4

 公園の片隅にあるベンチに、青年が一人。




 手すりと自分の間に置いたリュックサックに肘をのせ頬杖をつき、軽く斜めにもたれて座っていた。


 伏せられた瞼と規則正しい息遣いに合わせ小さく上下する肩。


 まだ昼前だというのに、こんなところで居眠りするなんて……子供連れの若い母親は通りかかりに目を留め、眉を顰めるわけでもなく単純に疑問を抱いた。




 空色のウィンドブレーカーに、濃青のジーンズ、がっしりしたフォルムのトレッキングシューズ。


 襟元から覗くインナーは良く見えないが青系のTシャツのようだ。


 やや湿り気を帯びたくせのない黒髪が額の上で呼吸に合わせて揺れている。


 飾り気も乱れもない服装に定期的に散髪していることが分かる短髪。




 登校前の大学生が、仮眠でも取っているのかしら?


 それとも、徹夜のバイト明け?




 好感の持てる風体の青年の眠りを妨げないよう、足の忍ばせ彼の前を通り過ぎようとする、が。


 母親の気配に気付いたのか、青年は顔を上げ開眼する。


 ゆっくり伸びをしながら、首や肩を回して体をほぐし、クッション代わりしにしていたリュックサックを左肩にかけながら立ち上がる。


 軽く空を見上げて、若い母親に目をやる。


 ほとんど無表情に近いあいまいな笑みを浮かべて、軽く会釈して青年はその場を離れる。


 その時になって、彼女は自分が青年を凝視していたことに気が付いた。




 顔立ちはそれなりに整っていたが、目を見張るほどではない造作。


 ありきたりの、爽やかではあるがどこにでもいそうな青年。


 なのに、開眼した一瞬、ひきつけられた。


 澄んだ秋空を映したかのように、青みを帯びた黒い瞳。


 くっきりとした目元、一重にも見える浅い二重瞼。


 何ということのない動作なのに、舞うような立ち居振る舞い。


 その動き一つひとつに川のせせらぎの音を感じた。




「ママぁ」


 袖を引っ張る我が子の声で、彼女は現実に引き戻される。


 水を揺蕩たゆたうかのような幻を見ていた。


 


 いやだわ、私ったらいい年して。


 10とは言わないが、それに近い程度には年下だろう男性にときめくなんて。




 苦笑するその頬を、わずかに赤く染めて。


 自分を魅了した青年の面影を無理やり意識の奥底に沈めると、はしゃいで遊具を指さす子供に微笑みかけた。


 










 固いベンチでの仮眠から目覚め、青年は清冽な木漏れ日の下をそぞろ歩く。


 鎮守の森、という木製の看板が目に入る。


 木々の隙間から、目の覚めるようなあけの鳥居がいくつも覗いている。


 確か、ここは有名な稲荷神社だったな、と記憶をたどる。


 数時間とはいえ神域に近い場所で休息したためか、思っていたよりも気力が回復している。


 体力自体は途中移動にタクシーを使って回復させたが、思いがけない出会いに感情を乱してしまった。




 ……まさか、アイツの父親に出会ってしまうなんて。




 確定ではないが、語られた情報と運転席に掲示されたフルネームから、ほぼ間違いないと確信していた。




 これは、お前が巡り会わせたのか? 信一……。




 荒唐無稽ともいえる問掛けは、だが全くの筋違いでもないだろう。


 は、獲物の全て取り込むらしい。


 血肉だけでなく、その力も、そしておそらく、精神こころも。




 信一と出会ったきっかけは別だが、親しくなった理由の一つは同郷だったということだった。


 県の東端と北端ではあるものの、上京したてで心細さでいっぱいの若者にとっては否応なしに親しみを感じられずにはいられなかったのだろう。


 自分の危機を救い、人には話せぬ秘密を共有できる相手が、生まれも育ちも近しい場所であることに、運命のようなものすら感じていた、と察する。


 慣れない都会の生活に心も疲れていたのかもしれない。


 出会った当初、信一が語るのは、生まれ故郷のことと、早くに亡くなった母の思い出、そして男手ひとつで育ててくれた父への思慕だった。


 愚痴はほとんど口にしなかったが、不慣れな仕事に疲弊していたのは感じていた。


 真意を隠して彼のそばにいる後ろめたさもあって、青年は細やかに世話を焼いた。


 気持ちが安定し、仕事にも慣れ、笑顔が増えてきても、話題の多くは故郷と父親の話だった。


 いつかは地元に戻りたい、3年目には異動希望が出せるようになる、資格を取れたら希望が通りやすくなるから頑張ると。


 先日も、次の正月の帰郷では何を土産にしようかな、と嬉しそうに話していた。


 ――その『信一』を取り込んだのだ。


 あれほど強い故郷への念を、取り込んだとすれば。


 だから夜通し、彼の実家周辺を巡ったが、気配を捕らえることはできなかった。






「正午、か」




 夜明けとともに訪れた陽気が、正午には陰気に転じる。


 の力を封じる陽気が満ちている間は何事もなせぬはずと、午前は神域でつかの間の休息に充てた。


 力を封じられたがゆえに、気配を探ることが困難になったのも事実だったので。


 疲労した感覚が、蜜に吸い寄せられる蜂のごとく清らかな空気を求め、たどり着いた公園で眠り。


 だが。


 そこそこに名の知れた神社ではあったが、ここまで気力が満ちたことは予想外だった。


 ここならば、陰気に転じても、は近寄れないかもしれない。


 青年は、探索の矛先を別の場に定める。


 


 ゆえに。




 陽気に満ちた神域の力が、彼を見誤らせた。


 過信させた。








 ――――そして、彼は、間に合わなかった。


 





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