そんなこと誰が言ったんだ?

 一瞬、耳を疑った。

 今なんと言った?


「……なんの話だ?」

「とぼけるな。お前がマジカル・セプテットの紫苑紗花と一緒に暮らしていることはわかっているんだぞ。しかもお前たちは幼馴染だそうじゃないか」


 やはり知っている。具体的な個人名まで言い当てるということは、自分の目で直接見たということだろう。

 一体どこで見られたんだ?

 あるいは愛美か博之がうっかり誰かに喋ったのか。


「なんで知っているんだ?」

「俺はお前に勝つために、お前に関するありとあらゆることを調べ上げた。そうしている間にひょんなことからお前の家にあの国民的アイドルが住んでいることがわかったんだ。いや、驚いたよ。まさかこんな漫画みたいなことがあるのか、ってね」


 こいつ行動が完全にストーカーのそれ。

 しかし迂闊だった。サヤは熱狂的なファンに自宅を突き止められないよう常に細心の注意を払っているが、まさか俺のほうにこんな熱狂的なストーカーがいるとは想像もしていなかった。

 ここまで嬉しくない追っかけも珍しい。


「おっと勘違いするなよ。俺は別にお前らの恋路を邪魔するつもりはない。むしろ身分違いの恋なんて萌えるじゃないか」

「萌えなくていいから」

「だがもし俺の言うことを聞いてくれなかったら寂しさのあまり、誰かに口を滑らせてしまうかもしれないぞ」

「……それは脅しか?」

「さあな、好きなように解釈すればいい。本当はこんなことしたくなかいんだが、お前と正々堂々勝負する為なら俺はどんな汚い手でも使うつもりだ」


 言ってることが矛盾しているような。

 それにしても厄介な奴に秘密を知られてしまった。

 ここでこいつの要求を素直に聞き入れたとしても、本当に秘密にしてくれるという保障はない。

 むしろ今回のことに味を占めて、さらなる要求を突きつける可能性だってある。


「仮にお前の言う通りに勝負したとして、黙ってくれる保障は?」

「お前と紫苑紗花とのツーショットを収めた写真を渡す。これがなければお前たちとの関係を証明出来なくなる」


 そう言ってポケットの中から一枚の写真を取り出す。

 そこには俺とサヤが二人で住宅街を歩いているところが写っていた。

 また証拠を撮っていたのか。


「……お前どうかしてるんじゃないのか。自分のやってることがどれだけ異常なことか自覚はあるのか?」

「かもな。だが元はと言えばお前が約束を守らなかったのが原因だということを自覚したほうがいいぞ」

「人のせいにするなよ」


 確かにコイツがこんなサイコ男だと見抜けなかったのは俺の落ち度だ。

 写真を良く見ると、遠くから撮影したのか顔がハッキリとは写っておらず、シラを切り通せば俺だとバレる心配はないかもしれない。

 しかしサヤにとっては男と二人で歩いている写真を公表されるだけで、かなりのダメージになる。

 つまりもっとも被害を被るのは第三者であるサヤというこになる。

 それは到底、容認出来ることではない。


「どうする? なんなら俺の家に来てバックアップがないか調べてみるか?」

「……いや、そこまでしなくてもいい。というかしたくない。けど写真がなくてもお前が誰かに喋る可能性があるだろ」

「安心しろ、俺は学校のほとんどの生徒に嫌われている。誰も俺の言うことなんて信用しないさ」


 自慢げに言うことではない。

 しかしコイツが言うと妙に説得力がある。

 話を聞いていると、コイツは本当に俺と勝負がしたいだけで、サヤのことは眼中にないようだ。

 ここは表面上だけでもコイツに従うフリをして、適当に勝負に付き合ったほうが得策だろう。

 なにも真面目にやる必要はないのだ。


「わかった。お前と勝負すればいいんだな?」

「フッ、その言葉を待っていたぞ」


 こうして俺は、誠に不本意ながらコイツの挑戦を受けることにした。

 まあこうなったのは中途半端な形で部を辞めた俺にも責任があるし、そのせいでサヤにまで迷惑をかけるわけにもいかない。

 こんなことになるならもっと円満な形で辞めれば良かった。

 当時もチームメイトやコーチから厳しい意見を言われ、半ば喧嘩別れのような形になってしまった。

 ただ、あの時は色々と複雑な悩みを抱えていて一杯々々だったのだ。まあその辺の事情を二宮が考慮してくれるとは思えないが。




 愛美にリレーにも出たいと伝えると、なにを勘違いしたのか、「やっぱりサヤちゃんとのデートに釣られたのね」などと、頓珍漢なことを言っていた。

 二宮といい愛美といい、なぜ俺に走らせたがるのか。

 確かに陸上部時代は俺の人生の全盛期だったが、もう二年前のことだ。あの頃と同じように走れるかと言えば絶対にそんなことはない。

 二人の期待に沿えなくて申し訳ないが、俺は全力で走るつもりはない。

 勝負はすると約束したが、手を抜いてはいけないとは言われていないのだ。

 もし二宮が難癖つけてきても、二年間のブランクがあるのだから、なんとでも言い訳が成り立つ。

 そう高を括っていたのだが――




「みーくん、愛美ちゃんから聞いたんだけど、リレーに出るんだって?」


 家に帰った途端、先に帰宅していたサヤが開口一番、そんなことを聞いてきた。


「へ、ああ……」


 なぜかサヤのテンションが異様に高い。

 なにか仕事で良いことでもあったのだろうか。


「なあサヤ、なんかいつもよりテンション高くないか?」

「だってもしみーくんのクラスが優勝したら二人でボウリングデートに行けるんだもん! そんなの嬉しくないわけがないでしょ!」

「え? そ、そんなこと誰が言ったんだ?」

「あれ、違うの? 愛美ちゃんはそう言ってたけど……」


 また愛美の仕業か。余計なこと言いやがって。


「みーくんは幼稚園の頃から足が速かったよね」

「……ああ、でも陸上部辞めてずいぶん経つし、昔みたいには走れないかも」

「大丈夫、私が応援するから。みーくんならきっと一位になれるよ! 私、どんな時でも全力で走るみーくんが大好きだもん!」

「い、いやでも……」


 なんだか話が厄介な方向に進んでいる気がする。

 こんな期待に満ちた眼差しで見つめられたら、手を抜こうにも抜けなくなってしまう。

 これで当日に適当な走りを見せたら、サヤはどんな顔をするだろう。その時の様子を想像すると、物凄い罪悪感が押し寄せてきた。


「そうだ、実は愛美ちゃんから話を聞いてすぐに、近くのスポーツ用品店でお揃いのボウリングシューズ買ったんだ。優勝したらこれを一緒に履いて行こうね」

「え、いやいや待て。それはちょっと気が早過ぎるんじゃないか?」

「うん、そうかもだけど……みーくんとボウリングデートに行けるって思うと嬉しくて」

「そ、そうか……」


 逃げ道がなくなってしまった。

 なんてことしてくれたんだ愛美の奴……。

 だから他人の恋愛には首を突っ込むなと言ったんだ。

 いや、これも全部あいつの策略なのかもしれない。

 俺に本気を出させる為に、サヤにボウリングの件を教えたのだとしたら、とんでもない奴だ。

 こうして俺は、サヤの期待に応える為に、全力で走らざるを得なくなった。




 なにもかも思い通りにいかなくて、俺は自室で気を落としていると、愛美からLINEで連絡が入った。ついさっきリレーに出るメンバーの最後の一枠に空きが出来たので、俺を推薦したそうだ。

 俺が元陸上部であることを教えると皆、賛成してくれたのだそうだ。

 これでもう後には引き返せなくなったわけだ。

 もういっそ闇討ちでもして二宮に怪我させるか。いや、それはさすがにやり過ぎか。ならば雨天中止になるのを期待して雨乞いを……いや、そんな不確実性に頼る訳にはいかない。

 どうしてやろうかとあれこれ悩んでいた時、悪戯好きな運命の神様がさらに仕事をすることになる。


 翌朝のHR。

 いつもよりざわついた教室で、神妙な面持ちをした担任が重々しく口を開いた。


「あー知ってる人も居ると思うが実は昨日、今度の体育祭でリレーのアンカー役だった若松が部活中に右脚を捻挫して出られなくなってな。それで代わりに三好君が出てくれることになった」


 なんだかもう役者が勢揃いって感じだ。

 始まる前から嫌な予感しかしない。

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