスなのでは!?
「に、妊婦の女神、その名前をブロッサム様です!!」
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