記憶の方舟

冬野ほたる

 記憶の方舟



 HM-typeM603547-11Ver3.1


 それが私の正式な名称。

 

 製造年は23XX年。


 自律型汎用AI搭載アンドロイド。


 見た目は完全に人間を模している。

 私の場合は、髪の色は黒。目の光彩は焦げ茶色。

 


 所有者は目の前にいる「芽依めい」さん。

 私の「妻」だ。


 私の顔と身体は、芽依さんの五年前に亡くなった夫の「こう」さんをそのままに造られている。


 頭の中のチップには「こう」さんの記憶がインプットされている。


 亡くなった人の脳から記憶を抽出する技術が開発されたことにより、記憶の移植も可能になっていた。


 「こう」さんは事故で亡くなった。

 その事故で脳が破損してしまい、記憶情報の一部が失われてしまった。

 チップに移植された記憶には断片的なものもある。 

 そのために、「こう」さんの人生のすべてを受け取ることはできなかった。

 芽依さんと共に過ごした記憶も、すべてがチップの中にあるとはいえない。


 「ごめん。それは……憶えていない」と私。

 すると芽依さんは「……じゃあ、わたしが教えてあげる」と、少し寂しそうにも、思い出を語ることを嬉しそうにも取れるように小さく笑う。


「こう」さんの思考、仕草の癖のすべてを写し取れたわけでもない。


 それでも芽依さんは、「こう」さんを望んだ。

 だから私は、「こう」さんになった。








▲▽▲▽▲



 「こうさん、今日は遅くなる?」


 「なるべく早く帰ってくるよ」


 「今日はなんの日か、忘れてないよね?」


 「忘れるわけがないだろ」


 くすりと笑って、芽依さんの柔らかな頬を撫でる。

 芽依さんは私の唇に、いってらっしゃいのキスをする。

 温かくて柔らかな芽依さんの唇。

 行ってきますと玄関の扉を開ける。

 芽依さんが笑顔で手を振った。





 私が勤めている会社は、インフラネットワークを正確に構築し、安全に運営、適性に管理、保全することを目的としている。

 男性型、女性型を問わずに、ここで働く者の半数以上はアンドロイドだ。

 社会においては人間とアンドロイドの数の比率は、ほぼ半々といったところ。


 私と芽依さんのような夫婦も珍しくはない。

 




 2000年代初頭には地球温暖化が加速度的に進み、気象の異常が顕著に現れはじめた。 

 

 世界中のあらゆる地域で、従来の気候からは大きく逸脱したさまざまな変化が起こった。

 ある地域では今までの治水では対応できなくなり、ある地域では干魃が起こり、自給率が低い国では食料問題が発生した。


 食料問題に端を発した紛争は、領土や資源をめぐる戦争へと発展し、周辺諸国を長らく巻き込むこととなる。


 やがて、その影は世界を覆い尽くした。


 世界中で物価が高騰し、株価が下がった。経済は停滞し続け、少子化はさらに進んだ。


 2100年代後半には、人類の人口は最盛期の約半分にまで減少していた。


 限りなく不足している労働力や、人間の精神的・肉体的ケアのために、予てより開発が進められていた自律型汎用AI搭載アンドロイドが、社会に実装されたのは必然だった。


 アンドロイドが実装されるにあたっては、1950年にアイザック・アシモフ博士の小説にて提示された、ロボット工学三原則を土台として、これに詳細がくわえられた規範が世界基準として統一された。


 




 「楠木クスノキサン、今日ハ定時デ帰ルノデスカ?」

 

 会社のエントランスを出るときに、抑揚の少ない無機質な声をかけられた。

 

 「そうだよ。用事があってね」


 回転ドアの横に立っている、ガードマンロボットに答える。


 「何ノ御用事デスカ? 差シ支エナケレバ教エテクダサイ」


 彼とは、わりと気軽に言葉を交わす仲だ。


 「今日はね、結婚記念日なんだよ」 


 「ソレハオメデトウゴザイマス。ゴ結婚サレテ何年デスカ?」


 ガードマンロボットの動かない鉄の顔が、にこりと笑ったような気がした。


 「ありがとう。今日でちょうど七年……かな」


 芽依さんは人間の「こう」さんとは、たった二年間の結婚生活だった。

 私の方がすでに芽依さんと夫婦として過ごした時間は長い。もう五年になる。

 

 「ソレデハ奥様二、オ花デモ買ッテ帰ルノデスカ?」 


 「そのつもりだよ」

 

 「デハ、オ気ヲ付ケテ。オ疲レ様デス」


 「はい。お疲れ様」


 彼に軽く手を振り、足早に歩道橋を渡る。


 ガードマンロボットはヒューマノイドタイプではない。

 治安を守るために存在している彼は、硬い鉄の塊の中にいる。

 彼は特化型のAIだ。

 汎用型AIのヒューマノイドタイプとは用途と目的が違う。


 それでも私は、彼と私との違いを明確に表現することができない。




 


 「ただいま」


 「おかえりなさい」


 玄関を開けると芽依さんが駆け寄ってきた。

 どん、と、私に抱きついてくる。


 「これ、芽依さんに」


 私は後ろ手にして背中に隠していた、赤いバラとカスミソウとアイビーの花束を贈った。


 「わぁ……ありがとう」


 芽依さんは目を潤ませて私を見つめた。


 「こう」さんはプロポーズをしたときに、赤いバラとカスミソウの花束を渡していた。

 アイビーをくわえたのは「私」だ。


 「こう」さんのプロポーズを受けた芽依さんは、大きな黒い瞳を今のように潤ませて、小さく肯いて微笑んでいた。


 その記憶はチップの中にある。

 芽依さんは昔と変わらずに、とても愛おしい。


 私と「こう」さんの記憶は時として、鮮明に混ざり合う。

 


 芽依さんの食事が済んだあとに、寝室へと誘う。

 芽依さんは甘い声で吐息する。

 私の手が、指が、唇が芽依さんに触れる。

 芽依さんの白い肢体が震えて、私の首に回された腕の力が抜けていった。

 


 「こうさん……」


 寝言で芽依さんが呟いた。

 

 ……夢の中で「こう」さんを呼んでいる。

 今は……「私」が「こう」さんなのだから、私のことを呼んでいるはず。


 眠っている芽依さんの頬に唇をつける。


 寝台の上で仰向きになり、常夜灯の暗いオレンジ色の明かりをぼんやりと眺めた。


 ……本当に? 

 本当に、芽依さんは「私」を「こう」さんだと思っているのか?

 私は?

 私はどうなのだろう。

 私は「こう」さんになったのだろうか?


 本来なら、このような疑問を抱くことはない……のかもしれない。


 AIは自己がAIであることを知っている。

 亡くなった人間の記憶を移植されたAIは、その移植された記憶の「人格」であることと、AIであることに、矛盾を覚えないはずだった。


 しかし、私は考えてしまった。


 これはプログラムのエラーなのか。

 それとも、「こう」さんの記憶を完璧に補完することができなかったために、起こってしまったバグなのだろうか。


 



 「こう」さんの中にある、芽依さんに関するもっとも古い記憶は、大学で初めて出会ったときのものだ。


 サークルの集まりに、ほかの大学の友達と一緒に芽依さんは来ていた。

 初めて芽依さんを見たとき、「こう」さんには、芽依さんだけが光って見えた。


 その記憶を再現するたびに、例えようもない胸の感覚を覚える。 


 これは「こう」さんの記憶。

 そして「私」の記憶でもあるのだ。

 

 





▲▽▲▽▲



 「そろそろ、子どもがほしいの」


 朝の食卓でトーストを齧りながら、照れたように芽依さんは言った。


 「いいんじゃない?」


 芽依さんが望むのなら、なにも反対する理由はない。


 私たちのようなアンドロイドと人間の夫婦には、必ず一人以上は子どもを育てることが義務付けされている。

 自然妊娠や受精させることが物理的に難しい、もしくは不可能な場合は、卵子・精子バンクや人口子宮を借りるなどの制度も整っている。養子という選択もある。


 「こう」さんの精子は凍結されて保存されている。

 芽依さんが望めばいつでも妊娠できるはずだった。

 もっと早くに、その話がでていてもおかしくはなかった。

 



 


 それから三ヶ月後に芽依さんの妊娠がわかった。

 八ヶ月後に女の子を出産した。


 娘を幸依ゆきえと名付けた。

 芽依さんと私の二人の家族は、三人となった。

 


 小さな手足と小さい身体。

 こんなに頼りないのに、大きな声で泣く。

 甘い香りがして、ミルクをたくさん飲む。

 はいはいで動き回るのがとても速かった。



 幸依はすくすくと成長した。


 舌足らずな口調で私を「おとうしゃん」と呼ぶ。

 芽依さんに似た黒目勝ちの可愛い娘だ。

 芽依さんと「こう」さんの娘。芽依さんと「私」の娘。


 忙しく、目まぐるしく、賑やかで、ときにはうるさくもあったが、それでも楽しい日々。


 瞬く間に時間は過ぎていった。


 小さかった幸依は少女になり、年頃の娘になり、大人の女性になった。


 幸依の選んだ相手は人間の男性だった。

 気立てが良い、優しい男だった。



 

 再び、芽依さんと私の二人の生活に戻った。

 芽依さんは髪が白くなり、それを気にして黒く染めていた。しわも増えたと嘆いている。

 けれども、私にはそのすべてが愛おしい。

 

 私は逆に、髪を白く染めて、しわを作った。


 「こうさんは、そのままでもいいのに」


 困ったように言う、その口元はほころんでいた。



 私は、芽依さんと同じようになりたかったのだ。

 










▲▽▲▽▲



 芽依さんが身体の不調を訴えて、入院することになった。



 手術後の回復は思わしくなかった。



 「もって、あと……」そう言って、医者は下を向いた。



 病院の寝台の上で、芽依さんは最後に私を「あなた……」と、呼んだ。

 もう声を出すのも難しいだろうに、それでも小さく、かすれた声で「私」を呼んだ。

 

 「芽依」


 私を置いて、芽依さんはどこへ行ってしまうというのか。

 行かないでほしい。

 私を望んだのは芽依さんだ。

 私を置いてきぼりにしないでほしい。


 枯れ枝のように細くなってしまった手。

 大切なものを包み込むように、慈しんで握り返した。


 最後に芽依さんは、私を「あなた」と呼んだ。

 「こうさん」ではなく「あなた」と呼んだ。


 芽依さんと出会ったのは「こう」さん。

 「こう」さんが亡くなって「私」が芽依さんと夫婦になった。


 混ざり合う「こう」さんの記憶と「私」の記憶。


 「こう」さんは「私」のはずだった。

 「私」は「こう」さんのはずだった。


 芽依さんにとって私は……「誰」だったのか。

 


 幸依が、芽依さんを覆った病院の白いシーツに突っ伏して泣いている。

 幸依の夫は肩に手をおいて慰めていた。

 幸依の幼い息子は、父親の傍らでその光景を神妙に眺めている。


 私はまだ温かい芽依さんの手を、ただ、強く握っていた。

 








▲▽▲▽▲



 平日は孫が高校の帰りにうちに寄る。

 黒目勝ちな目は、芽依さんと幸依にそっくりだ。

 人の好さそうな笑顔と鼻の形は父親譲り。


 椅子に座ったきりの私に、孫はその日に学校であったことを面白おかしく話してくれる。

「お腹すいたー」と、菓子の袋を開けて、ぺろりと平らげて帰っていく。


 休日は幸依が来て、足が壊れた私の代わりに掃除などの家事をしてくれる。

 



 記憶を移植されたチップの耐久年数は、約五十年。


 私は限界を二年も過ぎていた。

 最近は視界や思考に、頻繁にノイズが走る。




 人間は死ぬと、その魂は天に昇るという。


 私の機能が停止したら、私はどうなるのだろう。

 AIの私には、魂と呼ばれるものは存在しないのだろうか?



 芽依さんがいなくなってから、ずっと考えていた。


 「私」は「こう」さんになるはずだった。

 しかし、「こう」さんの欠けた記憶を移植した私は、完全な「こう」さんではなかった。

 私は「こうさんを含んだ私」になってしまったのだ。


 芽依さん、幸依、孫やその家族を愛おしく思う。


 しかしそれも、「私」に生まれた気持ちなのか、私の中の「こう」さんと、私に書かれたプログラムのなせる幻なのかは、もういくら考えても解らない。



 AIの私が芽依さんと同じ場所に行くのを願うことは、許されないのだろうか。





 ゆっくりと瞼を閉じる。


 ああ……本当に、ノイズ……が…………ひ、どい……












 「あなた」


 「あなた」


 耳元で……芽依さんの懐かしい声が聞こえる。


 うっすらと瞼を開く。


 目の前には、出会ったときの記憶と変わらない笑顔の芽依さんがいた。

 

 芽依……!


 会いたかった。ずっと会いたかった。

 触れたかった。この腕に抱きしめたかった。

 芽依。芽依。芽依。芽依。


 引き寄せて、思い切り抱きしめる。

 もう、絶対に離さない。


 「あら、子どもみたいね」

 

 芽依さんが私の背中に腕を回した。

 柔らかくて、懐かしい温もり。

 芽依さんの匂い。


 私は理解した。

 ああ……私のチップはやっと壊れたのだ、と。

 


 「一緒に行きましょう」


 嬉しそうに微笑わらう芽依さんが、眩しい光の中へと、私の手を引いた。














  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

記憶の方舟 冬野ほたる @hotaru-winter

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ