第35話


 結婚式 一週間前


 真っ白なウェディングドレスがナディアのもとへ届いた。といっても部屋に届いた訳ではない。公爵邸の庭にある教会の一室が花嫁の控室となっているので、そこに用意された。

 サイズに問題がなければ、このまま式まで控室に置いておくことになっている。


 ナディアが少し躊躇いがちに生地に触れる。


「ナディア様、調整をいたしますので御試着ください」


 仕立て屋の女性達に促され着ている服を脱ぐと、少し緊張しながらドレスを身に纏った。


 ホルターネックのシンプルなAラインのドレスだ。首元からデコルテにかけては細かなレースになっていて、裾はふわりと控えめに広がっている。


 ナディアの細く引き締まった身体によく似合っていた。一見、シンプルすぎるようにも見えるけれど、ドレス全体に銀糸で細かな刺繍が施されているので、一目で高価と分かる品だ。


 その洗練された華やかさに、部屋にいたスザンヌだけでなく、ラーナでさえ思わずほぉっとため息をもらした。


「苦しいところはございませんか?」

「いいえ、まったく」


 にこりと微笑みながら、太腿あたりの余裕を確かめている。


「ナディア、もしかして帯剣するつもりじゃないでしょうね」


 その様子を見てラーナが耳元で囁く。


「もちろんそのつもりよ。いつ狙われるか分からないし」

「衛兵、いっぱいいるから。私もいるから」

「でも、イーサン様の一番近くにいるのは私だからやっぱり持っておいた方がいいと思うの」


 自分を守るためではなく、イーサンを守るために持つようだ。ラーナは、いい加減守られる側になったと自覚して欲しいと思いながら、それは無理かとあっさり諦めた。それに、確かにその方が心強いか、とも思う。


「スザンヌ、脱ぐのはラーナにしてもらうから仕立て屋さんをイーサン様のもとにご案内して」

「畏まりました。ではラーナ、ハンガーをこちらに置いておきます。くれぐれも汚さないように」


 スザンヌはじとりとラーナを見て念を押すと、仕立て屋と一緒に部屋を出ていった。イーサンは自室で着替えることになっているのて、公爵邸までの案内が必要だ。



 控室に残ったのはラーナとナディアの二人。ナディアは早速剣を太腿につけると、鏡の前でくるりと回る。


「いいんじゃない?」

「そうね。パッと見、帯剣しているとは分からないわ」


 ナディアがドレスの動きやすさを確認するかのように、しゃがんだり跳ねたりしている扉を叩く音が聞こえた。


 ラーナが扉を開けると、困った顔のフランクがそこにいた。ナディアのドレス姿を先にフランクに見せるわけにはいかないので、ラーナは廊下に出る。


「どうしましたか?」

「実は先程、公爵邸にプリシラ様が来られまして。ナディア様はドレスを御試着されているので帰るようお願いしたのですが、だったら尚更会いたいと言い張られて……」


 眉を下げフランクが振り返った先には、ピンク色のドレスを着たプリシラがいた。


「お姉さまはこの中ね。あなた達はいいわ、結婚前に姉妹の時間を持ちたいから。そうだ、ラーナ。お茶を用意して持ってきてちょうだい」

「……畏まりました。ただ、お茶は公爵邸にありますので少し時間がかかります」

「かまわないわ。それからフランク様、このワインをイーサン様にお渡ししてください。義妹からの結婚祝いですわ」


 プリシラは強引にフランクにワインを手渡すと、ラーナを押し退け部屋に入っていった。


「お姉さま、お久しぶりです」

「プリシラ……突然どうしたの」


 聖女のような微笑みを浮かべながら、プシリラはずかずかと部屋に入り、ナディアのドレスに触れた。


「綺麗なドレスですね。銀糸が贅沢にあしらわれていて、とっても高そう」


 ナディアはドレスを軽く掴むと、プリシラの手から離れるように一歩下がった。


「一人できたの? お父様やお母様は?」

「お二人とも式当日には来られるわ。それより、お姉さまがつけているネックレスはダイヤモンドね。私、そんな大きなダイヤモンド初めて見たわ」


 プリシラが一歩近づく。ナディアは引き攣る口元でにこりと笑うと一歩下がる。それほど広い部屋ではない、あと数歩で背中が壁にぶつかる。


 プリシラの顔からフッと笑顔が消えた。目が据わり、紫色の瞳が冷たく光る。


「お姉さまは小さい時からいつもそう。縫いぐるみも、お菓子も、ドレスも、私が欲しいと思ったものは全てお姉さまのものになるの」

「何を言っているの? 私に与えられたものは全て、あなたのものになったじゃない。あなたはいつも私から奪っていった」

 

 「だって」というとプリシラは何がおかしいのか、クスクスと笑い始めた。こんな時でさえ、鈴を転がすような可愛い声がでるのかと、ナディアは冷めた目で見る。


「だって、私の方が似合うんですもの。仕方ないではありませんか。でも、せっかく手に入れても、さらに素敵なものをお姉さまは手に入れてしまうのですから、ずるいと思いませんか?」


 ずるいも何も、ナディアは何も与えられていないし、手に入れたものはことごとく奪われていた。


「公爵夫人の座だってそう」

「それは、あなたがイーサン様に嫁ぐのが嫌だと言ったから。私はあなたの我儘に振り回されてここに来たのよ」


「だって噂を聞いて怖くなったんだもの。それなのに婚約披露パーティーでお会いしたイーサン様はすごく優しそうだったわ。そうと知っていれば、私が嫁いでいたのに」


 プリシラは手を伸ばすと、ぐいっとナディアのダイヤモンドのネックレスを引っ張った。


「このダイヤモンドも私のものになるはずだった。それに私の方が似合うわ。お姉さまもそう思うでしょう?」


 そう言うとナディアの背後に周り、ネックレスを外そうとする。


「いい加減にしなさい! その手を離し…………」


 振り返ったナディアの口を、プリシラ が布で押さえた。ツンとした薬品の匂いが鼻をつく。

 足に力が入らず、崩れ落ちるようにしてナディアは床に倒れた。もやがかかったような頭にプリシラの妙に甘い声が響く。


「お姉さまが悪いのよ? いつも私より素敵なものを手に入れるんですもの」


 気を失う寸前、革靴の足音と扉を開く音が微かに聞こえた。

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