第39話


 日が沈み暗くなった夜の海を、船は港へと戻って行った。襲ってきた男達とフランク、プリシラ、ロドリックは纏めてデッキ下の部屋に閉じ込めて、ラーナが見張りをしている。船を操縦しているのはエドワードだ。


 キャシーはラーナ達が乗ってきた船を、ジルは小舟を使い岸に向かっている。人目につかない場所から丘に上がる予定だ。


 ナディアとイーサンは二人デッキの端に立ち、空と海の境目がなくった景色を眺めていた。もうすぐ港に着く。イーサンは外していた眼帯をつけた。


「イーサン様、私、貴方が眼帯をつけずに街を歩けるようにします。そして、その隣を一緒に歩きた……」


 そこまで言ったところで、唇に指が押し当てられた。突然のことに目をパチパチするナディアにイーサンは苦笑いを浮かべる。そして、先程つけたばかりの眼帯を外した。


 ナディアの前に跪くと、左手を掬い上げた。

 月明かりの下、青い瞳は海のように静かに、黄色い瞳は月のように金色に輝いている。


「ナディア、俺と共に生きて欲しい。妻として永遠に側にいてくれないか?」

「……はい」


 ナディアは紫色の瞳を細めふわりと笑った。その瞳が月明かりの下で少し潤んで見える。イーサンは、笑みを浮かべながらナディアを抱き締めた。


「イーサン様、私の服は返り血で汚れています」

「気にするな、俺も同じだ」

「血のついたウエディングドレスで求婚されるとは思いませんでした」


 ナディアの言葉にしまった、とイーサンは慌てて身体を離す。


「すまない! 場所を改めてもう一度……」

「いいです!! こういうのは一度だけだから価値があるのかと。それよりひとつ、伺ってもよろしいですか?」

「何でも聞いてくれ」


 ナディアはイーサンの頬を両方の手のひらで優しく包んだ。


「イーサン様が家族を持ちたくないのは、自分と同じ瞳を持つ子供が産まれるのが怖いからですか?」


 ナディアの問いにイーサンは黙ってその瞳を閉じた。


「もし、イーサン様と同じ瞳を持つ子供が生まれたら、その時は子供もイーサン様も私が守ります! だから怖がらないでください。大丈夫です、私が常に盾となりますから」


 自分がした求婚の言葉を上回る、勇ましい愛の言葉にイーサンは苦笑いを漏らした。


「……ありがとう、ナディア。俺はお前には一生敵いそうにないな」


 イーサンは自分の頬に添えられた細い指に触れ、その手を優しく握ると指先に口づけをした。


 そして再びナディアを強く抱きしめた。ナディアはその背中に手を回す。


「ここが私の居場所です」

「あぁ、そして俺の居場所だ」


 月明かりで作られた二人の影がゆっくりと重なり合った。




▲▽▲▽▲▽▲▽


 五年後、聖霊祭。


「お父さま、あれ食べたいです!」

「お父さま、向こうにあるジュースが飲みたいです!」


 四歳になった双子の息子と娘に両手を違う方向にひっぱられ、イーサンは眉を下げ困ったようにナディアを見る。しかし、その青と黄色の瞳は嬉しそうに細められ、精悍なはずの顔は締まりなく笑っている。


「分かった、分かった。では、あのソーセージを買ってからジュースを買おう。おっ、麦酒もあるか」


 ひとまずソーセージの屋台に向かおうとしたところで、いきなり大勢の子供に囲まれた。


「イーサン様だ」

「アーロン様とリズ様もいらっしゃる」


 口々に名前を呼びながら、きらきらした目を向けてくるのは孤児院の子供達。


「こら、あなた達。公爵様にこちらから声をかけてはいけません! 離れなさい」


 背の高いシスターが慌てて走り寄ってきたのをイーサンは手で制した。


「花火を見にきたのか?」

「はい。シスターが連れてきてくれました」

「いい子にしてたからご褒美です」


 ニコニコと笑う子供達の瞳に恐れの色はない。イーサンは子供達の頭を撫で一通り話をすると双子の手を取りソーセージの屋台を覗いた。


「公爵様。こんな場所にありがとうございます」

「子供達に小さいのを二つ、それから大きい物も二つくれ」

「はい、かしこまりました」


 店主が緊張しながらソーセージを手渡す。


「商いで困っていることはないか?」

「いえ、ございません。公爵様が来られてから関税が下がり、異国からの観光客も増え商売は右肩上がりです。皆、公爵様には感謝しております」


 少し太った店主が、頬を揺らしながら答えた。子供達と同じようにその瞳に怯えの色はない。


 イーサンは小さいソーセージを子供達に、大きいのをナディアに渡した。


「眼帯をせずに、太陽の下を歩ける日が来るとは思っていなかった。ナディアのおかげだ」

「全てイーサン様のお人柄です」


 始まりは孤児院だった。教会の不正を正し、孤児院を独立させ、その生活環境をあげたことに、彼等をずっと世話してきたシスターが心を開いた。悪魔と同じ瞳を持つイーサンを教会関係者が受け入れたことは大きかった。

 ナディアとイーサンは積極的に孤児院を周り、無垢で適応力の高い子供達は、イーサンをすぐに慕い始めた。


「海と月の瞳を持つ、賢く優しい公爵様」


 子供達がくったくのない笑顔でそう言いながら、高い高いをしてと短い両腕を上げた。


 異国と関係が深いイーサンは、ルシアナの貿易を活性化し、観光産業にも力を入れた。ルシアナで取れる魚介類は干され加工されたものが輸出された。今まで干して加工をしたことがなかったので、新しく加工場所を作り働き口を増やした。


 公爵邸から海へと続く、なだらかな坂に立ち並ぶ白壁に青い屋根の街並みは、ルシアナ独特のものだ。

 その上に立つ公爵邸も含め、夕陽の時間には赤と青と白のコントラストが美しく、絵画のようだと人気の観光地になった。

 お土産としての一番人気は、薬にもなる白水晶もどきだ。


 国は潤い、異国の文化と価値感が入ることで、イーサンの瞳を海の魔物と呼ぶ者は減っていった。もちろん恐れる者もまだいるけれど、そういう時はナディアが架け橋となった。


 ナディアの実家は、父、母、プリシラを幽閉し一度ナディアが当主となったあと、公爵家に吸収された。これはすぐに辺境伯家を取り潰すとナディアが平民になってしまうので、それを防ぐためだった。そのあと、全員処罰を受け今は教会の横の墓地に眠っている。


 辺境伯の直轄兵は公爵が持つ兵とともに、公爵邸の寄宿舎で暮らしている。しかし、そこにアンディはいない。港で荷夫をしているのを見たという噂があるけれど、真偽は分からない。





「お母さまも麦酒をのみますか?」


 ナディアと同じ紫色の瞳をしたアーロンが、葡萄ジュースを飲みながら聞いてくる。


「お母さまは、サラにミルクをあげないといけないからジュースしかだめだよ」


 空のように青い瞳で、リズがナディアに檸檬ジュースの入ったコップを渡す。

 ナディアの腕には産まれて半年の赤ちゃんがいた。赤ちゃんを抱くナディアの指にはブルーサファイアとイエローダイヤモンドが並ぶ指輪がつけられている。


「寝ているのか?」

「いえ、先程起きました。ほら、笑っています」


 イーサンとナディアは、絹のおくるみに包まれた末娘のサラを覗きこんだ。二人の顔を見たサラは、海のように青い瞳と、輝く月のような黄色の瞳を細めふにゃり笑った。


 その笑顔に、ナディアがイーサンを見上げる。


「天使のようです」

「あぁ、そうだな」


 風に靡くナディアの黒髪を、イーサンが愛おしそうに触れ耳にかけると、足元で子供達が笑い声をあげる。


「仲良しだ」

「アーロン、違うわ。ラブラブって言うのよ」


「……リズ、そんな言葉誰に教わったんだ?」


 頬を引き攣らせるイーサンに向かって、リズはその背後を指差した。イーサンが振り返えると、ポップコーンを頬張るラーナとキャシーの姿があった。片方ずつ手を合わせ、二人でハートの形を作り笑っている。


「……ナディア、あの侍女達はどうにかならないのか?」

「最近では、子供達に剣と弓矢を教えていますよ」

「待て、聞いてないぞ!」


 眉を下げるイーサンの隣でナディアはクスクス笑う。その声に反応したかのように、サラがキャッキャッと声を上げた。


 二人はお互いの顔を見合うと、微笑みあった。


「イーサン様、私幸せです」

「あぁ、俺もだ。こんな日が来るとは思わなかった」


 イーサンはサラの額に優しく口づけをした後、ナディアの額にも唇をつけた。


 夜が近づき、風が海から吹き始めた。


 見上げると、濃紺の空に黄色い月が綺麗に輝いてた。

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悪魔に嫁いた私の幸せな物語 @KOTONOHA5

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