第45話 姉と弟の決意
「
総合運動公園にある屋内プールでは、全国高等学校総合体育大会の県予選が終わったところだった。
施設の正面出入り口で待っていたみのりに、夏人と柊は声を掛けられた。
隣には彼氏の
「姉ちゃんお待たせ!」「ちわっす」
夏人と柊は2人に近づいた。
「おめでとう!」
みのりは満面の笑みだ。
「2人ともよく頑張ったな!おめでとう」
壮太も嬉しそうだ。
ありがとうございます、と少し照れ臭そうに、夏人と柊は礼を言った。
「な、例のあれ見せてよ」と壮太に懇願された2人は、部員全員とお揃いのバッグからゴソゴソとそれを取り出した。
「おーー!」「わーー!」
壮太とみのりから、溜め息に似た歓喜の声が漏れた。
インターハイへの第一歩、競泳県予選。
そこで、柊と夏人は見事表彰台に登り、地区予選に勝ち進むことが出来たのだ。
柊は自由形200mで優勝、100mで2位だった。
夏人は、背泳の200mで見事優勝。100mでは惜しくも表彰台は逃したものの、4位入賞と、輝かしい成績を残した。
「おー!金メダルだ!しかも柊は銀メダルもかぁ。お前らすげぇよ」
壮太が見たいと言ったのは、このメダルのことだ。
「キレイねぇ……。きっと陸玖兄も喜んでるね」
そう言って、メダルに見惚れていたみのりに、まだこれからだよ!と夏人が力強く言った。
「地区大会はまるで別次元なんだ。勝ち上がってきた実力者の集まりだからさ。陸玖兄と同じインハイの景色を見るためには、地区で勝たないと何の意味もないよ」
すっかり男らしくなった弟、夏人のその言葉を聞いたみのりは、胸の奥から熱いものが込み上げてくる感覚を感じていた。
と、そこへ、
見ると顧問の
「今日はおめでとうございます」
と深く頭を下げた秋月に「いつも弟がお世話になっております」とみのりも頭を下げた。
「わぁ!夏人のお姉さんキレイだなぁ」
「目元が似てる!」
秋月の後に居た
「お前ら、急に失礼だろ!」
そう
「初めまして。主将の
斗真が挨拶すると、巧と樹も改めて自己紹介をした。
「それにしても、全員で県予選突破なんて、お前らすげぇよ」
その大きな声の主に、斗真たちが一斉に視線を向けた。
「……あ、こちら姉ちゃんの彼氏さんの一条さん。今日は応援に来てくれたんだ」
夏人が壮太を紹介すると、巧が「あー…」と小さく声を出した。
「美人だもんなぁ。彼氏さんいるよなぁ……」
「なにお前?みのりさんにちょっかい出そうとしてたの?100年早いよ!」
巧を揶揄った柊に、その場に居た全員がどっと笑った。
金メダルを獲った柊と夏人はもちろん、バタフライの斗真も、自由形の巧と樹も、各々予選タイムをクリアし、全員が地区予選に駒を進めていた。
秋月が言っていた『全員でインハイに行く』のも、あながち夢ではないかもしれない。
壮太を含めた6人の男たちが、子供のように戯れ合っている様子を、みのりは少し離れた場所から見ていた。
「夏人くん、いい顔してますね」
いつの間にか隣に立っていた秋月に、みのりは少し驚きながらも、はい、と頷いた。
「ほんとに強く明るくなりました。水泳部の仲間たちと、先生のおかげです」
「僕は何もしてませんよ。それどころか、今日皆んなが地区予選に進めたのは、夏人くんのおかげだと、僕は思ってます」
「夏人のおかげ?……ですか?」
みのりは不思議そうな顔をした。
「そうです。夏人くんの成長を側で見ていた彼らには、かなり刺激になったようです。元々負けず嫌いな子たちなので、時には闘志剥き出しで、お互い切磋琢磨していましたから」
みのりの目線の先には、相変わらず賑やかな輪の中心で笑ってる夏人の姿があった。
自分を責め続け、周りにも心を開かなかった夏人が、この仲間たちのおかげで笑顔を取り戻すことができた。大好きな競泳を再開することができた。しかもインターハイへの切符も夢ではないのだ。
そして何より、柊
柊への絶対的な信頼と、彼に抱いた初めての恋心が、夏人を大きく変えた。
その変化をずっと見ていたみのりは決意していた。
家族として姉として、夏人の全てを応援しようと。それは当然、柊との恋も含めてだ。
「夏人、柊、そろそろ行くか!」
賑やかな輪の中に居た壮太が、車のキーを右手の人差し指でクルクルと回しながら、
「はい」
「よろしくお願いします」
お先!と軽く右手を上げた柊に、あれ?柊も送ってもらうの?と巧が尋ねた。
「うん、これから夏人んちに行くんだよ」
「へーーー」
「ふーーーん」
巧と樹はニヤニヤしながら、さっさと行け!と言わんばかりに手をひらひらさせた。
みのりは秋月に、失礼します、と頭を下げて、壮太、夏人、柊の後を追い、その姿は見えなくなった。
壮太が運転する軽ワゴン車に乗り込んだ4人の顔は、さっきまでの笑顔とは全く違う顔だった。
むしろ車内には、わずかだが重苦しい空気が流れている。
車は夏人の家に向かっているのだが、巧や樹の想像しているような、2人の楽しい時間が待っているわけではない。
「母さん、メダル喜んでくれるかな……」
後部座席に座っている夏人が不安そうに口を開いた。
その隣にいる柊が、そっと夏人の手を握った。
「大丈夫よ!あなたが頑張っているのは、お母さんも知ってるんだから」
助手席にいるみのりは明るい声で言った。
きっと少し無理をして、声のトーンを上げたのだろう。
親が子の幸せを願うなら、子も親の幸せを願うもの。
まして母の
苦労して自分を育ててくれた母に、再び幸せを願う夏人は、このまま母との溝を深めてはいけないと、向き合うことを決めたのだった。
そして、県予選を突破した今日、柊と一緒に母と話し合うことにしたのだ。
しかし、競泳の再開を快く思っていない母。
柊との関係を疑い、それに嫌悪感を抱いている母。
一筋縄ではいかないことくらい、容易に想像がつく。
……やっぱり母さんには認めてもらいたい。泳ぐことも、柊くんとのことも。でも、俺の話なんて聞いてくれるのかな。
ふと夏人は、自分の左手を握っていた柊の右手に、力が入ったのを感じた。
夏人と目を合わせた柊は、黙ったまま軽く頷く。
……そうだ。俺は1人じゃないんだ!
夏人は柊の右手を強く握り返し、前を見た。
その瞳には、もう迷いはなかった。
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