第32話 犬も歩けば棒に当たる

 いま確実にドン引きされた。

 とっさに「あっ!」と思ったが、もうおそかったんだ。


「これは……お、おれが設定したんじゃなくて……」


 二人でいっしょに見つめている視線の先にはスマホ。

 その画面に、くっきりと表示されている文字は――



 ――「モアちゃん♡」



 幼なじみに「ちゃん」づけして、しかもハートマークつき。

 場所は公園のベンチ。天気はくもり。時間は夕方。


「キっ……キモいんだけどっっっ!!!」


 散歩中の人と犬が「ん?」とこっちに同時に顔を向けた。

 おれの目の前には、なぜか飯間いいま翔華しょうか。白いシュシュがトレードマークの、クラスのアイドル的存在。

 自分を抱くように腕をクロスして、上下にさすっている。

 いまさら、この名前は姉キがふざけて入れたんだと言いのがれしても、手おくれっぽい。


(まいったな……)


 10月8日。

 今日、授業が終わった教室で、



「彼女に電話を」



 とすれちがう一瞬のタイミングで言ったきり、深森ふかもりさんは行ってしまった。

 まるでスパイのやりとりだ。

 彼女、っていうのはもちろん萌愛もあのことだろう。

 電話、っていうのはおそらくフォローしておくように、ということだと思う。


 いまクラスに出回ってる二枚の画像のせいで、あいつとの関係が最悪になってるからな。

 おれたちは、おとといから会話がまったくない。

 さっきも、こっちを気にするそぶりゼロでダッシュで下校していったし。

 こんなんじゃ、絶対に「いかないで」なんて口にしてもらえない。


 電話のシミュレーションをしながら、おれは長い距離を歩いた。

 それこそ、足が棒になりそうなぐらい。

 気がついたら、ここ―――翔華とのデートを勝ち取った公園まで来ていた。

 公園の手前で、偶然そこにいた彼女に「なにやってんの?」と声をかけられて、今にいたっている。


 ともあれ、


 おれは、今回で最後のループにしようと決めている。


 全力で引きとめてもらいたい相手は、萌愛一人だけだ。


(いくか)


 ひいてる翔華をよそに、おれは受話器のマークをタッチ。



「なに」



 フキゲンをかくそうともしないブスっとした声。

 しかし意外にも、サッと出てくれたのは助かる。


「モア……じゃなくて里居さといさん。す、すぐ終わるから話をきいてくれ」

「……」

「まず、あの金曜日のラブレターはな、ウソなんかじゃないんだ。もちろん、からかうのが目的でもない。そこだけは信じてくれ」

「……」

「おれと深森さんが二人でうつっていたのが気になってるんだろ? そこは、ちゃんと理由がある」

「理由~~~? あのさぁ、つきあってもいないのに二人っきりであんなお店で……」

「きけって。おれな、彼女に恋愛相談にのってもらってたんだ」

「恋愛相談?」

「それならナットクできるだろ?」

「まー…………たしかにアンタとじゃ、圧倒的に不釣り合いだもんね」

「おいおい」


 ぷっ、と電話の向こうで笑ってる感触があった。

 いい傾向だ。

 心の中の深森さんも、一回、力強くうなずいてくれた。


「とにかくラブレターだけは本気で書いたヤツなんだ」

「はいはい。わかったから」

「じゃ、じゃあ、今度の週末……よかったら、おれと……」

「でもさ、そもそもなんで相談しようと思ったわけ?」


 むっ‼

 けっこうクリティカルなトコをついてきたな。

 教室だと深森さんはおとなしい女子だから、なるほど〈恋愛〉のイメージはない。


「っていうか、いつのまに仲良くなったの。ねえ」

「お……おお」

「『おお』じゃないでしょ。いつから? どっちから話しかけたの? それ何月ぐらいの話?」


 グ、グイグイこられてるぞ。

 いや、たぶんこれは問いめられてるんだ。

 答えをミスったら「いかないで」がグンと遠ざかる、やばい予感。


「…………あ」

「えっ、どうしたんだモア……じゃなくて里居さん」

「お母さんに呼ばれた。ちょっとまってて」


 だだっ、という足音を残して、スマホが静かになる。

 これはチャンス――か?


飯間いいまさん!」

「なっ!!?」セーラー服の肩がびくっと上がった。彼女はおれから興味を失って、スクールバッグをゴソゴソしてる最中さいちゅうだった。「えっ⁉ なに?」

「質問があるんだ。どういうヒトだったら、恋愛相談したい?」

「はぁ~~~~⁉」とあきれたように言うその表情が、幼なじみのそれと似ていた。「意味わかんないんだけど」

「はやく。はやく!」

「なんでかすのよっ!」


 おれたちのテンションに合わせたように、救急車のピーポーピーポーの音。

 向こうの道を、右から左に走り抜けて行った。


「たのむ。ぱっと思いついたヤツでいいから……」

「んー」翔華は人差し指を口の下にあてる。「それはやっぱり、経験でしょ。実際にモテて、たくさんつきあってきたって人だったら、話をきいてみたい気もするよね」


 いける。

 おれはそのアイデアをかりることにした。



「うっそ!!??」



 ふだんの深森さんのイメージとのギャップに、萌愛はおどろいたようだ。

 それほど衝撃的だったのか、電話も切られてしまった。たぶん、まちがえてタップしたんだろう。


(かけなおす、か?)


 ま……今日はやめとこう。


 多少は好感度も持ち直したはずだし、『男女の関係には時間が必要なときもある』って、あの本にも書いてたしな。


 さて、かえ――――



「別所くーん? どーこいくのかなぁ?」



 がしっ、と手首をつかまれた。

 立ち上がろうとした姿勢が、中途半端なところで止まる。


「え?」

「助けてあげたんだから、ゲームにつきあってよ」


 じゃん! と言ってもう片方の手でつかんでいる2台のゲーム機をおれに示した。

 顔はニッコニコ。

 ドラマのワンシーンかと思うほど、かわいさが現実ばなれしている。

 実際、4回目のループを体験していなければ、おれはここで淡い恋心をいだいていたかもしれない。


(ボコる気マンマンなんだろーな……)


 もちろんリアルなケンカじゃなくて対戦格闘で。


(適当につきあうか。おれ弱いから、すぐにあきるだろ) 


「あれ? ねぇキミ、このゲームやったことあんの?」

「まあね」


 まよいなくキャラセレクトしたおれを、翔華がフシギがっている。


「誰とやったの? 友だち?」

(いま目の前にいる女の子と、だよ)


 さて当然、



「よっわ」



 おれは勝てない。

 体力をあらわす画面の上の黄色い棒は、あっというまに消えてなくなった。


「なんか強いヤツのオーラ出てたのに。めっちゃがっかりじゃん」

「はは……ごめんごめん」 


 しかしあのときは、よく勝てたもんだ。

 ズルでもしないと、どうにもならなかった。

 ちょうどあのあたりを見ながら、「みんなが見てる!」って叫んだんだっけ。

 みんなが……

 え……

 あれは……


「きゅ、急用おもいだした!」


 だだーっ、とベンチから立ってダッシュ。

 ちょっと、とうしろで彼女が怒ったような声をだす。


(いま誰かがいた!)


 電柱に身をかくすようにして、こっちをうかがってたんだ。

 よっぽど用心深いのか、肩から上はほとんど見えなかった。

 だが女子の制服だったことは確実。当然、うちの学校のだ。


(女子って……誰だ?)


 スッ、と人影が曲がりかどの向こうへ消えた。かどの、家の囲みの灰色のブロックのところで、スカートらしきものがたしかに動いた。


(せめて後ろ姿だけでも……っ!)


 それだけわかれば、大前進だ。っていうかほぼ犯人がわかるといっていい。

 犯人っていう強い表現をしてるのは、たぶんあいつはクラスに画像――萌愛と不仲になりかけた写真――を広めたヤツでまちがいないからだ。

 はぁ、はぁ……。

 サッカー部をやめてなかったら、もっとはやかったと思うけど……。

 このコーナーを曲がれば、


(わっ!!!)


 おれは、おもいっきり地面にダイブした。

 ずでーん、と音がつくダサいヘッスラ。

 曲がってすぐ、なぜかそこにころがっていた棒に当たってつまずいたんだ。

 野球のバットを細くしたような木の棒。 


(……)


 顔をあげても、おそかった。視界には誰もいない。

 かすかにのこが……なんてあるわけないか。あっても、おれは犬じゃないんだし。


(今回だけは、まじでやばいかもな)


 三枚目をられた可能性がおおいにある。

 公園のベンチで仲良くしてる(ようにみえる)おれと翔華のツーショット。


 それが萌愛の目にふれたら、おそらくゲームセットだろう。


 ◆


 次の日。10月9日。木曜日。



「おはよ」

「えっ?」



 靴箱のところで偶然顔を合わせたら、あいつから声をかけてきた。


「ああ、おはよう。モア……じゃなくて里居さといさん」

「はあ~」ため息をついて「もういいよべつに、モアでもなんでも」あきらめたように言った。

「ほ、ほんとか?」

「でも教室でだけは、や、め、て、よね」


「やめて」のとこで、おれにまっすぐ伸ばした人差し指を三回タテにふった。

 表情はフラットで一見感情がなさそうだが、なんとなくキゲンがいいのはわかる。


(ということは、流れてないのか? 〈三枚目〉は)


 念のために優助ゆうすけにも確認したが「ないと思うぜ」との返事。


 おれは胸をなでおろした。

 文字どおり、スッと学生服ごしに上から下に。


 とたんに気持ちがかるくなる。

 まだ20日も残っているし、相手は気心のしれた幼なじみだ。

 ヘンにさくをめぐらす必要もない。ただスナオにいけばいい。


(とはいっても――)


 やっぱり不安がある。

 ここはいっぺん、基本にもどろう。


 おれの〈教科書〉を読み直すんだ。

 ふたたび、『恋愛心理学』の本を。


(……あれ?)


 ないぞ。

 教室から図書室に移動したんだが、あるはずのところにあるはずの本がない。


 

 ――「おはよ。べっちん」



 あ。思い出した。あれ、安藤あんどうが持ってるんだっけ。

 似たような本でも……と思ったが、あいにく本棚には恋愛心理学系の本はまったくなかった。

 しかたない。最悪、安藤に頭を下げればなんとかなるか。


「別所くん」


 よくとおるクールなんだ声。

 ふりかえると、おれは目がくらんだ。

 キラキラした朝の光。風にゆれる半透明のうすいカーテン。細くてスタイルのいい体に、よごれひとつないセーラー服。胸元で火のようにゆらめく赤いスカーフ。意味ありげに、おれのほうに伸ばした右手。

 絵だコレ。ばっちり。すべてがキマりすぎている。


深森ふかもりさん」


 まるで時間がとまったようだった。

 世界には、おれたちしかいない、みたいな。

 実際、たぶん今の図書室には、おれと彼女しかいない。


 夢のようだ。

 にこっ、と微笑む彼女。

 ただ棒立ぼうだちしてるおれ。


 そして――――



(なにーーっ⁉)



 右手を〈いいね!〉の形にしたかと思うと、

 ソッコーで上下ひっくり返して、

 親指の先を地面に向けたまま、ごおっ、と垂直に打ちおろした。


「え? え?」

「別所くん! あなた、彼女に何を言ったの⁉」


 そこで少しピンときた。


「モアとの電話……だよな。ってことは」

「くっそ広まってるから! クラスで! もう!」


 知的な顔立ちの深森さんの口から「くっそ」。

 なかなか衝撃的だが、それどころじゃないな。


「ごめん……ちょっと、コチョーしすぎた、かも」

「しすぎしすぎしすぎ!」


 言いながら、こっちにズンズンつめよってきた。

 でもって、がっしり腕を組む。いつもの彼女のポーズだ。


物事ものごとには限度ってものがあるでしょ!」

「そ、そうですね」

「なんなの経験人数三十人っていうのは!!? 14歳でそんなわけないからっ!!!!」


 昨日の公園にて。

 おれは電話で――いきおいにまかせて――萌愛にそう伝えてしまった。

 経験が多ければ多いほど、説得力があると思ったからだ。


「話の流れっていうか、なりゆきで……」

「あーーーっ、ほ!!!!」


 かつてない声量の「あほ」だった。

 それだけアタマにきてるってこと。

 でもなんか、まじっぽくないというか、どことなく友だち同士のノリという気もしている。


「ま……まあまあ、どうか落ちついて」


 無言で、ぎろっとおれにをにらむ。


「あんまキレると体に良くないから――」


 すう、と小さく息をすう音がきこえた。

 やば。またスイッチはいった? なだめるの逆効果だった?


「…………あなたが」

「えっ」

「あなたが私をビッチにするからでしょ!」


 おれは反射的に言い返す。


「ふ……深森さんはビッチじゃないよ!」

「そんなのわかってるっ!!!」


 しーーん、とそこで静かになった。

 深森さんはメガネに敬礼のように手をあてて、ゆっくり首をふった。


「はぁ、私の静かな学校生活が…………」

「ごめん」

「あやまられても、ウワサは消えてくれない」


 そこまで言うと、彼女は教室にもどってしまった。


(たしかに盛りすぎたな)


 おれは深く反省した。

 ただ、彼女にはわるいが、おかげで萌愛との関係はいい方向にいった。

 これでループをちゃんと終わらせられたら、深森さんもきっとわかってくれる―――と思いたい。 


 放課後。


 おれはアテもなく校内をぶらぶらしていた。

 ぶらぶらというか、ぐるぐるというか、とにかく歩いてる。

 考えてるんだ。つぎの一手を。


(とりあえずデートにさそわないとな)


 萌愛を……あ、あの子の髪型あいつに似てる。

 サラサラのショート。

 自転車置き場のハジのほう。あまり日の当たらないすみっこのあたり。

 あの二人カップルか? 恋人っぽい男女で向かい合って……



里居さとい



 その声でおれは足をとめた。

 急いでしゃがんで身をかくす。


(里居? じゃ、あの子はやっぱり萌愛なのか?)


 自転車よりも体を低くして、じりじりと近づいていく。

 すると棒読みぎみに、男のほうがこう言ったのがきこえた。


「好きだ。つきあってくれ」


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