第46話 母の懺悔

 「じゃ、俺はここで」

そう言って、3人を車から降ろした壮太そうたは、笑顔で手を振り夏人なつとの家を後にした。

夏人、みのり、ひいらぎの3人も、去っていく壮太の車に手を振った。

「行きましょうか」

みのりが玄関のドアノブに手をかけると、ガチャリとドアが開いた。

どうやら鍵は掛かっていなかったらしい。

 夏人のすぐ背後にいた柊がカーポートに目をやると、一台のステーションワゴンが停まっている。

「親父さんも帰って来てくれたんだな」

そう小声で言った柊が、夏人の背中を軽く突っついた。

「うん。昨日やっぱり心配だから、仕事早く切り上げるって言ってたんだ」



 リビングに入ると夏人の父、龍二りゅうじが「いらっしゃい」と笑顔で出迎えてくれた。

龍二とは初対面だが、想像通りの穏やかで優しそうな印象に、柊は内心ホッとした。

父は夏人とみのりと並んで座るようにと、3人掛けのソファーに柊を促した。

  

 意外だったのは、母、彩乃あやのの反応だ。

夏人から聞く限り、自分にあまり良い印象を持ってくれていないだろう、と柊は覚悟をしていたのだが、彩乃の表情は穏やかだったのだ。

「柊くん、いらっしゃい。試合の後で疲れてるでしょ?」

そう言いながら、好物のココアをテーブルに運んで来てくれた。

ホットココアだ。それと手作りのスコーンも一緒だ。

「暑いけど、冷たいものより、温かい飲み物のほうが疲れを取ってくれると思って。スコーンはお口に合うかどうかわからないけど……」

そんな気遣いもしてくれるにこやかな彩乃を見た柊は、試合の疲れと、ここに来るまでの緊張から、一気に解き放たれたような気がした。


 

 温かいマグカップを手に取った柊は、不可思議な顔を夏人に見せた。

その顔にピンときた夏人は、ボソッと答える。

「昨夜、母さんから柊くんの好物聞かれて……」

「え?そうなの?」

「意外だったんだけど、母さんも柊くんに会いたかったのかも……」


……どういう意味で会いたかったんだろう。悪い意味じゃなきゃいいんだけど。


そんな不安を吹き飛ばすように、柊は自分の両頬を勢いよく叩いた。

その豪快な音に4人は一斉に柊を見る。

「初めまして!青華せいか高校3年、水泳部の柊祐介ゆうすけです!」

柊は頭を下げ、改めて自己紹介をした。その柊らしい挨拶に、4人は思わず笑顔になった。

「初めまして、柊くん」「よろしくね」

夏人の両親も頭を下げた。



 「ほら!夏人!」

不意にみのりが夏人に声を掛けた。

「あれ、見せないと!」

「あ……うん!」

夏人がゴソゴソと鞄から何かを取り出した。それをを見た龍二と彩乃が、驚いた声を出す。

「金メダル?」

「優勝したの?」

「うん……。背泳ぎの200mで」

夏人は少し照れ臭そうに笑った。

「あ、柊くんは金と銀も取ったんだよ!」

「え?いや俺のことはいいよ……」

柊は慌てて両手を振った。

「そうなの?」「凄いじゃないか、柊くん!」

そう2人に賞賛された柊の頬は、僅かだが赤くなっていた。



 今、ここには穏やかな時間が流れている。

このまま何も話さずにいたら、ただ夏人の親友が遊びに来た、というごく普通の時間で終わらせることも出来る。


……いや、その為に来たんじゃないだろ!俺!


柊は隣にいる夏人に目配せをした。その視線に気づいた夏人は、うん、と小さく頷いた。



 「あの、お母さん!」

龍二、彩乃、みのりの3人は、その声の主、柊に視線を向けた。

「周りくどいことは言いません!夏人が競泳を続けることを応援してもらえませんか?その……陸玖りく先輩のことは、夏人から聞きました」

柊がちらりと夏人を見ると、夏人は背筋を伸ばし、真っ直ぐに彩乃を見ている。


「こんなことを言うのは烏滸おこがましいんですが、陸玖先輩を亡くしたご家族の苦しさや、悲しみ。後悔や葛藤は、想像できます。多分それは一生消えないものだろう、とも思います」

「お母さん、俺は夏人…夏人くんに初めて出会った日が忘れられないんです」

柊も夏人と同じように、真っ直ぐに彩乃を見た。

 

 「綺麗な顔をしているのにどこか生気がなような。いつも遠くを見ていて、他人を拒絶しているような。大人びいてそれでいて寂しそうな。そんな印象でした。でも、あの日プールに忍び込んで泳いでいた夏人は、別人でした。生き生きとしていて、もの凄く綺麗だったんです。だから俺は、そんな夏人を見たくて、強引に水泳部に誘いました。ただ……」

柊は、軽く息を整えるように呼吸をした。


 「ただ、夏人から苦しかった過去を聞いた時、俺は後悔しました。俺が夏人の泳ぎを見たい、という身勝手な理由で入部させて、結果夏人を追い詰めてしまったのではないかって」

柊の声は少しずつ小さくなった。そこにすかさず

「その柊くんの身勝手のおかげで、泳ぎが好きだったことを思い出したんだよ」

そう夏人が話し出す。

「柊くんと出会って、水泳を再開する勇気をもらった。友達が増えた。学校が楽しくなった。何より、陸玖兄りくにいと同じ景色を見たいっていう夢を思い出させてくれたんだ」


 「母さん」夏人が姿勢を正した。

「水泳を再開したら、陸玖兄のことで俺が辛い目に遭うかもって心配してくれてたんでしょ?むしろ逆だよ。あの椎名しいな陸玖の弟だって、胸を張って泳げるようになったんだ。俺はもう大丈夫だよ」

夏人は母を気遣うように優しく、それでいて力強く言った。

 


 「だから、泳ぐことを応援して欲しいんだ」

夏人が頭を下げると同時に「俺からも、お願いします!」と柊も頭を下げた。

すると、ずっと黙っていたみのりも

「お母さん、夏人は本当に頑張ってるの。陸玖兄に負けないくらい……」

と彩乃に懇願した。



 子ども達が揃って頭を下げている姿を見ていた龍二が彩乃に囁いた。

「もう本当の気持ちを話してあげたら?」

その言葉を聞いた彩乃は、小さく頷いて話し始めた。

  


 「夏人に泳いで欲しくないって思ってたのは、あなたの為だけじゃないじゃないのよ。全部私の身勝手なの。本当にごめんなさい……」

「え?どういうこと?」

夏人だけではなく、柊も、みのりも少しだけ身を乗り出した。



 「あの日、死んでしまったのが夏人じゃなくて良かった、と一瞬でも思った自分が許せなかったの」



 




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