3 六月・焦げ付く苦しみと絶望


昔々のことでした。

一人の男の子がいました。

男の子はいつも一人でした。

たった一人の親であるお父さんは恐ろしい人、危険な人、盗人と噂され、男の子を疎んで殴ったり蹴ったりしていました。

そんな荒れた周囲の子供たちには蔑まれ、殴られ、寄るな寄るなと言われてばかりでした。

古くて小さな部屋の隅でいつも隠れて膝を抱えて過ごしていました。

そうして彼は成長していきます。

その内に飢餓の精神と希望を膨らましていきながら……




――どうしてだ


 昏仕儀タカカミは絶望していた。


「お前がわるものだな?やっつけてやるー!」


 目の前にいる小さくも勇敢な子供に。


(ふざけんなよスズノカ。俺にこいつの首を刎ねろってのかよ!?)


 舞台は夕方、何処かの廃倉庫にて。

 その顔は目の前の子供の真っすぐに見つめる視線によって溶かされて歪んでいた。

 タカカミから見た感じ、その子供は恐らく九歳かそこらに見えた。実際にはもっと幼いのかもしれないが。子供は赤のTシャツにジーンズが光って見えた。おそらく新品なのだろう。

 一方タカカミの来ている青のコートの下には予め用意していた拳銃を引き抜いて撃てばそれで終わる。しかしタカカミにはそれが出来なかった。


「あー……君はどうしてここにいるんだい?」


「『わるもの』倒すためだよ?お兄さんが『わるもの』なんでしょ?」


「そう……なの?誰から聞いたのかな?」


「スズノカおねえさん!その人がここに来る人をやっつければ褒めてくれるって!」


「へえ。チューでもしてくれるのかな?」


「そう?もっとすごい事じゃない?」


「……マセてんなぁおい」


「なんて言ったの?」


「なんでもないよ。君はいくつ?」


「七さい!名前はれお!」


――冗談だろスズノカ?てめぇ随分と趣味悪いな?


 スズノカの話では敵はシステムが選択してその者とこれから残り十人を倒さなければならない。つまりこれから後はと殺し合いとしなくてはならない……。その事にタカカミの崩れた顔はさらに崩れそうになり、前のめりになる。


「お兄さん悪者でしょ?そうでしょ?」


「何でそう言い切れる?」


「うん。だって拳銃見えてるもん」


「……あ」


 屈んでいたことでタカカミはコートの内側の拳銃が重みで見えてしまっていたことに気づいていなかった。目の前の子供はそれを指さしている。


「拳銃持ってたら僕は悪者かな?お巡りさんかもしれないよ?」


「ちがうよ。おにいさんの持ってるけんじゅうはおまわりさんの持ってるやつじゃないもん。パパの持ってるやつじゃないもん」


「お父さんお巡りさんなの?」


「うん。でも帰ってきてくれないの。仕事忙しいからゆうえんちにも連れてってくれないの」


「そうか。お父さん一生懸命なんだね」


「うん。だからお兄さんみたいなわるい人は僕がこらしめてお父さんが帰ってこれるようにするの!!」


 その時、玲央の手が赤く光りだした。するとその小さな手のひらに炎が。


「なっ……!?」


「くらえー!」


 玲央はその炎をタカカミに向けて放つ。タカカミはとっさに横にとんでそれを回避した。倉庫の壁に炎の弾が命中すると壁が熱でドロリと溶けてしまった。


(オイオイオイ……まじかよ!?)


 出来た穴もあることながらその大きさは直径三メートル近くあり、タカカミは小さな子供が放った無邪気な殺意に驚愕の表情を浮かべること以外、何もできなかった。


「どうだ!こうさんするなら今の内だぞ!!わるものめ!!」


 笑いながらその手に再び炎を集め、先ほどと同じようにタカカミにぶつけようとしていた。子供はまっすぐな瞳で炎の球を右手に構える。タカカミは無邪気な殺意にどうすればいいかわからずにいた。


――なんでわからない?拳銃でドタマぶち抜けばいいじゃないか


 タカカミの脳裏に言葉が響く。


――子供だからなんだ?小さいからって何しても許されるか?違うだろ?


(それでも相手ってのが――)


――馬鹿か?時には暴力だろ。それはお前がだろ?あの時もその手にナイフでも握って居座っていればよかったのにな。間抜けめ


 脳裏に響く嘲りを含む囁きに堪えていたが、ついにタカカミは大声で叫んで次の瞬間には拳銃を引き抜いて発砲した。


「……クソッタレがぁぁぁぁぁ!!」


 廃倉庫に響いた数発の銃声。残念ながらそれで戦いが、目の前の子供を倒すことはできなかった。当たっていなかったのだ。一発も。だが――


「あ……あぁ」


 その一発はこの戦いを終わらせるきっかけとなった。子供は数発の銃声にそれまでの無邪気な殺意を滾らせていた炎の手がいつの間にか普通の手に、つまりは炎が消えていて無邪気な表情は一転して恐怖に怯えている。


「うわぁぁぁぁっ!!」


 弾丸により死を認知した少年はついには大声をあげてその場を離れていった。タカカミは子供が逃げ出してしばらく呆然としていた。だがハッとなって焦ってノートを呼び出してページを開こうとしていた。呼吸は乱れたままだった。


「この倉庫から抜け出した場合あの子はどうなる!?」


 彼の問いに対してノートは答える。


――その場合、彼は死亡します


「なんだと!?」


 立ち止まってしまった。このままでは子供が死ぬ。その時はタカカミでも流石にそれはなんとか避けたいと思っていた。自称、『多少歪んでいる人間』とはいえ子供を殺すほどの精神はその時ばかりは持ち合わせていなかったためである。


「畜生!どうすりゃあの子は死なずに済むんだ!?」


 倉庫を出てノートをめくりながら答えを探していたその時だった。


「……なんだ?」


 耳に突如音が入ってくる。何かがぶつかったかのような音が。


(おいまさか――)


 心臓が脈を強く打った。音のなる方へ走る。廃倉庫から出て先の交差点。そこには――


「……轢き逃げかよ」


 子供は車に吹き飛ばれたのだろう。頭部から大量の血を流し、わずかに見える瞳は虚空を見ていた。元凶となった車はその時には入り組んだ角に入ったのかもう見えず、タカカミにはまるで誰かに殺されたように見えた。鮮血の結末をタカカミはただ受け入れるしかなかった。


「これは……儀式のせいじゃないだろうな?」


「ええ。儀式の影響です。ルールに反した結果、事故死となりました」


 ポツリとつぶやいたタカカミの隣にいつの間にかスズノカが立っていた。


「……本当か?嘘じゃないよな?」


「はい」


「ああ、そうかい」


 タカカミは子供だったものをじっと見ていた。


「こんな簡単に未来ってのは潰せるもんだな。えぇ?スズノカさんよぉ!?」


 タカカミはスズノカの胸倉を勢いよくつかみ上げて睨みつけた。


「なんでこんな子供を選びやがった!?えぇ!?」


 つかんだ胸倉を揺らしながら怒声を浴びせる。


「システムが選んだので私にはどうしようもありません」


「システムだぁ!?」


 声は更に荒れる。


「はい。そこには私の絶対審判による権限でも介入は出来ません。そして戦いに選ばれた以上、勝利せずに死なずに生きて帰るのは不可能です」


 無表情で胸倉を荒々しく掴まれても態度を崩すことなくスズノカは話を続ける。そのやりとりの間、タカカミはじっと睨んでいた。しばらくの沈黙が流れる。タカカミにとって今回許せなかったことがあり、彼はそれについて脳裏で思案をしていた。


「……そうかい」


 彼は視線を落とした。激昂の炎はどこに消えたのかというくらいにタカカミは縮こまっていた。視線の先が悲惨な光景に合わさると彼はついに言葉その場に崩れ落ちた。そして嘆く。


「システムだか何だか知らねぇけどよぉ……俺に何させようってんだよ」


 先程まで無邪気に殺意を巻いて笑っていた子供だったものを見る。血にまみれたそれに近づいてそっと彼を抱きかかえる。


「……悪いな。俺じゃどうしようもなくてさ」


 冷たくなったソレを今度はそっと地面に置く。


「ご遺体は遺族に還されます。死因についてですが――」


「てめぇは黙ってろ!!」


 スズノカの淡々とした説明に噴き出たように怒号をぶちまけるとタカカミは怒りのままにその場に背を向けた。


「……そうですよね。私が理解されるはずがないですよね」


「ああ、早く俺をテレポートで元の場所に飛ばしてくれ」


「……はい」


 スズノカの手で光に包まれて消えるタカカミが呟く。


「次はこういう子が来ないように頼むぞ?」


「……そうなるように働きかけて見ます」


「ああ」


 光に包まれ消えた彼を見送って彼女も去っていく。

 タカカミにとってそれは苦い記憶として残り続けることになった。

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