猫写
「・・・でもこれ、頭のおかしい話ですよ。だって半分は僕の妄想ともいえるんですけどね・・・」
Nさんの祖父は大変な愛猫家だった。
家にいるときはいつも手元で猫をなつかせていたし、たとえどんな作業をするときも、猫をどかすような真似はしなかった。
その猫の名を“タマ”といった。
白毛に黒のまだら模様。特に目立つのは、おとぎ話に出てくる海賊の船長を彷彿させる、黒い眼帯のような目元。
シュッと整った顔つきなのに、その目はどこか力がなく、なんだか間抜けな印象を受ける。
Nさんの父が学生の頃に、祖父がどこからか拾ってきたそうで、なかなかの老猫である。
タマは間抜けな顔つきとは打って変わって、なかなか抜け目のない奴だった。
祖父の晩酌にでた唐揚げなどのつまみを、誰も気付かぬうちに“つまんだ”り、あろうことかその酒杯を盗み飲みしているときもあった。
家族が叱ろうとするも、彼を手元においた祖父がそれを「まあまあ」と収める。思えばすべて計算ずくだったのだろう。なにせ酒を飲めども、猫が食べてはいけないものは必ず避けて食べていた。なんとも恐ろしいほど賢い猫であった。
あるときから祖父の様子がおかしくなった。ちょっとまえのことを何度も周りに確認したり、何度も同じことを繰り返したり・・・。
その様子を一番近くでみていた祖母の方は、悲しみつつも半ばなにかを諦めたようで、いつもどおりの振る舞いのなかでも、その顔色は暗かった。
まだ小学校低学年で一年ぶりに帰省したNさんでも、祖母の口角や眉は下がっているところから、彼女の心情をどことなく察していた。
しかし、それよりも驚いたのはタマの方だった。祖父の手元にいないときは、家のなかをひっきりなしに動き回っていたのに、今は部屋の隅からただぼーっと祖父のことを眺めるだけになった。
あんなに祖父の手元でじゃれていたのに、Nさんがその帰省した時期には、一度も祖父の近くには寄らなかった。
祖父のおかしな様子もあってか、Nさんは「タマも悲しんでいるんだなあ」となんだか同情して、余計に悲しくなった。
そして帰省の最終日。
実家に帰るというときに、祖父は何度もNさんに別れの握手を求めた。
祖父の手はとても冷たかった。そこから直感のようなものが脳裏に浮かび、何度もそれを降りきろうとした。しかし、握るたびに確信した。
「お爺ちゃんはもう長くないんだ」と。
帰省から戻って、数日もたたない間に祖父はあっけなく亡くなった。老衰だった。
それから葬儀やらでごたごたがあり、何もかも落ち着いてから数年後の話である。
中学生となり、背丈も大きくなったNさんは、もう親の同伴もいらないだろうと、一人で帰省するようになった。ちょうど父も母も多忙な時期であったため、その方が都合がよかったのだろう。
祖父がいなくなった当初は大変落ち込んでいた祖母も、やがて元気を取り戻し、かくしゃくと一人暮らしをしていた。
しかし、独りで暮らすようになった寂しさがあるのか、Nさんによく話かけたそうだ。
祖母との長いお喋りは、やがてタマの話になった。
祖母いわく、「タマはいまだに祖父がいなくなったことを理解できていないようだ」という。
一日中かつて祖父がいた場所を転々とし、そこに座ってじーっとするだけ。
祖父のことは心の整理ができていた祖母も、タマの様子には心が痛むものがあった。
「だからこうしてNちゃんが来てくれると、安心するのよ」
・・・と、祖母はタマがよりそう孫に向かっていった。
問題は、その帰省期間のある夜のことであった。
夜中にふと目を覚ましたNさんは、ねとつく喉の乾きを覚え、冷蔵庫から茶でも出そうかと起き上がろうとした。そのときだった
そこには祖父がいた。
暗闇の中、枕元から覆い被さるかたちで自分を覗きこんでいる。闇で表情すらもみえない状態でシルエットだけが浮かぶ。
ただ、あの特徴的な頭の形から、祖父だと分かった。
思わず身構えたNさんがよく枕元をみると、そこにいるのはタマだった。
思えば暗闇だったというのに、その爛々と輝く眼は、驚いた人間のようにキュッと黒目を小さくしていたのが印象的だった。
唐突に、いままで愛着の沸いていた猫が、なにか別のモノのようにみえた。
その出来事がきっかけで、次の日からタマのことは避けるようになった。タマだけではない。野良猫すらも忌み嫌うようになった。
そして、Nさんは外からみられない密室を好むようになった。
もちろん祖母の家では、極力タマとは面会せず、自分がいる部屋は完全に締め切ってタマが入ってこれないようにした。
タマが亡くなったという電話を祖母から受けるその日まで。
「分かっちゃったんですよ。あの日のタマの奇行をみて」
いわく、もしかすると祖父はボケたのではない。
その死に際から、いや、もっと前から、タマに“飲み込まれていた”のではないか。と。
部屋の隅からじーっと見つめられるタマは、祖父のことを操り人形のように弄んでいたのではないか。
そうして、祖父が亡くなったあとは、まるで“自分が祖父である”かのように振る舞っていたのではないか。
「そんな風に妄想したとき、あの日、なんでアイツが祖父のフリをして自分を覗きこんでいたのか、気づいちゃったんです」
祖父の次に気に入っていた自分のことを、次の“目標”として観察していたのではないかと。
暖房の効いた喫茶店にて、顔を青くして語り終え、震える手で飲み物をとるNさん。
冒頭であったように、「妄想だ」とはいうものの、なかなか厭な話だ。
しかし、私は一つ気になることがあり、聞いてみた。
「『半分妄想だ』といいますが、その様子だと、なにか確信があるのですか?」
なんとか飲み物を流し込んだNさんは、自嘲するような様子でこういった。
「もう、祖父の顔が思い出せないんですよ」
父の実家の仏壇。
そこに飾られたいくつかの遺影のうち、祖父のぶんを含め何枚かは、自分にはどうしても、あのタマの顔にしかみえない。
「だから半分は妄想で、もう半分はそう確信していてるんですよ」
Nさんはそう話を締めくくった。
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