第26話
二人は今は使われていない古びた桟橋の上に座っていた。足を桟橋から海の上に投げ出している。
日はとうに沈み、露店の明かりが左手海岸沿いにずらりと並び輝いている。膝の上には先程その露店でかってきたサンドイッチと、数種類の貝や肉が串焼きにされた物がある。
イーサンが甘辛いタレのついた串を頬張り、ナディアはサンドイッチを口に運んだ。海から吹く夜風が気持ちよくナディアの髪を靡かせる。
ナディアはイーサンの左側に座る事が多い。
隣を見れば、頭上の月と同じ輝きをした目が暗い海を見ていた。普段は後ろに撫で付けている茶色い髪が海風で乱れている。
ドン! と腹に響く音が聞こえ数秒後、周りがパッと明るくなった。花火が始まったのだ。一度始まり出すと、まるで競うように空を明るく埋め尽くして行く。
「キャシーが言ったように、少し距離はあるがよく見える」
「はい、私もこんな穴場があるなんて知りませんでした」
実際には故意的に作られた穴場だが、二人はとりあえずそこには触れないことにした。
イーサンが唇の端についたタレを親指で拭うと、その指をタレごと舐めとる。気取らない態度に騎士時代を思い出し、ナディアの口もとが弧を描く。
夜空に浮かび上がった光る華は、水面にその姿を映す。二人は空と海を交互に見ながら、暫くその景色を無言で見つめていた。
一際盛大に花火が打ち上げられ、夜空を彩ると、白い煙とともにあたりは静寂に包まれた。
「ナディア、先程の言葉の続きを教えてくれないか?」
闇に溶け込むような静かな響きのする声音で、イーサンが海を見ながら呟いた。
「先程?」
首を傾げるナディア。イーサンは身体ごとナディアの方を向くと少し躊躇いがちに口にした。
「私は彼と出会ってから初めて……、ナディアは何と言おうとしたのか?」
ナディアは唇を開きかけるも、ぎゅっと再び閉じた。あの時は勢いに任せてしまったけれど、いざ改めて聞かれると、言葉にうまくできない。唇の上下を噛むように深く合わせ、海を見ながら言葉を探す。
「私の家族は、私を男の子のように育てました。辺境伯である父は後継者となる息子が欲しいと言いました。継母は、あなたにドレスは似合わないと男物の服ばかり私に着せました。愛らしい妹といつも比べられ可愛げがないと、男のようだと蔑まれました。それならいっそ、と思い騎士になりましたが、彼らが私を認めることはありませんでした。」
イーサンの大きな手がナディアの手に優しく触れた。ナディアは重なる手を見て、自分の手が思いのほか小さいことに気づいた。
「私が大切だと思っていた物は全てプリシラの物になりました。おもちゃも、ドレスも靴も」
「婚約者も、か?」
「そうですね。でもどれか一つ返すと言われれば私はクマのぬいぐるみを選びます」
クスっと笑うナディアを、月の輝きを受けた金色な目が優しく見つめる。
「いつのまにか、両親に受け入れて貰えないことも、プリシラから奪われることにも慣れて諦めて、何も感じなくなっていました。でも、イーサン様はあるがままの私を受け入れてくださいました。私はそこで初めて自分が傷ついていることに気がつきました。私は認められ受け入れて貰いたがってたのだと」
言葉に出して分かることがある。ナディアは話しているうちに、自分でも気づかなかった思いが胸の内に芽生えていたことを自覚した。
「私は初めて、自分の居場所を見つけたのです」
▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽
倉庫街でナディアを見つけた時すぐに声をかけれなかった。彼女のことは、お節介なキャシーがあれこれ調べ報告を聞かされていたからだ。
昔の婚約者……そう思った時、腹の中から自分でも信じられないぐらいの苛立ちが込み上げてきた。三年間の白い結婚を自ら言い出した癖に、自分勝手さに呆れる。
立ち去るべきだと思った。立ち聞きするつもりはなかった。でも足が動かない。そのうちナディアの荒々しい声が聞こえた。気づけば無意識のうちに駆け寄り彼女を抱きしめていた。
あれ以上、彼女の心の内を他の男に知られたくなかった。これを独占欲と言うのだろうか。
花火が終わった夜空を見ながらナディアが言った。
「私は初めて、自分の場所を見つけたのです」
今まで彼女がどれだけ傷つき生きてきたか。あるがままの自分を受け止めてくれる人間を探し求めていたか。
――俺と同じだと思った――
ナディアの手に重ねた指に力が入る。
普段は涼しげな目元が潤んで熱を帯びていた。まるで縋るように見つめるその瞳から目が逸らせなかった。
「私は、三年を超えてもなおずっと貴方の側にいたいです」
それは愛の告白と捉えてよいのだろうか。居場所を求める言葉に胸が締め付けられる。
それならば、ずっと一緒にいれば良い
喉元まで出かかったその言葉を飲み込む。
家族を持ちたくない。
それなのに目の前にいる彼女も手放したくない。
矛盾する欲求に歯噛みしながら、深く息を吸い込んだ。
「ナディア、俺は誰とも人生を共にしたくないんだ。これは俺の問題で貴女に落ち度はない。貴女は素晴らしい女性だ。その気持ちに応えることはできないけれど、一緒にいる間は大切にしたいと、守りたいと思っている」
ナディアは少し辛そうに眉を寄せたあと、いつものような凛とした表情をした。
「承知いたしました」
薄い唇が弧を描く。そんな悲しそうな顔で笑うなと、抱きしめそうになる自分勝手さにとことん嫌気がさす。
彼女が俺を必要とするよりも強く、俺は彼女を必要としている。
でも、だからこそ、俺の人生に彼女を巻きこみたくなかった。
花火が終わり、喧騒の中黙って邸まで帰った。ごく普通に、ナディアは「楽しかった」と言って部屋に戻って行った。その細い肩を見なかった振りをして自室に戻りキャシーを呼んだ。
このタイミングでの妹の婚約破棄が妙に気になった。
「ナディアの実家について調べろ」
「既に兄が動いております」
「既にか?」
「はい、怪しい男が辺境伯のタウンハウスに出入りしていると情報が入りましたので」
まったく、嫌味なほど優秀な影だ。そこは認めよう。
「それから、今夜イーサン様をつける不審な人物が二名おりました。危害を加えようとまではしなかったので泳がせています。兄が顔を見ているので、調べてみるそうです」
「分かった」
本当に優秀な……
「…………せっかくお膳立てしたのに手を繋ぐだけとか、子供ですか」
「!? おいっ、どこで何を見てたんだ。お前は!!」
「はぁ………」
「ため息で答えるな!!」
前言撤回だ。
人間性に問題のある影は厄介でしかない。
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