第26話 家族

 夏人なつと椎名陸玖しいなりくと初めて出会ったのは、小学5年生の暑い夏だった。

母の彩乃あやのから、陸玖は中学2年生と聞いていたのだが、想像よりずっと身長が高く、さらに体格もいい。

自分を見下ろす陸玖に、夏人は威圧感を感じ、萎縮した。


 「これから、みのりと夏人の兄貴になる椎名陸玖だ!よろしくな!!」

陸玖は2人に、白い歯を見せながら、少しハスキーな声で、優しく笑う。


 よく見ると、日に焼けたその顔には、まだ幼さが残っていた。

そして、陸玖が見せる笑顔は、すこぶる明るく、吸い込まれそうな魅力があった。

夏人は一瞬で、椎名陸玖という男の、不思議な魅力に惹きつけられてしまったのだ。

それは、姉みのりも例外ではなかった。



 

 「夏人。そろそろ支度してね!」

母にそう言われた夏人は「分かってるよ・・・」と面倒くさそうに答え、自分の部屋に入った。

クローゼットを開けると、無意識に大きく溜め息をついていた。


 夏人とは正反対に、母と姉は、楽しそうに服選びをしているようだ。

街に出て、駅前のホテルにあるレストランで食事をするのだから、嬉しいのは当然だろう。


 夏人は再び溜め息をついて、黒のスキニーパンツと白のTシャツを、無造作にベッドに並べた。


 

 別に母の再婚を反対しているわけではない。


 5歳の冬、夏人は、父を交通事故で亡くしている。

まだ幼かった夏人には、父の記憶がほとんどない。


 それでも、大きな背中と、自分を呼ぶ優しい声を、夏人はぼんやりと憶えている。

その父が突然いなくなった。

5歳の子どもにとって『死』の意味はよく分からないことでも、悲しく、辛いことだったのは、はっきりと記憶に残っている。



 母、彩乃は愛する夫を亡くしても、それを悲しむ暇もなく、仕事と子育てに追われていた。


 夏人は、疲弊していく母を側で見ていた。

そして何も出来ない、幼い自分に腹が立っていた。

早く大人になりたいと、願って止まなかった。


 

 そんなある日。

仕事中、母が過呼吸を起こし、救急搬送された。


 『パニック障害』だった。

極度のストレスと、過労が原因だろう、と医師が話していたそうだ。


 それ以降、度々発作を起こすようになり、仕事にも支障をきたすようになった。

母は、何度か休職もした。

生活が苦しくなってきていることは、小学生の夏人にも理解できた。


 しかしそれ以上に・・・。

塞ぎ込んでいく母を見ているのが辛かった。


 いつ発作が起きるかわからない恐怖と、経済的な苦しさ。

加えて、父を亡くした喪失感に、改めて苛まれている母。


 まだ子供だった夏人とみのりには、母を救う手立てなど、持ち合わせていなかった。



 

 しかし、そんなどん底にいた母を救ってくれた1人の男性がいた。

その男性が、これから一緒に食事をする、椎名龍二しいなりゅうじだ。

彼は母の勤め先に出入りしていた、取引先の人間、と夏人は聞いている。


 椎名龍二とは、既に数回会っている。

いや、会わされている、と言った方が正しいかもしれない。

 彼はすこぶる真面目で、誠実な男だ。

母の病気のこともよく理解をし、優しく寄り添ってくれている。


 もちろん、夏人やみのりに対しても、穏やかで思いやりがあるのは言うまでもない。

夏人は、この椎名龍二という男を、信頼できる人間と認めていた。

認めてはいたが『再婚』という言葉を母から聞いた時は、かなり動揺した。


 

 それは、夏人の男としてのプライドからだろう。

夏人は母を守りたかった。

しかし、それができるのは子供の自分ではなく、大人の男だった、ということ。

しかも、それは赤の他人だった、ということ。

その現実を夏人は、すぐには受け入れられないでいた。



 「夏人ー!どう?」

みのりがヒョいと、弟の部屋に顔を覗かせ、見たことのない淡いブルーのワンピースを、自慢気に見せた。

「いいんじゃない?」

夏人は、みのりをほとんど見ずに、ぶっきらぼうに答える。

 そんな夏人を、みのりは不安そうに見た。

「・・・。やっぱりお母さんの再婚はいや?」

「そうじゃない。お母さんが幸せになってくれたら、僕も嬉しいし・・・」

それは、決して嘘ではない。


「ただ、みんなお父さんのこと忘れちゃったら・・・。そんなの可愛そうだよ・・・」

夏人はぎゅっと唇を噛み締めた。


 父親の記憶がほとんどない夏人だが、他の男と再婚して幸せになる母が、あの大きな背中で、自分を愛してくれていたであろう父を、忘れてしまうのを恐れているのだ。


「そんなわけないでしょ?」

みのりは、まだ着替えを終えていない夏人を、そっと抱きしめた。

「お父さんを忘れることなんて、一生ないよ」

「だって、本当のお父さんはたった一人だもん」


 黙って俯く夏人の頭を、優しく撫でたみのりは

「早く着替えてね!お兄ちゃんになる陸玖さんにも会うんだから、ちょっとはお洒落してね!」

と夏人を促し、部屋を出て行った。


 そうだ、今日は兄ちゃんになる人と会うんだ。


夏人は急いで他の服を選び始めた。



 

 椎名龍二もまた、先妻を病で早くに亡くしていた。

一人息子の陸玖を、龍二は男手一つで、懸命に育ててきたのだ。


 そうして、母親を亡くしても、父親に愛され逞しく育った陸玖が、レストランのテーブルを挟んで夏人の目の前にいる。

夏人は、どこか気恥ずかしくて、陸玖の顔を直視できない。

 

 次々と、だが静かに運ばれてくるフレンチのコース。

慣れていない5人は、それをぎこちなく口に運んでいる。


その様子を見ていた陸玖は、ナイフとフォークを置いて言った。

「親父!だから、こんな洒落たレストランは止めようって言ったんだ」

「彩乃さんの前だからカッコつけたいのは分かるけど、みのりも夏人も緊張しちゃってるじゃん」


 陸玖の言葉で、今までの少し重い空気が、ふと軽くなった気がした。


 そして、メインディッシュが運ばれてきた。

ラムチョップのソテーだと、ウエイターが言った。

「もう、さ!好きに食べようぜ!」

「せっかくの美味いもんも、緊張してたら、わかんなくなるよ!」

そう言って、ラムチョップの骨の部分を手で持って、陸玖は勢いよくかぶりついた。


 慌てた龍二は「こら、陸玖!行儀悪いぞ!」と息子を戒めた。 

「すみません・・・。こんな店に連れてきたことないもんで・・・」

だが陸玖は、父の言葉を無視して、美味しそうに食べ続ける。


 それを見ていた夏人が、陸玖を真似てラムチョップを頬張った。

「夏人、美味いよな!」

「うん、美味しい!」

夏人の笑顔を見た陸玖も、にっこりと笑った。


「ガサツな息子でお恥ずかしい・・・」

頭を掻く龍二に、母が笑顔で言う。

「陸玖くんの言う通りね。せっかくだもの。私たちも美味しく頂きましょう!」

「彩乃さん・・・。ありがとう」

そんな2人のやりとりを見ていたみのりも、いつの間にか大きな口を開けて食べ始めていた。



 ようやく明るく、賑やかな食事になった。

デザートが運ばれる頃には、もう家族のように、会話が弾んでいた。

 陸玖の明るい笑顔と、無邪気さと、気配りのおかげだ。


 こんな人が僕の兄ちゃんになるのか・・・。


 

 夏人は、既にワクワクしていた。

この父子と家族になったら、母のみならず、姉と自分も幸せになれるかもしれない。

そう考えたら、今度は、陸玖の顔をしっかり見ることができた。

日焼けした、端正な、でもまだ幼さが残る顔を。




 それからおよそ3ヶ月後、5人は正式に家族になった。

夏人の苗字が変わり、椎名夏人になった。


 夏人は、明るく、魅力的な、椎名陸玖の弟になったのだ。




 





 








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