第一章 おいでませ、異世界

第1話

「ようこそ異世界へ! そして私の『神域』へ!!」


 朗らかな笑顔は、変わらない愛しい妻のもの。

 けれど内容がおかしい上に、ヨシヤには状況がさっぱり理解できなかった。


 いやいやそりゃもう突っ込みが追いつかない。

 仕事帰りだったんだから夜だったよねとか、異世界に行くって言われたけど本当だったんだとか、でもって神域ってなによとか、そもそも屋外にいるんですけどとか、そりゃもう色々聞きたいことだらけだ。

 

 だが人間混乱すると言葉が何一つ出てこないものである。


 ヨシヤは人生を四十年ほど生きてきて、それを改めて知ったのだった。

 ちなみに緊張しすぎても人間言葉が上手く出てこない。

 彼は営業職をしながらそれを何度も経験してきたのでそれをよく知っていた。悲しい。


「なっ、え、これ、ハナ、あの、え?」


「うんうん、混乱するよね。ちゃんと説明したいんだけど、とりあえずここ外だし、そこのテントに入らない?」


「て、てんと……うわ、ほんとだ。なんか立派なのがある……」


「引退した先輩女神からの門出祝いらしいの、ちょっと奮発してくれたんですって。設営までしといてくれるなんて親切よねえ」


「いやうん、もうなにをどこから質問していいのかわからない」


 指し示された先、ヨシヤの背後には立派なテントが立っていた。

 中に入るととても広く、大人がゆうに六人は寝られるであろうスペースが確保されている。ご丁寧にクッション付きだ。


(なんかこれ、会社の同僚が見てたアウトドア雑誌とかに出てきたやつっぽいな……)


 天井も高くて圧迫感が無い。雑誌を見せてもらったヨシヤの記憶では、それなりのお値段だった気がする。

 そこに二人でスーツケースも持ってきて、クッションを思い思いに使って座る。

 ハナが別に持ってきていた大きめのスポーツバッグから取り出した水筒を見せたので、ヨシヤは持ってきたマグカップを彼女に差し出した。

 

「まずはコーヒーを飲んで落ち着いて。私が話す内容はとても驚きの連続になると思うから」


「いやもう、すでに相当びっくりしてるんだけど」


「まあ、それはそうよねえ……」


 苦笑しながらハナが話し始めた内容は、確かにヨシヤにとって驚きでしかなかった。


 人員過多のリストラもどきで別会社に出向させられたんだけど、人手が足りなくなったから本社に呼び戻される……たとえ話をしていたことがあながち外れで無かった。

 そのことに若干背筋が震えたことは、ヨシヤの心の中だけの話だ。


 結論から言うと、ハナは異世界の女神候補として生まれた存在だった。


 だが彼女が誕生した当時、神々は十分な人数が存在しており、ハナはその時点で〝必要無し〟と判断され、別の世界で生を歩むことになったのだ。

 ただしその生は仮初めのモノであり、神々に欠員が出たときの補欠として、いつでも戻ってこられるように設定・・されていた。

 その世界に未練を持たない状況、つまり女神であることを忘れ、家族などおらず、裕福な家庭から一定の地位になっては困るのでそれなりの不運の下で、特別な能力など何一つ無い状態で……子どもをその腕に抱くことすらも許されない。


 こうした神候補はそれこそ星の数ほどいて、神として迎えられることなく人生を終えて輪廻の輪に戻ると再び補欠として呼び出されるまで仮初めの生を歩む。


 ヨシヤはショックだった。

 ショックで彼女が話す間、なに一つ言葉が出てこなかった。


「そういう理由で、私たちには子供ができなかったの。……ごめんなさい、私が原因だったのよ」


「ハナ……」


 両親を事故で早くに亡くしたヨシヤと、家族がいないハナは幸せな家庭を築こうとよく話した。

 子供は何人いてもいい、大事に大事に愛して育てていこうと夢を語り合ったものだ。

 それが叶わなかったのはとても残念ではあったけれど、これまでお互いがいたからヨシヤは寂しくなんてなかった。


 けれど、この『異世界』に来たことによって明かされた事実に、ハナが罪悪感から震えている。

 それだけで、ヨシヤには十分だった。


「ここが異世界かどうとかよりも! ハナのせいじゃない!」


「ヨシヤさん……」


「だってハナは知らなかったんだろう? 苦労だってしてきたし、お前が悪いところなんて一つも無い。料理は上手いし明るくて、俺みたいに人見知りで給料もやっすくてゴキブリ怖くて逃げちゃうようなおっさんに、毎日大好きだって、愛してるって言ってくれる妻だぞ? 世界一の妻じゃないか!!」


「ヨシヤさん……! 好き! 結婚して!」


「してるけど何度でもする!」


 他に人がいないからいいものの、端から見たらただのバカップルである。

 とはいえ本人たちはとても真剣だった。


「で、ええと……話を続けるとなんだけど」


「あ、うん。ごめんね話の腰を折って」


「いいの! ヨシヤさんとこれからもちゃんと夫婦生活していけるんだって思ったら安心できたし!」


 ヨシヤは思う。

 あーやっぱりうちの妻ってば可愛いなあなんて。

 少しばかり彼の周りにお花が咲いているかも知れない。


 だがそのお花も、ハナが続けた言葉によって一瞬で枯れた。


「簡単に言うとね、この世界の神っていうのは信者がいないと消えてしまうの。あ、死ぬのとはちょっと違うんだけど……まあ実質、引退っていうか。このテントを用意してくださった先輩女神がそんな感じで転生していったんだけど」


「なにそのヘビーなの!?」


「あー、まあマイナーな神ってほら、寂れていくから……」


 ハナはそうした理由から欠員が出たために呼び戻された『女神』なのだという。


 前の女神はどんな存在だったのかというのは個人情報保護的な都合で教えることはできないと首を振られた時に、異世界の神事情ってちょっぴりブラック会社なのだろうかとヨシヤは思わずにいられなかった。


 そして今彼らがいる土地は女神としての彼女が与えられた特殊空間、それが神域なのだと説明された。


「ここは私の神力次第で色々できるのよ。勿論空気も綺麗だし、女神として信者が増えれば山や川だって作れるわ」


「へえー……」


「それでね、ヨシヤさんは申し訳ないけれど、女神眷属けんぞくみたいな扱いなのよね……」


「いやまあ、家族なんだし。問題ないけど……」


 そもそも状況が飲み込めないヨシヤとしては眷属云々に謝罪されても、今ひとつ理解が追いついていない。なので、不満を持つ段階に無いのだ。

 とりあえずいきなり妻が女神になった、土地を持つことになった、信者がいないと消えてしまう……そこまでは理解できた。


 ヨシヤはやればできる男なのだ!

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