第11話
ジルの手前、飲むスピードを押さえながらナディアはオイルサーディンとナッツを摘まんでいる。
どうして男装していたか、の質問は笑ってごまかしたけれど、女騎士をしていることは話した。
「普通の令嬢でないとは思っていた。女騎士なら夜中一人で出歩くのも……やめた方が良いが理解はした」
苦笑いでジルがそう言った時、店主がテーブルをコンコンと叩いた。ナディアが振り返ると背の低い無精ひげの男が入口に立っている。ナディアは男に向かって軽く手を上げると少し離れた場所にあるテーブル席を指さした。ジルに「ちょっと席を離れるわ」と言うと、テーブル席に座った。
「なんだい、珍しく男づれじゃないか。じゃじゃ馬もとうとう年貢を納める気になったか」
「半分当たって半分外れってとこね」
男がカウンターにいるジルを指さしにやりと笑う。ナディアは苦笑いを返しながら本題に入ることにした。
「今日の昼、サンダー地区で襲撃事件があったの。犯人を探している」
「それは俺の仕事と言うより、あんた達の仕事じゃないのか?」
「衛兵には頼んでいるけれど、正攻法以外でも探したいの。この町で暗躍している組織を探している」
「えらく漠然としてるな。そんなもの挙げたらきりがないぞ」
店主が麦酒を持って来たので二人は一旦話を辞めて、グラスを合わせた。
「あんたが女の足枷を掴んだことに」
「素直に幸せって言ってよ。なんだ、知っていたのね」
「あぁ。びっくりだよ。嫁ぐのは妹のはずだろう? とんだもの好きもいたもんだ」
ラビッツは一気に麦酒を半分ほど伸び、口に着いた泡を袖でぬぐった。
「それなら話が早いわ。狙われたのは私の婚約者よ」
「あんたの口から婚約者って単語を聞くとな。長生きはするもんだ」
おいおいと泣きまねをするラビッツに、ナディは真面目に聞いてと眉を顰める。
「で、狙った相手を探している。一番考えられるのは、今回の政変で失墜した大臣たち。それから見慣れない船を見たって話を耳にしたからそれについての情報も欲しい」
「ふーん、見慣れない船ね。ひと月前ぐらいから見たって話は聞いている。海賊の類ではなさそうだが」
(さすが情報屋。船の話はもう知っているのね)
「分かった。結婚祝いも兼ねて特別料金でやってやるよ。その代わり一つだけ教えてくれ。あんたの婚約者はどんな奴だ?」
ナディは首を傾げて暫く考えた。どんな奴と言われてもあったのは昨日だ。話した時間もそう多くはない。本性はまだ見えない
「馬鹿ではないわ。誰かさんみたいに」
いうまでもない。隣国で毒を持ったあいつだ。
「今のところどちらかと言えば好印象よ。女が全速力で走り、剣を振るっても咎めなかった。あ、プレゼントも貰ったわ」
「おいおい。プレゼントってあんたもすっかり女だな。何をもらったんだ? 指輪か? ネックレスか?」
「短剣」
「……前言撤回する。やっぱりナディアだ。そしてあんたらしくいることを許す男なら、俺も嫌いじゃない」
ラビッツはグラスを持ち上げるともう一度おめでとうと言った。
「それで、手に入れた情報はどうやってあんたに渡したらいい? 今日も抜け出してきたんだろう? そんなにしょっちゅう出れるのか? いっとくが俺は昼間客に会わない主義なんだ。夜型なもんでな」
「そうね。どうしようか。あ、ちょっと待ってくれる?」
ナディアは席を立ち、ジルのもとに行くと彼を連れてテーブルに戻って来た。
「ジル、こちらラビッツ。どんな仕事をしているかは聞かないでね。ラビッツ、ジルよ異国の商人」
二人は軽く目を合わせた。が、話の流れが見えないのですぐにナディアに視線を移す。
「ジル、申し訳ないんだけれどあなたに手紙の受け取りを頼みたいの」
「手紙を預かる分にはいいが、俺は商談に出ていて宿にいることがほとんどないぞ」
「じゃ、それを宿主に預けてくれない?『バートンと名乗るものが来たら渡して欲しい』て言って。誰かに頼んで取りに行ってもらうわ」
直接ナディアに手紙を届ければ、それは必ず城の人間の目に触れる。もちろん勝手に開けられることはないし、暗号で書かれているので見られても問題はない。しかし、家族以外から届く手紙を不審に思う者がいるかも知れない。城に犯人がいる可能性もあるので、それは避けた方が良いと考えたからだ。
(宿に手紙を取りに行くのは、騎士団の誰かに頼もう。私もラーナも念のため不審な行動はしない方よいでしょう)
今夜は止む無く城を抜け出したけれど、それも今後は止めたほうがいいと考えている。一応婚約者のいる身だ。路地裏の酒場で男と飲むのがよろしくないのは分かっている。それぐらいの常識は持っている。
「俺は別に構わないよ。ジル宛に手紙を書けばいいんだな。経過報告も欲しいんだろう? とりあえず五日置きに送ってやるよ。男と文通は趣味じゃないが」
「ありがとう。ジルもいい?」
「いいよ。来た手紙を宿主に預けるだけだろう。あっ、紙あるか? 宿の住所を書くよ。この前の場所から違う宿に移ったんだ」
「この前の場所? ナディアはジルが以前泊って宿を知っているのか?」
ラビッツが目を開いて二人を見比べる。
「邪推は止めてね。彼は街一の紳士よ」
「そう、残念なことに」
ジルがふざけて肩を竦めるのをラビッツは半信半疑で見ていた。
ナディアは「そろそろ帰らないと」と言って店を出た。
残されたのは二人。だがどちらも席を立つ様子はない。
「なんだ? あんたも俺に用事か?」
「どうしてそう思うんだ」
「街一の紳士なら送っていくだろう。身なりは男だが中身は女だ。そこら辺の男より腕っぷしは強いが女だ」
ジルは懐から金貨を五枚取り出した。
「調べて欲しいことがある。金は前払いで払う」
「あんた、何者だい? ナディを害する奴とは取引できないね」
ラビッツは席を立とうとした。ナディアにどうやって教えてやろうかと頭の隅で考える。
「待ってくれ。話すから。ちょっと俺だけでは行き詰まっているんだ。騎士が依頼するぐらいだから信用できる情報屋だなんだろう。力を貸してほしい。とりあえず話を聞いてくれ」
長い前髪の下から除く左目は真剣な色をしている。ラビッツは聞くぐらいならともう一度座りなおした。
「まず、俺の自己紹介から。名前はジル、出身はカーデラン。商人ではなく政府の役人……護衛のような者だ。これはナディアには黙っていて欲しい。彼女がイーサン様と結婚したら話そうと思っている」
「惚れてるのか? 主の婚約者に」
「さあな。想像に任せるよ。それで依頼というのは、ーーナディアの依頼と、もしかしたら被るかも知れないが、幽霊船について知りたい」
「おいおい。俺は幽霊は信じないんだ」
「俺も信じていないよ。ただ、悪巧みしているやつがわんさか乗っているかも知れない。幽霊より達が悪い奴達がね」
ラビッツもその可能性は考えていた。ナディアから依頼があった時点で幽霊船も調査対象に入っている。つまりやる仕事は同じ。情報が行き着く場所もほぼ同じ。でも依頼料は二人分。実に美味しい話だ。
それでもわざと暫く考える振りをした。簡単に初対面の奴の依頼に乗る情報屋だと思われたくない、そんな見得からの行動で、深い意味はない。そして、わざと眉に皺を寄せると大げさに息を吐いた。やれやれ、といった感じで。
「分かった。では五日置きに二通の手紙を書こう。一通はジル、あんた宛だ」
一石二鳥の依頼を手に入れたラビッツは、今夜の酒はうまいな、とご機嫌でいつも以上に酒が進んだ。
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