第29話


 部屋に戻るとイーサンは大きな欠伸をした。いつもより長い時間の乗馬で疲れたのだろうかと、肩を揉みながら考える。


「イーサン様、お疲れのご様子ですし、もうベッドでお休みになってはいかがですか?」


 食堂からの帰り際に貰った濡れタオルを、イーサンに渡しながらナディアが言う。宿に風呂はない。だけどせめて顔と手足ぐらいは拭きたいと思い貰ってきたのだ。


 イーサンはタオルを受け取ると顔を拭く。目をしょぼしょぼさせている。


「いや、俺は椅子でいい。あの男達の事も気になるしな」


 椅子へと向かうイーサンをナディアはベッドの端に座らせた。


「凄く眠そうですよ。とりあえず一眠りしてください。その間は私が見張っていますから」

「いや、それは出来ない」


 そう言いながらも頭は船をこいでいる。その様子を見てナディアは眉を顰める。


(やっぱりおかしい)


 切れ長の目を細めイーサンを観察する。いつもは鋭く光る黄色い瞳の焦点はあっておらず、とろんとしている。明らかに普段と様子が違う。


(食事に睡眠薬を盛られていたのかも。私は眠くないから、入っていたのはスープか……)


 髭面の男達の顔が目に浮かび、思わず舌打ちをする。


「イーサン様、靴を脱がせますね」


 既に目が半分ほど閉じているイーサンの靴を脱がせ、ベッドに寝かせる。モゴモゴと何かを言っているので、適当に相槌を打ちながら布団をかけた。イーサンは僅かに睡魔と戦う素振りを見せるも、そのうち規則的な寝息を立て始めた。

 ナディアはそれを見届けると、足音を消して部屋を出る。


 廊下を挟んで、向かいにあるフランクの部屋の扉を叩いてみる。しかし返事はない。


(フランクも寝ているのかしら)


 扉に手をかけたら鍵がかかっていた。しかし、あの手の男なら針金で開けたり、壊したりしそうだ。鍵なんてかけていても意味はない。


(とりあえず男達の狙いは私のはず。金品は取られても命は無事でしょう)


 心配ではあるけれど、どうにもできないのでとりあえずそのままにすることにした。宿主に相談しようかと階下を見るも既に灯りは消えている。


(私の思い過ごしかも知れないし、ここで大声を出すのは得策ではない)


 不埒な男二人ぐらいなら、自分一人で対応できる。

 そう思って踵を返すと、部屋に戻り壁際の椅子に座った。濡れたタオルでサッと顔や首、手足を拭くと少し迷ったあと剣を抱えてイーサンの隣に身体を滑り込ませた。




 時間はゆっくり過ぎていく。

 もうどれぐらい経っただろうか。

 男達はまだ来ない。


(相手の油断を誘うためにベッドに横になったけれど、もしかして私の考え過ぎだった?)


 本当にイーサンは疲れていて眠っているだけではないか、そんな疑問が湧いてくる。


 ちょっとイーサンの様子を見てみようと寝返りを打つ。部屋が暗くて表情はよく見えないけれど、寝息は規則的だ。ナディアはそっと眼帯に手を伸ばす。


(眼帯は付けたままでいいのかな?)


 と思うも勝手に取るわけにはいかない。

 ぐっすりと眠るその顔から目を逸らすのが何だか惜しく思えて、ナディアは暫くその寝顔を見つめていた。


 急にバサッという大きな音がして、次の瞬間、ナディアは抱きしめられた。


「えっ、あ、あの……」


 咄嗟に言葉が出てこない。顔が赤くなるのが自分でも分かった。どうすれば良いかと暫く身を固くしていると、規則的な寝息が首元にかかる。


 ぐっすりと眠っているようだ。深い眠りに、やはり薬を盛られたかと思っていると、扉の方からガチャガチャと金属音が聞こえてきた。針金のようなもので鍵穴を開けようとしているようだ。


 ナディアはイーサンの腕を退け、扉側を向くとシーツを目の下までかけた。そして抱えていた剣を鞘から抜きいつでも飛び出せるように身構えた。


 扉がゆっくりと開き、黒い影が二つ部屋に入ってきた。シルエットから考えて先程食堂にいた男達だ。そこまでは予想通り。


 しかし次の瞬間、一人がナイフを抜くといきなり振りかざしてきた。


 ナディアは飛び起きそれを剣で受け止める。


 これは予想外だった。不埒な男かコソ泥だとばかり思っていた。


 男にしても反撃は予想外だったようだ。ナディアはベッドから飛び降り剣を男の肩めがけて振り下ろす。右肩から斜めに剣が走り、血が壁に飛び散った。素早く後ろに回り込み、一太刀で左右のアキレス腱を切って動きを封じる。ついでに手の甲に剣を突き刺し、二度と剣を握れないようにした。


 もう一人の男が部屋を飛び出して階段を駆け下りる。


(逃がさない!)


 ナディアも続いて男の後を追う。階段の手すりに飛び乗ると、そのまま勢いよく滑り降りていく。階下で男に追いつくと、逃げる背中に剣を振りかざした。倒れた男は、先程と同様にアキレス腱を切って動きを封じる。


(これで終わり。あとは男達から話を聞かなくては)


 息切れひとつしていない涼しい顔で周りを見渡す。カウンターと反対側にある扉が宿主の部屋だろうと当たりを付けたところで首をかしげた。


(どうして宿主は様子を見にこないの?)


 あれだけ激しく、階段を降りる音や人が倒れる音がしたのだ。普通なら様子を見にくるだろう。

 そう思った瞬間、入り口横にあるカウンターに人の気配を感じた。ナディアが構えるのと同時に両手に剣を持った男が飛び出してくる。全身黒づくめ、おまけに覆面までつけている。


 男の剣は早かった。ナディアもスピードには自信があるけれど、左右から繰り出される剣を受けるのに精一杯だ。


 男の剣を右手一本で受けながら左手を腰にやる。鞘についている金具をパチリと外して、短剣を引き抜いた。


(左手は苦手だけど)


 致命傷を与えるだけの腕前はないけれど、切り掛かってくる剣を払い落とすことならできる。覆面男の右手の攻撃は全て左手で受けることにした。すると、ナディアの右手に余裕ができる。


 繰り出される剣をギリギリでよけ、右手を斜めに振り下ろす。しかし覆面の男はギリギリで交わし黒い服が僅かに切れたばかり。そこをナディアはさらに攻めたてる。


 形勢がナディアの方が有利と見たのだろう。覆面男は持っていた剣のうち一つをナディアに投げつけてきた。ナディアがその剣を振り落とす僅かな間を突いて覆面男は扉を開け外に飛び出した。


 ナディアも慌てて後を追う。


 扉の持ち手に手をかけた時だ。


 背後で風邪を切る音がした。咄嗟に身を翻したナディアの頬を掠め、剣が扉に突き刺さった。階段下で転がっていた男が投げてきたのだ。


 扉に深く突き刺った剣を抜くと、自分の甘さを悔いるように転がる男の右手を突き抜いた。そのあと、外を見たけれど、覆面男は当然ながらもういない。


(逃したか……)


 思わず軽く舌打ちをしたナディアに、階段上から声がかけられた。



「ナディア様、これはいったい……」


階段上を見上げるとそこにはフランクがいた。少しよろめいた足つきで片手で頭を押さえている。


「襲撃がありました。物取りにしては手練れだったので少々無茶をしました」


フランクは手すりに掴まりながら階段を下り、寝転ぶ男を見た。


「宿主達が心配ですので様子を見てきます。フランクさんはこれでそいつを縛ってください」


 ナディアはポケットから縄を取り出した。以前街中の襲撃での反省を踏まえてポケットに入れていたのだ。それをポイっとフランクに投げると、カウンターの向かいにある扉に向かった。


 真っ暗な中、空いた窓から入った風がナディアの頬を掠めた。耳を澄ませば奥の方からうめく声が聞こえる。


「大丈夫ですか?」


 声を掛けながらうめき声の方へと足を運ぶ。普段女でいて得だと思ったことはないけれど、こういう時相手は女性の声というだけで無条件に安心したりする。返事するかのように先程より大きな呻き声が聞こえてきた。


 ちょうど部屋の角の部分に、縄に繋がれ猿轡をかまされた宿主夫婦が二人まとめて縄で縛られていた。

二人はナディアを見るとホットした表情を浮かべた。




 宿主達を助け、何度も礼を言われながらナディアは部屋に戻った。男達は階下に一人、それからナディア達の部屋にいた男はフランクの部屋に運ばれていた。それぞれを宿主とフランクが見張ると言い張ったので、ナディアは休ませて貰うことにした。


「眠たい……」


 さすがに一人で三人は疲れた。もう数時間で夜が明ける。イーサンがぐっすりと眠っていることを確認してナディアは返り血の付いた乗馬服を脱ぎ、持って来た袋から白いナイトドレスを取り出した。胸元に僅かにフリルがある程度の、シンプルなデザインのそれを着るとあくびを一つしながらベッドに滑り込んだ。




 翌朝、ナディアより早く目覚めたイーサンは、重い頭を抱えながら目の前の光景にポカンと口を開けた。


 壁に飛び散る血しぶき。

 床の血痕は、引きずられた後を残しながら扉の向こうまで続いている。

 隣を見れば、真っ白なナイトダレスに身を包み、規則正しい寝息を立てているナディア。

 その頬には赤い筋が一つ。血が固まっている。


(何があったんだ…?)

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