第33話


 次の日の午後、鉱山のある街から公爵邸に戻る馬車の中で二人は流れる景色を見ていた。



※※・・※※

 イーサンの身体が充分に動けるようになるのを待ってから、辻馬車を拾い公爵邸に戻ったのは次の日の早朝だった。


 ぼろぼろの状態で屋敷に戻った二人を見るなり、使用人達は慌てふためいた。薬箱を用意する者、医者を呼ぶ者、湯を沸かす者、着替えを用意する者……屋敷中が騒然となった。


 ナディアはひとまず矢傷に軟骨を塗り湯に浸かることにした。


 イーサンはフランクを呼ぶと、昨晩の出来事を説明した。


「とにかくご無事で何よりです。私は今から衛兵に事情を説明しに行きます。もうすぐ医者が来ますので、イーサン様は屋敷にいて手当を受けてください」

「あぁ、分かった。それから午後には公爵邸に戻るので準備をしろ」


「今日ですか? 予定では明日だと」

「また襲われるかも知れないだろう。道を塞いでいた岩はどけたと連絡はきているから馬車を用意してくれ」


 フランクは分かりました、と言うとすぐにその場を立ち去った。

 

 イーサンの身体には痺れがまだ残っていたし、ナディアも足を痛めていた。だから多少時間はかかるけれども、馬車で峠を越えることにした。



※※・・※※


 馬車が大きくガタンと揺れ、イーサンが少しバランスを崩した。まだ痺れは取れていないようだ。


「お身体は大丈夫ですか?」

「あぁ、解毒薬も飲んだから問題ない。ナディアの方はどうだ? 足は痛まないか?」


 イーサンは隣に座るナディアの足に目をやる。両方の細い足首には包帯が巻かれている。ナディアの歩き方を見ると、矢傷より捻挫の方が痛むようだった。


「大分痛みは引きました。一人で歩けます。ですから、もう先程のような事はしないでください」


 ナディアは少し非難めいた目をイーサンに向けた。馬車に乗る際、屋敷から馬車までの数メートルを抱き上げられて運ばれたのだ。痺れている身体でふらふらしているのに。


(私が肩を貸したいぐらいなのに)


 しかも、先程からずっとイーサンに手を握られている。


(この手はいったい、いつになったら離してくれるのでしょう)


 馬車に乗ってから、イーサンはとにかく甘かった。手を握ったり、やたら髪に触れたりしてくる。


(嫌ではないけれど、恥ずかしいので離して欲しい)


 でも、嬉しそうに唇の端をあげ、眼帯を外した両方の瞳を優しく細めながら見つめられると、そんなことは言えない。



 指が絡まるように繋ぎ直されたのを感じながら、ナディアは再び窓の外を見る。緑の木々が鬱蒼とする山道を馬車は進んで行った。


 目の前にせまる緑の葉には水滴がついており、車輪の音から地面が随分濡れているのが分かる。


 昨晩は大木の下で夜を明かしたが、時折小雨がパラついていた。山と麓で天気が異なることは珍しくない。どうやら山の方では大雨だったようだ。


「窓を開けてもよいですか?」


 行きより馬車内の気温が高い気がして、ナディアが窓に手をかけながら問いかけた。


「あぁ、好きにすればよい。気分が悪いなら馬車を停めるが」

「大丈夫です。少し外の空気を吸いたいだけですから」


 ナディアが窓を開けるよりも早く、イーサンが立ち上がり窓を開けた。森特有の草木の香りと湿った土の匂いがする。


 その匂いがナディアの記憶を呼び覚ます。宿屋での襲撃。あれから何かが引っかかっていた。朝、念のため宿の周りを調べたけれど、三人目の襲撃者に繋がる手がかりは何もなかった。


 そう、何もなかった・・・・・・


「!!」


 ナディアは上半身を窓から出して外を見た。後ろには泥濘を走る馬車の跡がずっと続いている。


「おい、危ないぞ!」


 思わずイーサンはその細い腰を掴んだ。しかし、ナディアはさらに外に身を乗り出そうとする。


「ナディア!? 何をしているんだ」

「…………イーサン様、……襲ってきた首謀者について、私の想像を聞いて頂けますか?」


 ナディアは風に靡く黒髪を片手で抑えながら振り返った。そして身体を馬車内に戻すと、青と黄色い瞳を見つめながら違和感の正体について話始めた。




▲▽▲▽▲▽▲▽

 鉱山から帰って数日が経った。


 街でナディア達を襲った男は、イーサンの影である「ジル」が捕まえた。


 そして様々な方法を駆使して問いただしたところ、鉱山の街にある教会の司教に頼まれたと白状した。ジルはすぐに司教を捕まえに教会に向かったが、既に死んでおり荼毘にふされていた。聞けば、イーサン達が街を離れた日に毒を飲んで死んだらしい。


「教会か……」


 イーサンは眉間に皺を寄せ腕を組んだ。

 場所は公爵邸の執務室。部屋にはイーサンとキャシー、それからジルの三人がいる。ジルは普段ここには現れないが、事態がイーサンの暗殺に関わることなので、今回は直接説明するために訪れたのだ。


「イーサン様とナディア様が教会の不正を暴きましたので、お二人に対して教会は良い感情を持っていません。あの時捕えた男は牢屋で自殺したので、詳細は不明のままです。おそらく他の教会でも同じ事が行われているのでしょうが、証拠不十分でまだ誰も捕まってはおりません。

 しかも、教会に渡されていた孤児院の補助金は、直接孤児院に渡されるようになりました。帳簿の管理も厳しくなりましたから面白く思っていない人物は多いと思われます。それに……」


 そこまで話すとジルは言い淀んだ。キャシーと同じ茶色の瞳に茶色の髪。これといった特徴のない平凡な顔と体をしている。しかし、イーサンでもかなわぬ剣の腕の持ち主だ。


「気を遣うな。この瞳のせいなんだろう?」

「……はい。なんとも馬鹿らしい話です」


 聖女が倒した魔物と同じ、海と月の瞳を持つイーサンを教会は疎んじたのだ。


 イーサンは幼い頃から眼帯をつけ、瞳を隠していた。しかし、カーデラン国にはイーサンのオッドアイを知っている人間はいるし、特に教会の関係者の中では暗黙の了解となっている。


「ルシアナの教会は全て、カーデランの大教会の傘下に入った。司教達の交流も増えたので、俺の瞳の話を耳にしても不思議はない。もとより隠し通せるとは思っていなかったしな」

「自分達が住む土地を治める公爵様の瞳が、魔物と同じことが許せず殺そうとする。愚かな話です」

「いや、案外聖職者らしいかもな。聖女の名のもと悪を滅するのだから」


 フッと鼻で笑いながらイーサンは机に置かれていた洋酒を口に運んだ。その様子を見たジルとキャシーが目線を交わす。


「……何だ? 今の間は?」

「いえ、随分雰囲気が変わられたと思いまして。以前は瞳に関しての話題については自暴自棄のような雰囲気がありましたが、今は穏やかに受け止めていらっしゃるように見えます。何かございましたか?」


 ジルがイーサンのプライベートに踏み込むのは珍しい。イーサンはプイとあらぬ方を向いて話題を変えた。


「特に何もない。それより、もう一件の襲撃はどうなった」

「そちらも実行犯を捕まえました。今はまだ尋問中ですが、おそらくナディア様の推測通りかと思われます。尋問においては、ラビッツの情報がかなり役に立ちました」


 そうか、と呟くとイーサンは辛そうに目頭を押さえた。


「ラビッツには上乗せで金を渡しておけ。それほどの腕なら、俺やお前の正体も分かっているだろうから口止め料込みだ」

「分かりました。それにしても、ナディア様は剣術に長けるだけでなく、聡明ですね。公爵夫人に相応しい方です。私の名を語り密会していると聞いた時はどうされるつもりかと心配しましたが、杞憂に終わりました」


 無表情な男が少し面白そうに目を細めた。どうしてもこの話題に触れたいようだ。「しつこい」と言って話を終わらせようとしたのに、キャシーが畳みかける。


「でも、三年限定の白い結婚の話を解消するとは、まだ仰っていませんよね?」

「ちょっと待て! なぜお前がそれを知っている?」

「常にお側にいて、目を離さず聞き耳を立てるのが私の仕事ですから」

「……以前から思っていたが、お前の仕事の仕方は間違っているぞ!?」


 無表情で胸をはるキャシーの頭に、ジルの拳骨が落とされた。ギャッとうめきながらキャシーが頭を抑える。


「とにかく、半月後の結婚式までに片をつけろ!!」

「「承知いたしました」」


 イーサンの命令に二人は即座に跪いた。その茶色い瞳は先程までと違い、鋭く光っている。

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