第28話 兄として

 こうして、家族5人揃ってキャンプに来たのは2年振りだ。

今日と明日の2日間は、陸玖りくと過ごせる。

夏人なつとは嬉しくて仕方なかった。

 

 

 競泳の強豪校として知られる、昭陽しょうよう大学附属高校に、昨年スポーツ推薦で入学した陸玖は、練習に明け暮れる毎日だった。

長期休みのほとんどは、大会と遠征に費やされた。


 家族と過ごす時間が減り、夏人と市営プールに行くことも、ほとんど無くなった。

夏人は、少し寂しかった。

陸玖が、強くなればなるほど、離れて行ってしまう気がしたからだ。


 それでも高校1年生にして、インターハイで入賞するなど、輝かしい成績を残している兄を、夏人は誇らしく思った。自慢の兄だ。


 そして、そんな陸玖に少しでも近づきたくて、中学生になった夏人は、水泳部に入部をしていた。

陸玖と同じ自由形を泳いでいる。

そして昨年の中総体では、持ち前の運動センスを発揮し、県予選で準優勝した。

「俺の目に狂いはなかった!」

と陸玖が大喜びしてくれたことが、夏人は銀メダルより嬉しかった。




 「今年は俺もキャンプに行く!!」

陸玖が突然そう言ったのは、夏休みに入る直前だった。

その場に居た家族全員、驚いた。

「いや、お前今年のインハイは関東だろ?」

父は、インハイに出場する前提で話をしている。


 「おー!もちろんインハイには出るよ」

ニコりと笑った陸玖が言う。

「地区予選の前に少し時間あるだろ?そこで俺もキャンプに行きたい!」

「んー」

父が上を向いて考えているようだ。


 「スケジュール的にはギリギリだなぁ。今度の土日しかないかな?」

「今度って、今週末ってこと?」

母もみのりも驚いた。

だが、夏人の胸は高まっていた。

 陸玖兄りくにいと一緒に居られるの久しぶりだ!行きたい!


スマホで何やら調べていた陸玖は「ほら!」と画面を見せた。

「週末、天気いいって!」

そして夏人に向かってVサインを出した。

「夏人ともみのりとも、最近話せてなかったし」

「それに、アスリートには息抜きも大事っしょ!」


 父と母は、顔を見合わせて笑った。

夏人は陸玖に「へへッ」とVサインを返す。

そんな夏人の笑顔を見ているみのりは、少し安堵していた。

 陸玖が高校生になってから、夏人はどこか寂しそうだったからだ。




 「夏人、陸玖、あまり川に近づくなよ」

「わかってるよ、幼稚園児じゃねーし!」

注意を促す父に、陸玖は戯けて答えた。



 この日は、空は晴れ渡り、太陽も照りつけていたが、それほど暑くもない。

絶好のキャンプ日和だった。

ただ、昨日、この辺りは一日中雨が降っていたようで、川が増水していた。

茶色く濁った水は、流れも速かった。



 テントも張り終え、母とみのりは昼食の準備をしている。

父は「ちょっと休憩」とコーヒーを淹れていた。

ジュースを飲み終えた陸玖は

「夏人とその辺ブラブラしてくるー!」

と言って、夏人を散歩に連れ出した。



 「最近、水泳どうだ?」

並んで歩く陸玖を、夏人は見上げた。

「陸玖兄、また背伸びた?」

夏人も中学生になって身長は伸びているのだが、陸玖には追いつかない。

それどころか、また差が開いている気がする。


「うん、伸びた!今178センチ」

「すごい!絶対180センチいくよね!」

「うん。この調子だと楽勝じゃね?水泳もタッパあった方が有利だからね」

「そうだね」

「で?夏人はどう?」

「身長?」

ははは、と笑った陸玖が「ちげーよ!水泳!」と夏人の頭に手を乗せた。



 河原に座った陸玖が、ポンポンと地面を叩き、夏人に座るよう促した。

夏人は、陸玖の隣にちょこんと体育座りをした。


「ほら!」

陸玖は自分のスマホを夏人に見せる。

そこには、初めて出場した地区予選で、自由形を泳いでいる夏人が映っていた。

この大会で夏人は惜敗し、後一歩のところで、全国大会出場を逃したのだ。


「始めたばかりで、ここまでいくとはな」

「さすが、俺の弟だ!」

だが夏人は恥ずかしいようだった。

陸玖のスマホを取り上げようとする夏人を、揶揄うように陸玖は笑った。



 県予選の決勝の日。

自分も大会を間近に控えた陸玖だったが、練習の合間を縫って、応援に来てくれていた。

その姿を見つけた夏人は、ホッと緊張がほぐれ、いつも以上の力を出せた。

 その結果、2位の表彰台に上れたのだが、何よりはっきりと聞こえた、陸玖の声援が嬉しかった。



 「動画、親父に頼んでおいたんだ」

その後の地区予選は、県大会のそれとは別格だった。

 スピードも、技術も、体力も。

そしてメンタルまで、全てが格上の選手ばかりだった。


 それでも夏人はなんとか決勝に進んだ。

しかし、全国への切符はその手から滑り落ちた。

スマホに流れているのは、その時の動画だ。

夏人はその無様な自分を、陸玖に見て欲しくなかった。



 「お前の課題はまず、飛び込みだな。もっと尻の筋肉を意識して・・・」

陸玖はその動画を静観し、冷静に分析していた。

「あとは、徹底的に体力不足。後半バテバテだもんなぁ」

そう言った陸玖は、夏人の尻をギュッと摘んだ。

「痛っ!!」

悪ふざけをしている子どもの様な顔をした陸玖を見て、夏人も思わず笑った。


「今年こそ、全国な!」

夏人の全国大会への戦いもまた、間も無く始まる。

陸玖に背中を押された夏人は、改めて背筋が伸びる気がした。

 


 話は相変わらず水泳のことばかりだった。

だが「夏人、学校はどうだ?友達はどんなヤツだ?」

と不意に水泳以外の質問をされた。


 「・・・。友達は少ないけど、学校は楽しいよ」

「そっか。好きな女の子はいるのか?」

「え?い、いないよ!」

「マジで?お前絶対モテるのに、もったいないなぁ」

「そ、そう言う陸玖兄はどうなの?」

この手の話題が苦手な夏人は、慌てて、話を陸玖に振った。



 「俺?いやー、俺モテちゃうんだけど」

「いかんせん、水泳ばっかで・・・」

モテるのは間違いないだろうな、と夏人は思った。

「残念ながら、彼女はいませーーん!」


 「なーんだ。陸玖兄にもいないんじゃん!」

「うん、いないけど・・・」

急に陸玖が真顔になった。

「好きなヤツはいる。多分向こうも俺が好き」

「でも、お互いそれどころじゃないし。ま、いろいろ、ね」


 陸玖の恋バナなんて初めて聞いた。

陸玖も17歳のいたって健全な男子高校生だ。

恋人の1人くらい居たところで、なんら不思議ではない。

 

 陸玖はイケメンで明るく、優しくてコミュ力が高い。

そんな陸玖でも『恋』というのは、ままならないらしい。

 

 陸玖兄にも、思い通りにならない相手がいるんだ。

 僕には『恋』なんてハードル高すぎるよ・・・。


夏人はぼんやりと陸玖を見ていた。



「好きな子ができたら、俺に相談しろよ!」

男同士なんだから、と陸玖は夏人の肩を引き寄せた。

「そんなに僕のこと気になる?」

質問責めの陸玖に、ふと夏人は聞いてみた。


「当たり前だろ!」

陸玖の声が大きくなった。

「初めて会った瞬間から、みのりと夏人は俺の大事な家族なんだ」

「親父は彩乃あやのさんを守りたい、俺はみのりと夏人を守りたい、そう思って家族になったんだよ」


 夏人を真っ直ぐ見る陸玖の目には、曇り一つない。

「なのに高校生になって、あまり一緒に居られなくなっただろ?」

「みのりはしっかり者だから、あまり心配ないけど・・・」

ニコっと笑った陸玖が、夏人の頭に手を乗せた。

「お前は、ちょっと心配だったから」



 「子ども扱いして・・・」

ふくれっ面をした夏人に、ごめん、ごめん、と陸玖が笑った。

「大事な家族を笑顔にしたいって思うことは当然だろ?」

「特に夏人はさ、俺と一緒に泳いでくれてるし。だから泳いで良かった!って思いきり笑って欲しいんだよね」

「なのに、最近寂しい思いさせてるんじゃないか、って気になっててさ」


 そうか。

だから、今日、なんとか時間作ってキャンプに来たのか。


 『大事な家族を笑顔にしたい』

陸玖はちゃんと、それを守ってくれている。

陸玖が兄になった日から、夏人の毎日はガラリと変わった。

 

学校も、部活も、1人で練習する市民プールも、そして家の中も。

全てがカラフルになった。



 こんな日が、これからもずっとずっと続くと、夏人は思っていた。

きっと陸玖も、そう思っていたはずだった。















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