月光散解

彼方灯火

第1話 夜の始まり

 頭の下に硬質な感覚。目を開くと、頭上に星が広がっていた。宇宙に来てしまったのかと思ったが、そういうわけでもなさそうだ。身体は地面に横たわっている。土ではない。コンクリートだった。ゆっくりと身体を起こし、視界を上方から前方へとシフトする。


「大丈夫?」


 唐突にすぐ傍から声。


 鈍色の目を備えた少女がこちらを見ていた。制服を身につけているが、不思議と堅苦しい感じがしない。ワイシャツの襟元が吹き抜ける風で棚引いた。短くも長くもある髪が、下から持ち上がるように揺れる。


「君は?」僕は尋ねる。


「知らない?」


「知らない」


「そう……」


「……僕は、ここで何をしていたの?」


「倒れていた。私が来るずっと前から」


「どうして?」


「分からない」


「……君は、何をしているの?」


「貴方が目を覚ますのを待っていた」


「どうして?」


「理由はない」


「理由はないって……」


「理由が欲しい?」


「いや、別に欲しくはないけど……」


「立てそう?」


「うん、たぶん」


「立つ?」


「立った方がいい?」


「好きにするといい」


「冷たいね」


「そう?」


「うん」


「よく、言われる」


「ごめん、冗談だよ。心配してくれてありがとう」


「すぐに目を覚ますと思って、心配はしていない」


「あ、そう」


「うん」


「でも、ずっとここにいてくれたんだね?」


「ずっと、の定義は?」


「定義?」


 少女はこくんと頷く。その動作があまりにも子どもじみていたから、僕は思わずじっと見つめてしまった。


 相手もこちらを見ている。


 刺すような視線。


 冷酷。


 けれど、どこか微かに感じられる暖かさ。


「君は、僕のクラスメート?」僕は質問する。


「そう」


「……ごめん、やっぱり覚えていない」


「謝る必要はない」


「いつも、どの辺りの席に座っている?」


「一番窓寄りの列、前から三番目」


「うーん、思い出せない」


「思い出す必要はない」


「まあ、たしかに、必要はないけど」


「お茶を持っているけど、飲む?」


「え? いや、いいよ……」


「ずっと眠っていたから、水分を補給した方がいい」


「うん、じゃあ……。少し貰おうかな」


「どうぞ」


「どうも」


 彼女から水筒を受け取る。手に取るとそれなりの重量があったから、まだ一口も飲まれていないものだと僕は信じた。


「今は何時?」


「午後十一時十分」彼女は腕時計を見て答える。


「え? そんな時間?」


「うん」


「そんな時間まで残っていたら、駄目じゃないか」


「なぜ?」


「校則に反するから」


「しかし、法律に反してはいない」


「でも……」


「では、帰る?」


「いや……」


「どうするの?」


「もう少し、ここにいようかな」


「どうして?」


「別に理由はないけど……。あ、理由が欲しい?」


「欲しくはない」


「あったら聞く?」


「あったら」


「でも、ない」


「なければ聞かない」


「うん、そうだね」


「うん、そうだよ」


「涼しいね、今日。少し寒いくらいだ」


「もう、秋だから、不思議ではない」


「そうか……。僕にとって、季節はあまり関係がないかもしれない」


「なぜ?」


「大抵のことに理由はないのだと、今、分かったよ」


「うん。それは、そうだと思う」


「君は、いつもどんなふうに過ごしているの?」


「いつも、とは? どんなふう、とは?」


「学校にいる間、何をしているのか」


「授業を受けるか、本を読んでいる」


「どちらも、インプットとまとめられそうだね、それ」


「そうかもしれない」


「面白そう」


「何が?」


「インプット」


「貴方は?」


「僕?」


「うん」


「何が?」


 そこで、彼女は、少し戸惑ったように鈍色の目を小刻みに揺らした。再び僕を見据えそこで安定する。


「貴方は、いつもどんなふうに過ごしているのか、と尋ねたつもりだった」


「なるほど」


「どんなふうに過ごしている?」


「まあ、あまり面白くない過ごし方、かな」


「面白い、面白くない、の定義は?」


「定義なんて、そういつもないよ。君にはあるの?」


「あるものにはあり、ないものにはない」


「面白い、の定義はある?」


「ない」


「じゃあ、どうして聞くのさ」


「面白い答えが聞けるのではないか、と考えたから」


「なるほど」


「コーヒーが飲みたい」


「唐突だね」


「うん」


「持っていないの?」


「持っていない」


「買ってこようか?」


「自分で行くから、大丈夫」


 そう言って、彼女はコンクリートの地面を歩き始める。


 そのままどこかへ消えてしまいそうで、だから、僕は遠ざかる彼女に声をかけた。


「待って」


「何?」


「やっぱり、僕も行く」


「どうして?」


「僕も、コーヒーを飲みたくなったから」


「私が貴方の分も買ってくる」


「自分で選びたい」


「なるほど」

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