スズと狐

ヒツジ

第1話 変わった家族

全国的に見ると場所によっては季節外れ記録的な猛暑を観測しているここ最近の天候だが、街の中心部から終着駅、さらにバスで三十分ほど離れた片田舎まではそんな暑さの手も届かないらしい。

窓際の席だと新緑がふわりと風に乗り、鼻をくすぐる。

目の前の文字列ではなく、外に目をやりたい気持ちに駆られるほど懐かしい匂い。


「――――であることから、この生贄を捧げる場面でいう『双狐そうこ』というのは、動物の狐じゃなくお稲荷様……神社とかにいる神の遣いなんだ」


涼しさとは裏腹に、 熱の入った教師の解説が続く。

外に気を取られていてややあやふやだが、今日の脱線授業は狐の話か。

なんだかのようだ、と思い、思わず顔が緩んでしまう。


「で、この場面の双狐の気持ちを誰か。そうだな……分かるかな、一葉ひとのはさん」


突然の先生の指名に、緩んでいた顔のこわばりを感じる。

ええと……双狐の気持ちだよね。

その瞬間、今日も留守番か仕事中であろう『』の顔と、文字列の『』がないまぜになってしまったらしく、口をついて出た言葉はこうだった。


「……分かりません」



* * *


生徒が分からなかったからといって、怒るタイプの教師ではない。

むしろ分からないことほど嬉々として解説してくれる先生なので、授業の残り時間は完全に双狐の感情の動きの話。

本来ならテストの範囲とは関係のない授業だった。

自分でもあまり積極的に手を上げるタイプではないのだが、当てられれば答えることを目標としているので、今日の指名の一件は少しショックで、しばらく引きずってしまった。


「ねえ、今日の授業、珍しくぼんやりしてたね。大丈夫?」


面倒見の良い同級生が学校の玄関で声をかけてきた。

彼女の長いポニーテールを靡かせた突風に二人で煽られながら、口を開く。


「あ、えっと、大丈夫。ちょっと考え事してて……」


そう、じゃ、また明日、なんて言いながら駐輪場へ向かおうとする彼女の肩に、黒いモノを視認して一瞬血の気がひいた。

ポケットに入れているお守りを握りなおす。

大丈夫。このくらいなら大丈夫。

自分に言い聞かせて、深呼吸をし、後ろからぽんぽんと痛くないであろう範囲で、軽く彼女の肩をはたく。

良かった。逃げていった。


「え?何?どしたの一葉さん」


「ごめん、ちょっと虫が止まってて。気がついちゃったから」


「ええ~!ホント!?ありがとう~!」


田舎暮らしだと避けて通れないけど実は苦手なんだよね、助かった!なんて笑う同級生は、面倒見だけではなく本当に良い子なんだと思う。

彼女を騙した罪悪感が少し胸に刺さったが、いやいや、虫よりももっと悪いモノを退治したのだと言い聞かせて平静を保つ。

改めて駐輪場へ向かう彼女と笑顔でまた明日、と挨拶を交わしあい、別れた。

私も安堵から、再びぼんやりしながら帰路につく。


名前、何さんって言ってたっけ……。


* * *


我が家の玄関は開けるのにちょっとコツがいる。

玄関の引戸の端をとんとんと爪先で軽く叩いてからでないと噛み合わせが悪く、悪戦苦闘する羽目になるので、いつも通り爪先で蹴飛ばし、噛み合わせを直す。そうすると、軽い力でも開くのだ。


カラカラと軽い音をたてながら開けた扉の視界は真っ白だった。

今日は銀の方がお出迎えか。

すぐさま待ってましたと言わんばかりに抱き寄せられてほおずりされる。


「おかえりー!スズ、待ってたよー!」


「ただいま、銀蘭」


きゃっきゃとはしゃぐ真っ白な狐――はたから見ると年頃の美女なのだが――――の熱烈な歓迎も、もはや日常茶飯事であるので気にはならない。

というより、白く袖のないワンピースからむき出しになった銀蘭の肌は少しひんやりとしていて、歩いてほてった肌に心地良かった。

いつも使ってるシャンプーの香りに安堵していると、私を抱き止めていた銀蘭が何か気づいたようで、急に眉間に皺を寄せた。


「あれ?ひょっとして今日、何か?」


銀蘭は鼻をすんすん言わせながら私の手を取って嗅いでくる。

匂い、というよりも銀蘭が気づいたのは気配なのだろう。

さっき、学校で同級生の肩を払った手を寂しそうに見つめている。


「うん。ちょっとね。でも二人のお守りのおかげで大丈夫だった。まだない、『』だったから」


「そっかぁ……。でもスズが無事でよかったぁ~。危ない時はちゃんと私か金蘭を呼んでよ?」


「分かってる。ありがとう」


「スズは『見える』けど、あくまでもヒトなんだから。祓うほうは専門外なんだからね?」


「うん」


いつもの楽天的な笑顔はどこへやら、険しく真剣な眼差しをぶつけてきた銀蘭に、それ以上『でも』も『だって』も言えず、気迫に圧されるように私は口を噤んだ。


「そういえば金蘭は?まだお仕事?」


「あ、ううん。今日はあまり出なかったみたいだからもう晩ごはんの支度をしてるよ。あとで盛り付けだけ手伝ったげて」


「うん、分かった」


私は銀蘭の過保護ともいえるお説教から話を逸らすため、もう一人の狐の名前を出す。

銀蘭に言われて気づいたが、台所のほうから香ばしい香りがする。天ぷらだろうか?

天ぷらは好物だ。素直に嬉しく思いながら、台所に顔を出した。


「ただいま、金蘭。今日は早かったね」


金蘭と呼ばれた狐――といってもこちらも本当に二十歳そこそこに見える美人なのだが――は、軽やかな手付きで野菜に衣をつけては揚げ油に入れて、を繰り返しながら笑顔で答える。


「お帰りなさい、スズ」


銀蘭のように熱烈な歓迎ではないが、金蘭はいつもと変わらず静かに笑って出迎えてくれた。

今日は天ぷらにしてみました、とつけ加えて。


「今日は空気もさほど淀んでいないですし、それほど多くなかったので。夕飯作りに時間を割けました」


こちらに背を向け、油の入った鉄鍋に向かいながらも嬉しそうな金蘭の様子が伝わってくる。

金蘭はいつもそうだ。本来の自分の仕事よりも、私達の世話焼きや丁寧な家事を大切にする人――――狐だ。


「すみません、もうすぐこっちの網がいっぱいになってしまうので、大皿に紙を敷いて盛ってくれますか?銀蘭の分が足りないと思うので、まだたくさん揚げなければならなくて。着替えて手を洗ってきてくれると助かります」


「分かった、すぐ戻るね」


金蘭にそう告げ、私は制服の裾をかえして洗面所へと向かった。


* * *


「いただきます」


山菜ときのこの天ぷら、そして山のような油あげ。炊きたてこほかほかご飯と、お味噌汁。

三人で手を合わせて夕飯をつつき始める。

ちなみに、金蘭のお手製油あげは九割近く銀蘭のお腹に収まる。金蘭も銀蘭も細めの身体つきだが、特に銀蘭のほうはなぜならあれだけ食べても綺麗な身体を維持できるのか不思議なくらいよく食べる。正直、同じ女性としては羨ましい。私が同じ量を食べたら、一月で丸々するのが目に見えている。


私も金蘭が作ってくれた揚げたての天ぷらをほおばる。

えのきや舞茸など、市販のきのこも良いのだが、この時期は山で採れたほろ苦い山菜の天ぷらが好きだ。


「うん、今日の天ぷらも美味しいね」


私が金蘭に伝えると、金蘭も一緒に笑ってくれた。


「そうですか、良かったです。私も久しぶりにたくさん揚げものを作れてとても楽しかったですし」


言いながら、金蘭は上機嫌で油あげをせっせと口に運ぶ銀蘭を見やる。


「銀蘭にも久々にこうして好物をお腹いっぱい食べさせてあげられそうです」


金蘭の言葉の端には少し大食らいの銀蘭に対する苦労が滲んでいた。

確かに、この量をぺろりと平らげる銀蘭のために、スーパーで油あげを仕入れていたら持たないだろうな、色々と。


「んー!やっぱり揚げたては絶品だよねー!金蘭のご飯、今日もおいしーい!」


笑顔を絶やさず幸せそうに、食事を口に運ぶ手は休めない銀蘭は金蘭の苦労に気づいていないのか、気づかないふりなのかーー褒め言葉で対応した。

金蘭も、満足気ではあるのだが。

それからしばらく各自黙々と箸を進めていたが、ふと、今日の授業のことを思い出した。

』の伝承。

私が答えられなかった、狐の気持ち。

銀というより、白か、はたまた透明なように見えてきらきらした髪に、淡い水色の瞳が今日の白いワンピースによく映える、色素の淡い銀蘭。

濡れ羽色のような黒髪に、深い茶色の瞳の金蘭は、先ほどまで着けていたエプロンを外して紺色のトップスに黒のジーンズを合わせている。


どちらも髪で隠れてはいるが、人の位置に人のような耳はなく、頭に獣のような耳を持つ。

二人に狐曰く『スズ以外には普通のヒトに見えている』というのだが、果たして本当なのだろうか。私は私の目しか持ち合わせていないので残念ながら他人から見た二人の姿は分からないのだが、今まで二人の狐と一緒にいる時に出会った誰もがつっこまなかったということは本当に人に見えているのだろう、と推測する他ない。


「そういえば、今日は学校はどうでしたか?」


「あ、うん、いつも通りかな。ただ、ちょっとぼーっとしてて、先生の問いに答えられなかったけれど」


「へー!スズが、珍しいねぇ。何の授業?」


「国語の古文……というかこの辺りに残ってる伝承の話。いつもの日下部先生の脱線授業だよ。教科書外の。プリント用意してくれてたんだけど、ちょっとすぐには答えられなかった。二人は?今日は何してたの?」


「あー、日下部先生の特別授業かぁ。私も金蘭も今日はあまり収穫はなかったけど、でも山菜は豊作だったよ」


ほらこの通り、とばかりにつまみ上げた山菜の天ぷらを、銀蘭が丸々一口でほおばりばがら答える。


「今日はあまり空気が濁っていないので、私もあまり大きな『』にも遭遇せず済みました。ところでスズ」


「ん?何?」


「先ほどは油の匂いで気づきませんでしたが、何か祓ったのではありませんか?その、右手のところ……」


帰宅後に銀蘭に思いきり嗅がれた右手。

金蘭にまで見抜かれて、一瞬どきりとしたが特に隠すこともないのでしっかり答える。


「あ、うん、ちょっとだけ。でも本当にまだ『成りきって』いない『もや』だったから。大丈夫だよ。おかげで同級生のーーーーえーっと、まだ名前覚えきれてないんだけど、私のことも気にかけてくれる子が助かったし」


「そうですか、なら良いのですが。スズは私達のような本職ではないですから、『まやかし』を祓う時は本当に気をつけて」


「そうだよ~。小さいフリしてても、急にどろんと大きく『成る』のもいるからさぁ」


金蘭は、銀蘭と私の会話を聞いてないはずなのに。銀蘭とほぼ同じような内容のことを言うので少し可笑しくなってしまった。

こらえきれずくすりと笑うと、不思議そうな顔をして狐二人がきょとんと顔を見合せる。


「いや、二人とも、全然似てないのに。言うことはそっくりだなって思って。家族って不思議だね」


そう。家族。


この『狐』二人が私の、大切な家族なのだ。


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スズと狐 ヒツジ @hitsuzhi

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