第一節 人として生きる
第三話 覚 醒 (かくせい)
「お、お前なあ……!! いきなり人様の顔べたべた触ってんじゃねえよ!!」
黄白の地に黒の縞模様の被毛の男は、尻もちをついたまま驚きといぶかしみの入り交じった声を上げた。
その顔に触れようと上体を乗り出していたため、男に急に飛びのかれたことで重心を欠いた身体は大きく前方へと泳ぐ。
支えを失って倒れ込みそうになるところを、男は自らの身体を滑り込ませる形で受け止めてくれた。
「——っと! おい、お前! 大丈夫か!?」
起き上がった少年はうろたえる男を気に留めることなく、再び彼の顔に手を差し伸ばす。
その広く厚い胸板に手を掛け、鋭い眼光を放つ瞳を食い入るように見上げる。
半ば無意識的に距離を縮め、気が付けば男の眼前まで詰め寄っていた。
「な——」
少年はそのまま顔を近づける。
額がその鼻先に触れるか触れないかの距離まで接近したところで、男ははねのけるようにして大きく頭を振った。
「だから、やめろって言ってんだろ!! お、おわっ——!!」
男が身をよじるようにして頭を振ったことで、二人は勢いよく額を打ち付け合う。
激しい衝撃ともに頭の中にごんという重苦しい音が響き、次いで鈍い痛みが襲ってくる。
少年は左右の手で頭を抱え、その場に力なくうずくまってしまった。
「痛ってえ……!! だからなんなんだって——」
額をさすりながら煩わしそうにこぼす男だったが、頭を抱えて倒れ込む少年を目にして即座に表情を切り替える。
「だ、大丈夫か……!?」
少年は額に片手を添えたまま身を起こし、取り乱した様子で自身を見下ろす男を見上げた。
痛いは痛いが耐えられないほどではない。
それよりも今は尋ねたいことが山ほどあった。
ここがどこなのか。
なぜ自身はこの場所にいるのか。
何か自身のことを知らないか。
溢れる思いを伝えるために口を開こうとするが、やはり言葉は出てこない。
質問の代わりとばかりに、うなるような音を立てたのは口ではなく腹だった。
調子はずれの腹の音を聞き、男はあきれたように表情を緩める。
「なんだ、お前腹減ってたのか」
苦笑気味に言うと、立ち上がった男は背を向けて歩き出す。
転がった岩々に交じって放置されていた木箱の残骸の前で立ち止まり、それを覆っていた麻製の幌を無造作に剥ぎ取った。
戻った男は手にした麻布を少年の頭に押しかぶせる。
「食わせてやるよ、飯」
屈託のない笑顔を浮かべて言うと、男はぼうぜんと見上げる少年に対して厚みのある掌を差し伸ばした。
「歩けるか?」
男は無遠慮な手つきで少年を引き起こすと、麻布の端を身体の前で合わせながら言う。
少年はその顔を見上げてうなずき、男の手から離れて一歩を踏み出した。
左右の足を交互に持ち上げて前へ進む。
もう慣れたと思っていた一連の動作がいやに難しく感じられ、気付いた時には重心を失った身体はぐらりと傾いていた。
「——よっと」
倒れかけた身体を、男の伸ばした手が支える。
「ったく……仕方ねえなあ」
諦めたように小さく嘆息すると、前方に進み出た男は背中を向ける形でその場に膝を突く。
「ほら——乗れよ」
後方に向かって、男は背中越しに言う。
その意味するところを測りかねて立ち尽くす少年に対し、彼は催促するように顎をしゃくってみせた。
恐る恐るその背に身を預ける。
完全に体重を乗せ切っていないところで男が立ち上がったため、とっさにその首に両手を回して身体を支えた。
両手を後方に回した男は、一度身を揺すって少年の身体を担ぎ直す。
歩き出そうとしたところで足を止めた彼は、遠巻きに成り行きを見守っていた人々を鋭い一瞥をもってにらみ付けた。
「何見てんだ」
すごみを利かせた一喝によって、その場に集まっていた人々は散り散りに逃げ去っていく。
「ち」と面白くなさそうな舌打ちをして彼らの後ろ姿を見送り、男は再び歩き出した。
不規則な揺れに加えて、毛足の長い首回りの毛に鼻先をくすぐられたことが原因か、男の背に負われて進むうち少年は不意に眠気に襲われる。
そのまま眠りに落ちてしまったのか否かもわからず、どれくらいの時間が経ったのかも定かではない。
気付いたときには辺りの風景は、先ほどまでの岩山から一変していた。
多くの建物が立ち並ぶ往来、そこには姿形の異なる多種多様な特徴を有した人々が行き交っている。
身体の大きい者に小さい者、太い者に細い者。
背格好や体格、毛色も百人百様千差万別な人々の姿が目に飛び込んでくる。
「珍しいか?」
男は前を向いたまま口にする。
忙しなく辺りを見回していることに気付かれたのだろう。
「ここにはよ、大陸中からいろんな奴らが集まってきてる。ひと山当てようって意気込んだ鼻息の荒い
男はあざ笑うように鼻を鳴らす。
「集まってくんのは堅気で生きる気なんか頭っからねえようなあぶれ者にならず者、はみ出し者や荒くれ者ばっかだ。おおかたは大した害のねえ奴らだが、中には他人の足すくってやろうって機をうかがってる連中もいる。お前もあんまり簡単に人のこと信用すんじゃねえぞ」
そこまで言って背中を顧みた男は、口元をゆがめて自嘲気味に笑った。
「ま、俺もご同輩ってやつだけどな」
周囲をうかがう少年の表情から不安そうな色を感じ取ったのだろう、続けて男は笑い飛ばすように言う。
「そんな珍しいもんでもねえさ。この町にいりゃあ嫌でも顔突き合わせることになっからよ。んなことより——」
正面に向き直った男は、顎先で一軒の建物を指し示しながら言った。
「——まずは飯だったよな」
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