はい、ここにいますよ
時が経つのは早いものである。
長い人生の中では学生生活なんてあっと言う間だ。
ただ時には逆の場合もあり得る。
「あー腹減った。早く飯食いてえ」
午前の授業が終わって昼休みになるまでの時間の流れが、異様に長く感じる。
楽しい時間は短いのに、退屈な時間は長い。なぜ逆じゃないのか?
そんなことを考えつつ、俺は早速弁当箱を取り出した。
今日の弁当はサヤが作ってくれたものだ。
別に俺から催促した訳ではない。今朝、家を出る際に予告なく「みーくん、はいコレ」と言って渡してきたのだ。
いつもならパンか昨晩の残り物だけで済ませていたので、何だか新鮮な感じがする。
「みーくんの為に丹精込めてつくったから、じっくり味わって食べてねっ」
まるで愛妻弁当……。
愛美と博之に知られたら絶対にそう言われてからかわれるだろう。だから黙っておくことにした。
正直なところ、昼休みが待ち遠しかったのは、サヤが俺の為につくってくれた弁当を早く食べたかったのもある。
さて中身はどんな感じなのかな?
俺は期待に胸を膨らませながら弁当の蓋を開けた。
「…………」
予想通り、手間暇かけてつくられたと思われる豪華なおかずが所狭しとひしめき合っている。
なにより目を引いたのは、鮭フレークをふんだんに使用して白米の上に描かれた巨大なハートマーク――
即座に蓋を閉めた。
が、時すでに遅く、近くに居た最も嫌な二人に見られてしまう。
「水輝、それってサヤちゃんがつくってくれたヤツ?」
「愛妻弁当か。真昼間から見せつけてくれるではないか」
「……しゃーらっぷ」
案の定、速攻でバレてしまった。
今度から弁当を作って貰う場合は、誰が作ったのかわからないようにするようお願いしよう。
「これは大勢の男子の顰蹙を買うだろうな。知ってるか水輝? 紫苑紗花が転校してきた当日、なにやらこの学校で非公式のファンクラブが結成されたらしいぞ」
「なんだそりゃ?」
「アイドルが転校してくるともなれば多くの生徒が我先にとお近づきになろうとするだろう。だから抜け駆けをさせない為に同盟をつくったと言う訳だ。ちなみに抜け駆けした奴は公開処刑だそうだ」
……理不尽な同盟ですこと。
「にも拘らず、ここに同盟が結成される約十年前に、抜け駆けしている奴が一人いる件」
「指を差すな愛美」
だいたいそんな大して拘束力の無さそうな戒律、誰が遵守するんだ?
「まあそれだけ狙っている生徒が多いという事だ。一応、水輝も注意しておいた方がいいかもしれんぞ」
「それはもちろんそのつもりだけどサ、この学校には不良なんてほとんどいないし、公開処刑と言っても暴力に訴える奴はほとんどいないんじゃないか」
「どうかな? 噂によると紫苑紗花が転校して来てから図書室で中世の拷問についての本が頻繁に貸し出されているらしいぞ」
「怖……さすがに冗談だよな?」
「安心しろ。お前に万が一のことがあったら、俺の子供に『水輝』という名前をつけてやるから」
「いらねえよ!」
だいたいコイツが結婚出来る光景が一向に思い浮かばない。
「でも気をつけたほうがいいわよ。中には女癖の悪い男子もいるみたいだし。サヤちゃんがアンタ以外の男に靡くとは思えないけど、もし軽薄な男に付きまとわれて変な噂が流れても困るでしょう? 下手すりゃアンタ達の関係がバレるかもしれないし」
「まあな。でもサヤもその辺は気をつけているだろ」」
確かにサヤが転校して以来、あからさまにお近づきになろうとする男が目につくのは事実だ。
しかし普段から下心丸出しなファンに囲まれるのに慣れているサヤなら、友達になってはいけない相手の区別はちゃんとついているはずだ。
「大丈夫だろう。サヤも変な男には近づかないよう気をつけてるだろうし」
「やけに信頼しているな。まあ昔から神崎は水輝以外の男は眼中になかったしな。これぞ愛のなせる業ってヤツか」
「なに言ってんだ。そんなんじゃねえよ」
「『なに言ってんだ』はこっちの台詞よ。アンタこそサヤちゃん一筋だったでしょうが。この十年間どんな女が近づいてきても、見向きもしなかったのはどこの誰でござるか?」
「だからそれは……」
俺は返答に窮した。そこへ博之が――
「さすがは将来を誓い合った仲なだけはあるな」
「お前ら、いい加減にしろよ」
その時、後ろの席からこんな声が聞こえてきた。
「なあなあ紫苑紗花ってやっぱ良いよなあ」
「ホント、あの人気アイドルが同じ学校に通ってるなんて、未だに信じられないぜ」
「秋山里美みたいな美人系も良いけど、ああいう女の子らしいタイプって生で見ると可愛さがヤバいよな」
「俺、今までは妹尾瑠衣が推しだったんだけど、もうサヤサヤに乗り換えるわ」
「わかる。同じ学校になったら印象変わるよな」
「もし運が良かったら付き合えるかもしれないもんなー」
もうここ数日、何度も繰り返されてきた会話だ。
始業式から一週間以上経ったが。未だにサヤに対する熱狂が冷める様子はない。
こっちはもういい加減聞き飽きてきた。
普通なら雲の上の人であるアイドルが身近な存在になったのだから、そう考える者は彼らだけではないだろう。
もうすでに相手がいるとも知らないで……。
わかってはいたが、男子達がそういう話をしているのを聞くと、なんだかモヤモヤしてくる。
「サヤサヤって付き合ってる彼氏とかいるのかな?」
「「はい、ここにいますよ」」
まるで申し合わせたかのように、博之と愛美が同時に俺を指差す。
「オイやめろ! 後ろに聞こえるだろうが!」
「水輝の声が一番大きいでござるよー」
「そうだな」
「こ、こんの野郎共は……」
コイツら覚えておれよ。
「でもよー。やっぱそれでも俺は秋山里美の方が好きだなー。あの大人びた雰囲気は誰にも真似出来ねえよ。紫苑はちょっとガキっぽい感じがするんだよなー」
ムカッ。
一人の男子の何気無い発言に、俺は苛立ちを覚えた。
恋人を悪く言われて不快になる彼氏のような感覚に似ている。
「落ち着かれよ水輝。下手に怒ったらお主の秘密も明るみになってしまうぞ」
無意識に立ち上がってしまっていた俺に、愛美が正論で制す。
「それにあんな子供じみた悪口にいちいち反応してどうするのよ」
「くっ……」
反論出来ずに歯噛みしていると、男子達の会話がさらに続く。
「まあ普通の女子と比べたら断トツで可愛いのは間違いないけどな。ウチのクラスだと一番レベルが高いのは松永だけど、紫苑紗花と比べたら月とスッポンだもんなー、アハハハ!」
ムカッ。
瞬間、愛美の顔つきが急変した。
「お、おい。落ち着けよ愛美」
ついさっき「子供じみた悪口にいちいち反応するな」と言っていた張本人が、物凄い剣幕で男子達を睨んでいる。
「やあねえ、私は落ち着いてるわよ。ただちょっと口の利き方を知らない連中に、正しい言葉遣いをやんわりと教えてあげようと思っているだけよ」
「お前の言う『やんわり』ってのは、一般的な意味よりもだいぶ暴力的な気がするんだが気のせいかな?」
まあ反社会的集団の世界では正しい意味なのかもしれないけど。
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