第35話 誕生日なんて聞いてない

  「で?なに?相談って」

キングとカズに、猫じゃらしを振りながら菜々子ななこが聞いた。

「だから、夏人なつとの誕生日になんにもしないとか、彼氏として最悪じゃない?って話」

すっかり大きくなった2匹だが、今は仔猫のように甘えた声で鳴きながら、菜々子に擦り寄って来る。

 

「うん、最低だと思うよ」

菜々子がキングとカズの頭を交互に撫でると、突き放すように言った。

 だよなぁ……。ひいらぎはガックリと肩を落とした。



 柊が夏人の誕生日を知ったのは、インターハイの地区予選が終わって間もなくだった。

夏休みの部活帰り、いつものようにコンビニに寄った5人はアイスを口にしながら、これまたいつものように、くだらない話に花を咲かせていた。

 

 「てかさ、柊。地区予選どうしちゃったの?マジで」

少し真顔でいつきがその話をすると「だからぁ!なんか、調子悪かったんだって!」とめんどくさそうに柊は答えた。

「そうは見えなかったけど?なんであんな緊張したんだよ」

樹は納得がいかない顔をしている。


 「ま、過ぎたことだし、また来年もチャンスあるしな!」

柊と同じように地区予選で敗退した斗真とうまが、樹の肩を軽く叩く。



 得意としている自由形200mは、県大会でこそ準優勝したものの、地区予選では標準タイムにすら届かず、柊のインターハイへの挑戦は、あっけなく幕を閉じた。

「俺、別に諦めてねぇし!来年は最後だから、気合い入れ直して、絶対インハイに行くから!」

それを聞いた樹とたくみが、顔を見合わせて「よっ!男前!」と拍手をしながら笑っている。

 てか、お前らはもっと練習しろよな!と柊は、どこか嫌味を含んだ言い方をした。


 その様子を見ていた夏人と斗真の目が合い、お互いプッと笑った。

斗真は何故、柊が不調だったのか、その理由を知っている。

 それは、夏人から柊との関係を聞いたからだ。


 夏人は、自分に勇気をくれた斗真に、柊と恋人関係になったことを報告していた。

そうすることは当然の義務だと、夏人は思っていた。

 斗真にとって、想定内のことだったので、夏人からの告白にはさほど驚かなかった。

しかし、柊から夏人にキスをしたことは……。全くの想定外。驚きだった。

 そこは、2人の秘密にしてもいいのになぁ……。

恥ずかしそうに、全てを話してくれた夏人が可愛く見えて、なんだか斗真まで照れ臭くなった。

 こんな素直で可愛いとこに、柊は惚れたんだろうな……。



 柊が地区予選で敗退したのは、単純に力み過ぎたからだろう。

事実、柊の泳ぎはいつもの様な、しなやかで柔らかいそれとは、程遠い泳ぎだった。

競泳初心者の秋月あきつきにさえ「柊くん、珍しく緊張してますね」と見て取れるくらい、柊は明らかにガチガチだったのだ。


 想いが通じた恋人に、カッコいいところを見せようと力むのは、男として当然だ。

だが、その結果が予選敗退となった要因であろう、と斗真は分析していた。

 そんな俺の敗因は、ただの実力不足だけど……。

コンビニの前で、ふざけ合っている4人を見ながら、斗真はふと口元を緩めた。



 「そういえばさ、俺んちの近くにお好み焼き屋ができたんだ」

巧が思い出したように言った。

「中学のダチと、この前食いに行ったんだけど、すげー美味かったんだよ、しかも安いし」

へぇー、と全員が相槌を打った。

椎名しいなっちお好み焼き、好き?」

おもむろに巧が夏人に尋ねた。うん!好きだよ、と夏人が笑顔を見せる。


「じゃあさ、遅ればせながらだけど、椎名っちの入部歓迎会と、誕生日会、そこでやらない?」

「おっ、いいねー!」樹が即答する。


 ………は?誕生日?夏人の?

「え?夏人、誕生日だったの?」

その大声に驚いた4人は、一斉に柊を見た。

「う、うん。一週間前…」夏人は驚いたままそう答えた。

「俺聞いてないけど」

柊は少し不機嫌になった。

 一週間前と言えば、2人は既に付き合い始めていた時期だ。それなのに恋人の誕生日を他人から聞くなんて…。



 「お前が地区予選の直前だったから、集中させたかったんじゃない?な、椎名」

斗真が夏人の気持ちを代弁するように言った。

「そうだよ!椎名っちはお前の大事な試合の前に、自分の誕生日なんて公言しないでしょ?恋人じゃあるまいし」

そう言って笑った巧と樹に、柊の胸はチクリとした。

夏人と付き合い出したことを、まだ言えずにいたからだ。

 普通に女子が恋愛対象の2人に、本当のことを話す勇気が、柊にはまだ持てなかった。


 「あの、柊くんごめんね」

モジモジしている夏人を見た柊は、夏人の肩に腕を回し、とびきりの笑顔を見せる。

「よし!!今度の土曜日、夏人のお好み焼き誕生パーティーだ!」

おーーっ!!と皆んなで盛り上がるものの、夏人には柊が無理に笑っているように見えた。



 その約束通り一昨日の土曜日、巧が勧めるお好み焼き屋で5人揃って食事をして来た、と菜々子に話す柊。

「とりあえず、4人で割り勘して、夏人にはご馳走したけど……」

それだけじゃ、なぁ……と柊は腕を組んで、天井を見上げた。

「やっぱ、なんかしてあげたいんだけど。何すればいいと思う?」

 柊の顔は至って真剣だ。

「プレゼント?……とか?あー、でもなんか重いかな」



 菜々子は、まるで幼い子どもと話しているような感覚だった。

コロコロと表情が変わる柊を見ているのは楽しい。しかも本人は真面目に悩んだいるのだが、その姿もどこか滑稽に見える。

  

 長い間、想いを寄せていた柊が、同性に恋をしていると知った時。

菜々子は、自分の恋が叶わなかった哀しさよりも、柊が歩むこの恋が、この先困難な道のりになるだろうという懸念のほうが強かった。

 同性同士の恋愛に世間の目は、まだまだ冷ややかなのが現実だ。

特に大人になればなるほど、世間体を気にしたり、思うに任せないことが増え、思い悩むことが多くなるだろう。

 

 そう心配をしていた菜々子だったが、柊の無邪気さを見て思い出した。

そう、柊祐介ゆうすけは『天然の人たらし』なのだ。

 この先苦しいことがあっても、自分も含め、柊の人柄に惹かれている人間が味方になってくれるのは間違いない。

 まだ天井を見て考えている柊を見ながら、菜々子は、うん!きっと大丈夫だよね、と自分自身に言い聞かせていた。


 「ねぇ、どうせ2人して、泳いでばっかなんでしょ?」

「え?まぁ、夏だし……。水泳部だし」

「じゃあ、陸上でデートしたら?椎名くんと」

菜々子が悪戯っぽく笑う。

「デ、デート?」

「そ!デート」

「……。デートって何するの?」

そんなの自分で考えなよ!と猫じゃらしで、柊の鼻をくすぐりながら、菜々子がケラケラと笑った。

やめろってー!と柊が菜々子の手を払った時、リビングの扉が開いた。

 

 「ただいまぁ」キングとカズが声の主に向かって走って行った。

母の冴子さえこが帰って来たのだ。

「おかえり」「お邪魔してます」

「あら菜々ちゃん、いらっしゃい」

少し疲れた表情の冴子が、菜々子に笑顔を見せる。


「祐介、お腹空いたぁ…」

「うん。ご飯できてるから、着替えて、手洗って来な」

はーい、と素直に返事をして、冴子はリビングから出て行った。

 相変わらず、どっちが親なのか分からないな…

クスクスと笑った菜々子は、そんな幼い表情を見せる冴子が大好きだった。



 「ねぇ」菜々子はキッチンに立った柊に声を掛けた。

「なに?」

「椎名くんのことは、冴子さんに話したの?」

「もちろん」

「冴子さんなんて言ってた?」

そう聞いたものの、菜々子には既に想像が付いていた。

「おめでとう、って。男だよって言っても、同じ人間でしょ?だと」


 やっぱり……。

冴子は、理解の広い、圧倒的な熱量を持った女性だ。

息子の恋人が男だろうと、女だろうと、本人が幸せならそれでいいのだろう。

世間体も何も関係ないのだ。そんな人だ。


 「相思相愛になれるなんて、奇跡的なんだから、その出会いに感謝しなさい。その彼を大事にしたいなら、あんた自身も一日一日を大事に生きなさい、ってさ」

時々親らしいこと言うんだよなぁ、と冴子の箸や茶碗を支度しながら、柊は笑った。


 看護師という仕事柄、人の生死に関わっている冴子の言葉には、時に重みがある。

子どもっぽい女性だが、やはり大人だ。



 「今日のおかずはなに?」

いつの間にか部屋着になった冴子が、キッチンに入って来ていた。

さっきまで疲れた顔をしていた冴子だが、鍋を覗いている表情は明るい。

「今日は豚の角煮です!」

「うわー!美味しそう!パパも角煮大好きだから、きっと喜ぶね」

「うん。圧力鍋で作ったから、トロトロに柔らかいよ」


 

 菜々子は2人の姿を見ながら、願わずにはいられなかった。

柊の初恋という新しい世界が、どうか穏やかで優しい世界になってくれるようにと。







 












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