達者でおったか?
始業式というのは、学校の行事の中でも特に重要な位置を占める。
登校してくる生徒達を観察すると、ある者は期待に満ちた表情で友達と談笑し、またある者は新しいクラスで友達が出来るかどうか不安でビクビクしている。
まあどれだけ不安な奴がいようが、今の俺には負けるだろうが。
その理由はご承知の通り。
すでにサヤにはスマホで鞄の件を知らせていて、落ち合う場所も決めてある。
後はどうやって生徒達の目をかい
それよりも目下のところ俺は、別の問題に直面していた。
「なんでまたお前と同じクラスなるんだよ……」
始業式が終わり、教室に戻った俺は憂鬱な面持ちで目の前の男に呟く。
「さあな。クラス分けをした教師にでも訊くんだな」
冷静な表情で博之は、眼鏡の縁をクイッと上げる。
出来ればコイツとは別々になりたかったのに。
長い付き合いでも、良い思い出よりも悪い思い出の方が圧倒的に多く、具体例を挙げ出せばキリがないくらいだ。
「それよりも周りを見てみろ。普通ならクラスメイト同士、春休みはどこで遊んでいただの、部活はどうだっただのと話をするはずなのに、皆あの話題で持ち切りだぞ」
「そりゃ自分達の学校に大人気アイドルが転校してくるんだからな」
春休みの間から、紫苑紗花が転校してくる事は、SNSで既に生徒達に知れ渡っていた。
芸能人が珍しくない学校でも、これ程の有名人は初めてなので、皆一様に浮足立っている。
「――なのに何故かここに一人だけ浮かない顔をした奴がいるな」
「誰のせいだと思ってんだ?」
俺は元凶である博之を強く睨みつける。
「ふむ、この状況から察するに俺以外に友達が居ないのが寂しいんだろう?」
「なわきゃねっだろ! お前が余計なことを喋らないか心配なんだよ!」
まあ考え方によっては監視しやすいという利点はあるのかもしれない。
「それならもう一人、心配したほうが良さそうな奴が居るだろう。松永も同じクラスなんだぞ」
「え、マジで!? 気づかなかった。愛美も居たのかよ……」
言われて周囲を見渡すと、確かにその女子の姿が確認出来た。
「彼女にも電話で話したんだろう? 何と言っていた?」
「内緒にする代わりに口止め料を寄こせってさ」
愛美の場合、基本的に無償で何かをすることは絶対に無く、必ず対価を要求してくる。
その代わり対価を渡せば約束は守ってくれるので、その点では博之よりは信頼出来ると言える。
「ほう、さすがだな。その手があったとは。俺もそうすれば良かったか」
「もしお前がなにか要求してきたら、お前の秘密をバラすぞ」
「落ち着け。冗談だ」
一応、俺と愛美は幼馴染というヤツだが、極めてビジネスライクな関係にある。
誕生日すらも例外ではなく、以前「プレゼントが欲しけりゃパーティを開いて何か食わせろ」と言われた事がある。
「ほら、噂をすれば本人がこっちに来るぞ」
「げ」
「やっほーお主ら。春休みは達者でおったか?」
博之が指差した方向から、ギャルっぽい容姿をした女子が手を振りながらこちらに近づいてくる。
あんな古風な言い回しをする女子は、この学校では松永愛美一人しか居ない。
「ああ、ご覧の通り、丈夫な身体に生まれたおかげで至って健康だよ」
「そっかそっか。ならばお母さんに感謝しなきゃでござるなあ」
「どこの世界の人間だよお前は?」
愛美は日本史が好きなせいで、武士語を多用するのが趣味なのだ。
「ていうか水輝、電話でも言ってたけどアンタ一体どういうことよ? あのサヤちゃんがアイドルになっていて、しかも一緒に住んでるだなんて」
「ちょ、バカ! 声がでけえよ……」
俺は声を押し殺して周囲の様子を窺う。幸い誰かに聞かれた気配は無い。
「案ずるな。自分達の会話に夢中で誰もこちらの話など聞いてはおらぬよ」
「おらなくても100%って訳じゃないだろうが。もうちょっと慎重になれよ」
「落ち着け水輝。あんまり怒るとさすがに周りの注目を集めてしまうぞ」
珍しく博之に正論を言われ、俺達は互いに顔を近づけ合ってヒソヒソ声で会話を再開する。
「まさかアンタ達、あの時の宣言通り、本当に結婚するつもりじゃないでしょうね?」
「そんな訳ないだろ。アイツの新居が見つかるまで一時的に家においてやってるだけだよ」
「だが神崎はそのつもりなのだろう? お前の方はどうなんだ?」
「そ、それは……」
博之の言う通り、サヤは本気で俺と結婚したいと思っている節がある。
俺もサヤの事は好きだが、再会して一ヶ月も経っていないのに、いきなり人生における重大な決断を下せと言われても困るのが本音だ。
第一サヤも時期までは指定していない。
「なにを悩んでいるんだ。別に相手に不足がある訳でもなかろうに。神崎は性格も良く、スポーツも万能、頭だってクイズ番組で好成績を収める程良い。見た目だって――俺はあまり理解出来んが――折り紙つき。どこに問題があると言うんだ?」
「まあ唯一欠点があるとしたら、こんな冴えない男が大好きだってことかしらね」
「喧嘩売っとんのかぃ貴様は……」
愛美の俺に対する評価は、昔からかなり辛辣だった。
サヤとクラスメイトだった頃も、中学でそこそこモテていた時も「こんな奴のどこが良いんだか」というのが口癖だった。
俺に言わせれば彼女の価値基準のほうがおかしいのだ。
愛美を睨みつけた後、俺は博之に向き直ってこう言う。
「つーか俺達はまだ高校生なんだぞ。結婚なんて早すぎるだろ」
「その言い草だと将来的にはその意思があるようだな」
「揚げ足を取るんじゃない。今はそこまで考えてないってだけだ」
「水輝の言う通りでござるよ。人生長いんだし、そう時を
意外にも愛美が助け舟を出してくれた。
彼女はかなり現実的な思考をするから、博之の馬鹿げた話を真に受けることはない。
「それに一緒に住んでる時点でもう結婚しているようなものでしょ? どうせ今だって親の目を盗んで毎晩毎晩……」
「オイ」
しかし博之に負けず劣らず冗談を言うのが好きでもある。
「それもそうだな」
「オイ、お前らなにを勝手に納得してんだ」
これからコイツらと一年間、同じクラスになると考えると先が思いやられる。
きっと小学生の頃のように死ぬ程からかわれるのだろうな。
もはや懐かしさすら感じる。
「どうじゃ水輝よ? 学校が終わったらスタバにでも寄って、じっくり話を聞かせては貰えぬか?」
どうせこれからサヤとのことを根掘り葉掘り訊くつもりなのだろう。
弱みを握られている以上、拒否すると面倒なことになりそうだが……。
「悪い、学校の後は外せない用事があるんだ。話ならまた今度にしてくれないか」
「用事とか上手いこと言っちゃって、どうせサヤちゃんと逢い引きするつもりなんでしょう?」
「違う……いや、違わないんだけど違う。これには深い事情があってだな……」
「ええあるでしょうね。とっても激しくて熱々な事情が……」
なんだか途轍もない誤解を生んでいるような気がする。
これ以上、話がややこしくなる前に、本当のことを説明したほうが良さそうだと判断した。
「ふむ、なるほど。それじゃあつまりそこにある鞄は神崎の物ということか」
話を終えると、博之は興味津々な眼差しで、机の横にかけてある鞄を見る。
「ああそうなんだ。もし渡すところを誰かに見られたら、って思うと気が滅入るよ」「なあ水輝。それは本当に神崎のなのか? ちゃんと中身を見て確認したほうがいいんじゃないか」
「やめろ触るんじゃない」
博之が鞄に手を伸ばそうとしたのを見て、俺はすかさず止めに入る。
「だがお前も中になにが入っているか気になるんじゃないか?」
「ならないよ」
博之の野次馬根性はマスゴミ並である。
将来、コイツがその手の業界に入らないことを祈るばかりだ。
「ねえ良かったら私が代わりに届けてあげようか? 女同士のほうが見つかった時のダメージが少ないでしょ」
「本当か? そうしてくれたら凄く助かるんだが」
「ええ、時給1000円でね」
「じゃあ駄目、自分でやる」
相変わらずケチな女だ。
こんなことで金を使いたくない。
「では俺が届けてやろう」
諦めて自分で届けようと決意したところで、新たに博之が名乗りをあげた。
「って、お前は鞄の中身が気になるだけだろ」
「まさかそんなはずないじゃないか。俺はただ純粋な善意で友人を助けたいだけだ」
「本当に?」
「ああ……いや嘘だ。本当はお前の言う通りだ」
「だろうね」
こんな非協力的な友人達と同じクラスになれて、俺はなんて幸せ者なんだ。
……嘘だ。これから一年、コイツらと一緒かと思うと頭痛がしてきた。
とりあえず今はサヤに鞄を届けることだけを考えなくては。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます