第35話 魚心あれば水心あり

 ことわる、の一択いったくだったはずだ。

 だがなぜか、こんなことになってる。


「おお……なんか、すっげーメンバーだな」


 となりでつぶやいたのは、おれの親友の優助ゆうすけ

 背が高いバレー部のキャプテン。マネージャーがカノジョ。


 おれたちの前方に、タテに伸びて歩いている女子の集団がいる。

 学級委員の末松すえまつさんを先頭に、お調子者の安藤あんどう、幼なじみの萌愛もあ、その友達の中山と山中、そして―――


(うっ)


 おれの視線を察したかのように、彼女は肩ごしにふりかえった。

 少し距離があってよくわからないが、メガネのレンズごしにするどい目を向けている気がする。

 深森ふかもりさん。

 おれのループを知っているたった一人の協力者だ。


 しかし、あのときはおどろいた。



 ―――「まって。私も行く」



 約30分前の教室でのこと。

 いや、おどろいたといえば、末松さんに「打ち上げしませんか」とさそわれたところからだろう。

 返事にこまっていると、


「……なるほどですね」


 彼女はターンして、いきなり萌愛に声をかけた。

 いっしょに打ち上げしないか、って。

 そこから、なぜか安藤も割って入ってきて、近くにいた優助も加わることになった。


(おれの気のせい、だったか?)


 あのターン前の一瞬、にっ、とくちびるのはしっこにフテキな笑みが浮かんだように見えたのは。

 こうなることも計算ずみ、みたいな表情で。

 だったらプランBにしましょうか、みたいな余裕で。

 ただのサッカクなのかな。


「うまーーーっ‼」


 おれのななめ前にすわる安藤の、デカい声の感想。

 ともあれ、打ち上げはスタートしてる。会場はファミレス。人数は八名。

 正直、けっこうお金かかるんじゃないかっていう心配があったけど、日替わりランチなら500円ちょっとで食べれて、さらに末松さんは人数ぶんのクーポンももっているから、大丈夫だっていわれた。 


 もし、だ。

 もし、この〈心配〉までもオリコミずみっていうなら…………


「わぁ~、おいしいですね、別所くん」


 じつにおそろしい。

 相手にNOといわせない計画力と、放課後にまよいなくおれに話しかけてきた実行力。

 二つを合わせたら、きっとすごい恋愛力となるだろう。

 それで向かってこられたとき、おれは――


「どうかしたんです?」

「あ、いや……」


 思わず彼女を見つめていた自分に気づき、あわてて目をそらした。


(それは深読みだな) 


 と、ハンバーグをナイフで切る。

 お皿は二つあって、片方にごはん、片方にハンバーグとエビフライとソーセージとサラダ。


「あー! べっちんちがうよ。ごはんはフォークの背中にのせるんだよ?」

「えっ? そうなのか?」


 ぴたっ、と正面にいる萌愛の手がとまった。

 あいつも、おれと同じようにしてごはんを食べていたからだ。


「べつに食べ方は、人それぞれだろ?」


 おれはそのままフォークのハラにのせて食べた。

 こうしないと、あいつも気まずい思いをするからな。

 って、


(なっ!!?? おいおい……)


 しれっとのせなおす萌愛。

 そして、おれと目を合わす。


「なに? なんかモンクあんの?」


 としか読み取りようのない、ジト目でこっちをじーっとみてる。

 だが、フォークをくるっと回すと、再度のせなおした。


里居さといもなのかよ!!!」


 ずるっとコケるそぶりとともに、安藤がやかましく言う。

 そのやりとりで、あはは、と笑っているとなりの末松さん。


 で、


「これでいいんでしょ」


 という視線を、さりげなくおれに飛ばしてきた。

 けっこう、うれしい。

 たぶん10月1日のあいつなら、こんなことはしなかっただろう。

 おれへの好感度は上がってる、とみてもよさそうだ。


 あらためて座席を確認する。


 窓際の四人がけのテーブルを二つつかって、

 位置は、おれの左横に末松さん、おれの向かいに萌愛、その横に安藤。

 萌愛のすぐうしろには中山と山中がすわっていて、奥に優助と―――

 

(うわー……深森さんらしいなー)


 彼女は、ごはんをおハシで食べていた。

 おれもあのマイペース、見習いたいよ。


「来月は文化祭があるので、いい機会だから意見がききたいです」

「メイド喫茶ー‼ か、べっちんの女装カフェー!!!」

「なんでおれ限定なんだよ」

「べっちんのメイド女装カフェー!!!!」

「合体するなよ」


 まったく安藤にはタメ息がでる。


「あー……食べもの系は三年生じゃないとですね」


 と、末松さんの冷静な受け流し。


「二年は教室展示系か、舞台での出しものかなんです」

「なら、おどろーよみんなで! ミュージカルミュージカル!」

「ダンスってむずかしくないです? あまり時間もありませんし」

「いけるよね、べっちん?」

「おれは……」


 そのころにはもう転校していないんだ、ってぶっちゃけてもいいけど、

 それじゃあ、空気がわるくなるよな。


「まあ、べつに」

「なんだよそれ」しゃっ、とすばやく髪をかき上げる仕草。しかし今日もしっかり編みこんでカチューシャをつくったりうしろでまとめたりしているので、そこには空気しかなかった。「ヒトゴトみたいにさ」

「そうそう」と萌愛が会話にわりこむ。「ちゃんと考えないと。みんなでやることなんだから」

「お、おお……」


 おれは、ひそかにおどろいていた。

 この萌愛の、まるで何事もないようなナチュラルな言い方に。

 おれが文化祭の日まで、ずっといることを一ミリも疑ってないような表情と態度。


(こいつ、ダンスよりお芝居の才能のほうがあるんじゃないか?)



「じゃあ、ごちそうさまですね」



 すっ、と末松さんが立ち上がって、みんなそれにつづく。

 会計をすませて店の外に出ると、


「わりっ、ベツ。これから部活だから走ってくわ。じゃまた明日な!」

「あ、私も」


 ダッシュする優助を、早歩きで追っていく萌愛。山中と中山は二人でフラッとどっかに消えて、打ち上げは自然に解散になった。


「あーあ、私も部活か。だるー」


 両手を頭の上で組んでおおきく伸びをしている安藤に、おれは質問した。


「あれ? 帰宅部じゃなかったのか?」

「バカ言って。べっちんじゃあるまいし」


 手をふりながら横断歩道をわたって、クラスいちのお調子者もいなくなった。


「知らなかったです? あの人が何部なのか」


 ひょこっ、とおれの左側から末松さんが頭をのぞかせる。

 セミロングの髪の左右両サイド、耳の斜め上あたりでめた〈×ばつ〉のヘアピンにも、だいぶ親近感がわいてきた。


「剣道部なんです。校外でも有名らしいですよ、美少女剣士だ、って。あの髪も、お面をかぶるからんでまとめてるんだそうです」

「へー」

「本人はそれを、あまり周囲に言いたがらない」


 ぴん、と空気がはりつめたのがわかった。


「自分のキャラに似合わないと思ってるんでしょう。もしかしたら、別所くんにはできれば秘密にしておきたかったこともしれない」

「…………ですか、ね」おれから視線をはずして、深森さんのほうをみた。「それは本人じゃないと、わからないんじゃないです?」

「そう。気にしないで。ただの、かもしれない運転だから」

(運転って何っ⁉)


 ――と、思わずつっこみそうになったが、

 とんでもない。

 とてもそんな空気じゃないぞ……!


「打ち上げの目的はまだはたせていない。そんなところ?」

「い、いえいえ、目的も何も、これはたんなるレクリエーションというか」末松さんは手のひらを二つ、深森さんに向けた。

「単刀直入に言う。彼には」と、腕を組んだまま親指の先でおれをさす。「手をださないで」


 くちびるを結んだまま、わずかにアゴをひく末松さん。

 逆に、あごを上げて挑発的な角度で見下ろす深森さん。

「ありがとうございましたー」の声が、ファミレスから。

 歩道に三人。天気はくもり。風が少し強くなってきた。 


「あ……。私も部活がありますので、これで失礼します」

「にげる気?」

「えっと、もしかして、おこって……るんです?」


 と、彼女はセーラー服の赤いスカーフを指でおさえた。

 いかにもおそるおそるという表情。ふちなしのメガネごしの目は、おびえているようにも見える。


「ぜんぜん」

「それなら、安心しました」


 にこっ、とぎこちなく笑顔をつくって、末松さんは学校の方角へ歩いていった。


 しばらくその場でじっと立ちつくしたあと、


「あなた、あの子のことが好き?」


 ストレートな質問がきた。


「いや、そんなに……」

「あなたは気がついた?」

「えっ?」

「さっきの座席の位置関係が操作されていたことに、よ」


 そこからむずかしい話になる。


 まず〈シュードネグレクト〉という言葉を説明してくれた。

 これはざっくり、自分の〈左がわ〉にいる人間を重視して意識を向けやすいということらしい。

 で、〈スティンザー効果〉。

 心理的に、となりに座っている人は味方に感じて、真正面の人には敵対する感情をもってしまいがち、とか。

 だからパートナーとは、となりか、対面ならできるだけななめにずれるように、という補足までしてくれて。


「とにかく」と深森さんは組んでいた腕をほどいて、人差し指をたてた。「ヘンな気はもたないことね」

「わかってるよ」

「私にも気をつけて」

「?」


 意味がよくわからず、おれは首をかしげた。

 深森さんは黒ぶちのメガネの横に敬礼みたく手をあてて、横顔を向けた。

 いつものポーカーフェイス―――だよな?


(どことなく照れてるような……)

 

 相手に好意的なことをされたり言われたりすると、自分も好意をかえしたくなる。

『恋愛心理学』の本にそんなことを書いてた気がするけど、

 それとはちょっと、ちがう気がする。


 男女二人でいるおれたちをからかうように、車のクラクションがパパーッとうるさく鳴った。


 ◆


 夜。

 宿題をしていたらラインがくる。


「こんばんは」

「いま大丈夫です?」


 末松すえまつさんだ。 

 昼間、彼女とはファミレスで連絡先を交換していた。

 もちろんおれだけじゃない。モアや安藤あんどうとも。


「いいよ」


 と文字を打って返す。

 一分ぐらいのがあって、


「おかしな感じになって、ごめんなさい」

「打ち上げのあとの」

「どうやらカンちがいされていたようなので」


「カンちがいって?」


「私、別所べっしょくんのことは好きじゃないんです」


 ずきっ‼ と心にダメージがはいる一発。

 そんなにはっきり言う?

 まあ、おれだって……。

 おれも萌愛もあ一筋ひとすじだし……。


(とはいえ、意外とつらいな)


 このフラれた感。

 なんというか、

 かなりテンションは下がる。


(いいように考えるか。これで望まない「いかないで」をもらうことはなくなったんだ)


 うんうん、と自分をナットクさせるようにうなずく。 

 なるほど。たしかに盛大なカンちがいだった。おれも、深森さんも。

 シュードなんとかっていう恋愛テクニックも、つかってなかったんだ。


「その……」

「それで、ですね」

「別所くん、土曜日、時間あいてませんか?」


 なんだ? と思いつつ、「一応あいてるけど」と返信。


「買い物につきあってほしいんです」

「勝手なお願いなんですが」


「ほんとに勝手だね」と、おれはイチかバチかで打ち返してみた。

「ごめんなさい」と、すぐくる。ゲキハヤだった。 


「私にも幼なじみの子がいまして」

「彼の誕生日に、なにかおくろうかなって」

「男の子目線で意見がききたいんです」

「おねがいします!」


 おれは、しばらく目をつぶって考えた。

 残り時間はすくない。とくに学校が休みの土曜日と日曜日は、もう一日だってムダにはできないんだ。

「わるいけど」と、おれは返事するつもりだった。


 でも―――



「ずっとその幼なじみのことが、好きだったんです」



 ―――ほっておけなかった。その最後のメッセージが決め手になった。


 土曜日。

 末松さんは、いつものヘアピンをつけてなくて、なんとメガネもしていない。


(オトナだな……)

 

 ファッションも。

 ベージュ系の服の上に、それと近い色の肩のあたりがシュッと細いランニングシャツみたいな服を合わせていて、下は暗い赤色とグレーのチェックの長いスカート。

 それと手にもったハンドバッグ。

 濃いめの茶色でかわでできてるっぽくて、やばいくらいオトナだ。


「いきましょうか」


 はい、と敬語がでそうになった。

 いかん。

 これじゃ、完全に向こうのペースじゃないか。


(おれだってデートははじめてじゃないんだ)


 そう。

 ああいう格好をした、萌愛と遊んだことが…………



「コウちゃんとだったら、いっしょに歩いてるだけで楽しいよ」



 駅前。

 まわりが丸い大きな噴水があって、おれたちの真後ろにあたる場所に、おめかししたモアが立っている。

 まちがえようがない。

 あの服、あの身長、わずかにのぞく顔の部分。

 誰かをまっているようだ。


「別所くん? どうかしたんです?」

「あ、ああ、いや、べつに」


 ループがはじまって以降、最高に「べつに」じゃない「べつに」だった。

 それは心にもないコトバで、

 ドキドキしながら、

 見守っていると、


(―――あっ!!!)


 駅の改札口から向かってくる背が高い男が手をあげた。

 あれは萌愛と同じダンス部の的場まとばだ。萌愛に告白したヤツ。



「まったか?」



 うるさいぐらい水がふきだす音が流れる中、その一言ははっきりとききとれた。

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