第25話
「アンディ、どうしたの?」
いつもはきちんと整えていた銀色の髪が乱れ、顔色も悪い。神経質そうな目が濁って見える事にナディアは嫌な予感を覚えた。
(プリシラはいつも私からいろんな物を奪っていく。そしてすぐに飽きるんだ。まるで奪う事が目的だったように)
その予感はむしろ確信に近かった。
「ナディアこそどうしたんだよ。公爵夫人がそんな薄汚れた服を着て。あっ、そうか。お前もか。飽きられたんだろう。お前のように可愛げのない女に公爵夫人なんて無理な話だったんだよ」
(お前
ナディアはチラッとイーサンを見る。店主とまだ何か話しているようだった。
「ちょっとこっちに来て」
肩に置かれた手を軽く振り払って、先に立って歩き始めた。船着場の付近には倉庫も多く、その影に隠れるようにしてナディアはアンディと向かい会った。
「アンディ、随分草臥れた格好をしているけれどプリシラと何かあった?」
「あぁ、あったよ。……頼むよナディア、お前からプリシラに話をしてくれ。彼女は俺とは結婚しないと言い出したんだ」
(あぁ、どうして嫌な予感はあたるのだろう)
目眩を覚え、思わず
胸に小さな痛みを覚え、思わず手をやれば、先程貰ったばかりのネックレスがそこにある。少し照れたイーサンの顔を思い出し、プリシラにあの顔を見られたくない、何故かそう強く思った。
「アンディ、私からプリシラに何を言っても無駄よ。あの子は私の話に耳を貸さないわ。それよりお父様に頼んでみては?」
アンディはオーランド辺境伯の直轄兵を纏める団長の三男だ。ナディアの父は彼を後継者に選んだ。例えアンディの妻が姉から妹に変わろうとも、後継者であることは揺るがないはず。
(実家の後継が関わっているのだから、いくらプリシラでもアンディとの婚約破棄は難しいはず。しかも、こんな短期間に)
「無理だ。プリシラは俺から暴力を振るわれた、浮気されたとオーランド辺境伯に泣きついたんだ。もちろん全て嘘だ。それなのに、オーランド辺境伯も両親も信じてくれないんだ」
アンディの両親が彼を信じないのは、姉から妹へと無断で婚約者を変えたその薄情さに愕然としたからだ。騎士である彼の父はそんな不義理を内心許してはいなかった。
「とにかく、私には関係ないわ」
プリシラが何を考えているのかは気になる。でも婚約者らしい事を何一つしてこなかったアンディに対しては今更一ミリの感情も動かない。
これ以上関わりあいたくないと、その場を立ち去ろうとする。その腕をアンディが掴んだ。
「じゃ、ナディア、もう一度俺と婚約しよう」
絶句、とはこのことだろう。
ナディアは顔を顰め歪めた口を半開きにした。
「……何言ってるの?」
「何って、お前もイーサン様に捨てられたんだろう? 俺と再び婚約してオーランド辺境伯を継げば何も問題ない。そう思わないか?」
アンディは、色褪せたナディアの服を指差す。彼の頭の中では、イーサンに飽きられ、でも実家にも帰れない惨めな女に見えているようだ。
「それに、ナディアだって俺の方がいいだろう? いきなり暴れたり、暴力を振るうヤツなんて身分が高くても碌なやつじゃない。しかも女癖も悪いんだ。それにあの眼帯。剣士でもないのに、何があったんだ。どれだけ恨みを買ってるんだかしれた物じゃない。あんな不気味な……」
ドンッ
大きな音を立ててナディアが壁に手をついた。アンディは壁とナディアに挟まれ身動きがとれない。長身のナディアより数センチ上にある緑色の瞳を睨みつけた。
ナディアの涼しげな目元は吊り上がり、射るような冷たい光を帯びている。周りの空気が数度下がったように感じたアンディはたじろぎ逃げようとするも、背後は壁で動けない。そんなアンディにナディアはさらに詰め寄り距離を縮める。
「彼はあなたが言うような男じゃないわ」
腹の底から怒りが込み上げてきた。
(イーサン様の何を知っているの?)
熱い炎ほど青い色をしている。そんな言葉を思い出すように、ナディアの怒りは激しく冷たく全身を駆け巡る。
「暴力を振るわれたことも、傷つけられたことも一度もないわ。彼は私が私でいる事を当たり前のように受け止めてくれる。それでいて、剣士としてでなく、一人の女性として扱ってくれる。当然のように私を守り大切にしてくれるのに、彼自身は何も求めない。私は彼と出会ってから初めて……」
その時だ。ふわっと後ろから腕がまわされ優しく抱きしめられた。
「そこから先は俺だけが聞きたい」
耳元で囁かれて、身体が痺れたように動けなくなった。それなのに、顔はどんどん熱くなっていく。心臓は早鐘のようで、背後にいる人物にも聞こえているのではないかと心配になるほどだ。
「イーサン……様?」
「突然いなくなるから驚いた」
イーサンはナディアを抱えたまま、アンディから引き剥がすように数歩下がる。そして、そのままナディアの腰を掴み自分の方を向かせた。ナディアの鼻先がイーサンのシャツに軽く触れる。
洗いざらしのイーサンのシャツから香るウッド系の香水の香りがやけに強く感じられ、耳まで赤くなるのが自分でも分かった。
「で、俺の婚約者に何か用か?」
金色にも見える瞳が、冷たい怒りを載せてアンディを射る。激しい怒気の含まれた視線に、アンディはしどろもどろになりながらさらに壁に身体を押し付けた。
「い、いや。えー、婚約者って、あの、その格好は?」
「二人で人目を気にせず祭りを楽しみたかったから変装しただけだ」
イーサンの胸から顔をあげて、ナディアは初めてイーサンが帽子をとっていることに気づいた。傷が描いていた場所が赤く擦れているのは、強引に拭き取ったからだろう。
「も、申し訳ありません! 私の勘違いです。失礼致しました」
アンディは真っ青な顔で二人を見ると、逃げるようにその場を立ち去っていった。
残されたのは二人。イーサンはナディアを離すとガシガシと頭を掻いた。耳が赤い。なんだか所在なさ気に視線を彷徨わせている。
「どうされたのですか?」
「すまん、こういうのは慣れていない」
お互い顔を見合わせ、気まずくてまた目を逸らした。
すると、背後の倉庫から顔が二つ、ぴょこんと飛び出してきた。
「ラブラブね」
「見ていてむず痒くなりますね」
「「!!!」」
聞き覚えのある声。
ラーナとキャシーだ。
「……何してるの?」
「もちろん、ナディアの護衛よ」
「私より弱い護衛はいらないわ」
ポップコーン片手に覗き見に興じているラーナの手から、袋ごとポップコーンを奪い取った。
「お前は何をしてるんだ?」
「港の外れに立ち入り禁止の看板を沢山立てて置きました。少し距離はありますが、花火が綺麗に見える穴場です」
「……勝手に看板を立てても良いのか? 今日の護衛も含め、頼んだ覚えはないぞ」
「婚約中ですので最低限の自重はしてください」
「…………俺の話は聞く気もないのだな」
イーサンの問いかけを無視して、キャシーは一方的にその場所を説明すると、
「帰りは遅くなると衛兵に伝えておきます」
そう言って手を振りラーナと一緒に人混みに消えて行った。
「……お互い、侍女に苦労するな」
「……はい」
残された二人は、深いため息をついた。
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