(順番無視でチラ見せ先行公開)『母』の帰宅【重要ネタバレ防止カット有り】


 穏やかな週末になる予感が、エドワードの一言によって崩れ去った。

 「今日、母さんが帰って来る」

 紅茶を口にするついでに、ふと、子どもたちに対して喜ばしい報告をもたらしたというわけではない。

 朝食の場にいたロイ、アリス、エリオット、レオンの全員が動きを止めた。

 「母さまが……?」

 「帰って来るっ?!」

 「今日、ですか?」

 全員が固唾を飲んでいる中、ロイだけは冷静だった。突然の帰宅の知らせに驚きはしたが、『母』が帰って来たとして、警戒することはあっても困ることは無いからだ。

 ロイとアリスの母、すなわちエドワードの妻マーガレットは、病気の療養のために普段は家を空けている。今回のように突然帰って来ることは今までも度々あった。とは言え、ロイたちにとって厄介だったのが、彼女が彼らの仕事とは関係無く、全く普通の一般人であることだった。彼らが警戒する対象には、必ずしも裏切り者やこの国の秘密警察などだけではなく、無垢な一般人も含まれている。

 特に「母親」などという生き物は、家の中や夫、子ども達の変化にすぐさま気が付くという能力を持っている。ほんの少しの表情や声色の変化から全てを察するその能力は、もはや超能力めいているとさえロイは思っていた。

 「今日の、いつ頃ですか……?」

 エリオットが恐る恐る尋ねた。

 それをほくそ笑むかのように、エドワードはティースプーンで紅茶をくるくるとかき混ぜながら言った。

 「これを飲み終えたら、迎えに行く」

 再び、沈黙が訪れた。もう時間が無い。

 「飲み終えたらって……」

 アリスはエソワードの紅茶の残りの量を確認した。他の三人も、一斉にティーカップの中を覗き込んだ。残りは後わずかだ。

 (もう飲み終わるじゃん)

 四人とも、仲良く同じことを考えていた。

 「ちょっと! 父さま? もっと早く教えてよ!」

 アリスは不機嫌そうに、それでもまだ随分と可愛らしく文句を言ってはみたものの、エドワードは容赦無く紅茶を啜っている。

 それを見た心配性なレオンは、頭の中で、エドワードの指示で最近進めていた地下室の整備作業の隠蔽計画を立てていた。

 作業のために運び出した道具たちを一時的に保管している空き部屋がいくつもある……。地下室のことを勘付かれでもしたら……。万が一にもマーガレットに見られないようにしておかなければ。

 そう考えて静かに立ち去ろうとしたレオンを、アリスが腕を掴んで引き留めた。

 「レオンは、父さまに紅茶のおかわりを淹れてあげてね♡」

 嫌がらせにも程がある。レオンを犠牲にして、時間を稼ぎたいのだろう。

 ロイもエリオットも、そう思った。

  「えっ?! えぇ?! おかわりぃ?!」

 思いがけないアリスの要求にすっとんきょうな声を発したレオンの顔は、みるみる青ざめていき、彼は助けを求めるかのようにロイとエリオットの方を見た。ところが、二人は黙ったままだ。

 「見捨てられた」と絶望しかけたレオンに、エドワードはすんなりと、「これが終わったらもう一杯くれ」とおかわりを所望した。他の四人には、エドワードがこの状況を密かに愉しみ、弄んでいるようにしか思えなかったが、当のエドワードはあくまでも落ち着き払った態度で優雅に紅茶を嗜んでいる。

 次に動いたのはアリスだった。レオンを生贄にしたくせ、そのレオンが震える手でエドワードの紅茶を注いでいる時に立ち上がり、「わたし、おなかいっぱいだからもう行くね」とだけ言って部屋へ駆けて行った。

 またもや、「お腹いっぱいなわけがないだろう」という視線がアリスに突き刺さった。食事はほとんど残したままだし、あの大食いのアリスがこの程度で腹一杯にはならないのである。プライドが高いせいで、「部屋が汚いから片付けたい」などとは言えないだけで、今頃は散らかった部屋の掃除や、マーガレットに見られては困るような私物(主には劇薬や実験道具等)を完璧に隠蔽する作業にあたっていることだろう。

 エリオットも同様に、「早めに終わらせたい仕事があるので」という旨の言い訳をして立ち去った。礼儀正しく、「途中で席を外すことになって残念ですが」のようなニュアンスを含めた物言いだったものの、正直言って食事どころではなかった。自分の分だけではなく、ロイやアリスの監督者代理の自負を持っていたこともあり、二人の『片付け』をチェックしなければならないという責任感も持っていたからだ。もちろんレオンのことも忘れていないエリオットは、去り際に「お前の分もできるだけやっておいてやるから、後で急いで来い」と目で合図した。それに気づいたレオンもまた、うっすら涙を浮かべながら頷いた。信頼関係に結ばれた二人にしかできない芸当だった。

 これまでのアリス、レオン、エリオットによる奇妙な連携プレーを見届けたエドワードは、満足したのか、最後の一滴を飲み干し、出かける用意を始めた。そしておもむろに、ただ一人余裕そうなロイに声をかけた。

 「部屋の『片付け』をしなくてもいいのか?」

 「ええ、大丈夫です。お母さんに見られても困る状態でもないですし、見られて困る物なんて僕の部屋にはありません」と余裕たっぷりの様子で答えた。

 対してエドワードは、愉快そうに「ふん」と鼻を鳴らし、「そうか」とだけ無愛想に呟くと、そのまま家を後にした。

  直後、レオンはようやく息をついた。「よ〜しっ、オレも『お片づけ』を……」と言いかけたその時、「あ……」という間の抜けたようなロイの声が覆い被さってきた。

 それを聞いて、レオンは絶句した。

 あのロイが、間抜けな声を漏らすなんて、一体どういうことなんだろう? もしかして、相当ヤバいことが起きているんじゃ? まさか、マーガレットに見られてはいけない恥ずかしい物があるとか? 恥ずかしい物、って? 何だ? でもやっぱり、ロイくらいの年頃の男が持っている恥ずかしい物なんて……。いや、いや! まさかロイに限ってそんなこと……。

 このような考えがぐるぐる回り、レオンの頭はもはや正常に機能しなくなっていた。妄想に次ぐ妄想。必要のない不安や心配にまみれていた。

 (あ〜〜っ! 訊きたい! でも訊いちゃダメだ。「『あ……』ってどういう意味なんですか?」とか絶対に訊いちゃダメなんだ! さりげなく訊けばいけるかな? いや、さりげなさの問題とかじゃないだろっ! ああ〜〜〜っ! でもやっぱり訊いてみたい……。でもっ……!)

 レオンが「訊きたい」「訊いちゃダメ」の無限ループとも思える葛藤を繰り返した挙句、ようやく「訊かない」と腹に決めた直後、ロイはあっけなく「そう言えば」という口調で言った。


**


この先ネタバレなのでカット。本編と合流するのをお楽しみに

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