第12話 願い

 一礼して大鳥居をくぐり、顔を上げると、大勢の人だかりで上が全く見えない。

「本殿まではまだまだかかりそうだね」と夏人なつとが苦笑いする。

「仕方ないでしょ。有名な神社だし」

そう言いながら、ひいらぎは、202段ある石段の、1段目に足を乗せた。


 元旦の昼。電車を乗り継いで初詣に来たのは、県内でも例年、多くの参拝客で賑わう人気の神社だ。

天気が良いと、遠くに海も見える。春はお花見、秋は紅葉の名所としても人気がある。

運が良ければ初日の出も拝めるのだが、残念ながら今年は、それは叶わなかったらしい。


 柊から『初詣』の誘いのLINEがきたのは、30日の夕方だった。

夏人は姉みのりと一緒に、正月の買い出しの為スーパーに来ていた。

夏人にとって、初詣は特別な儀式ではないし、まして楽しみにしているイベントでもない。

うーん、とスマホを睨みながら立ち止まった夏人に気づいたみのりが「どうしたの?」と聞いてきた。

「いや、学校の友達がさ。初詣、一緒に行かないかって・・・」

みのりはときた。

 

 その友達とは、最近夏人を男子高校生に変えてくれている子ではないのか。

「いいんじゃない?行ってくれば?」

しめ飾りを選びながら、みのりが言った。

「ここ数年行ってないでしょ?夏人が神様を信じてないのは知ってるけど、出店とか楽しそうだし、気軽に行ってもいいんじゃない?」

そうみのりに言われた夏人は、少し考えてから『いいよ』と柊に返信していた。


 それにしても・・・。

なんでわざわざこの遠い神社なんだろう。もっと近くにも大きな神社があるのに・・・。

「ここはさ、勝負の神様で有名なんだよ。だから来たかったんだ」

柊はまるで夏人の心を読んだかのように、その疑問に答えた。

 夏人は一瞬ギョっとした。

「そ、そうなんだ。あ、今年こそインハイ出場を!ってお願いするんだね!去年は惜しかったって聞いたから・・・」

少し焦りながら柊の横顔を見た。

「ん、それもあるけど・・・」

柊は夏人を見て、右手の人差し指を立てた。

「もう一つあるんだなぁ!」

とニっと笑った。


 「それにしても・・・。寒いなぁ」

石段の3分の1くらいまで登ったところで、柊がぼやいた。

「まあ、正月だし・・・」夏人が苦笑いする。

「でも今年は暖冬です、って天気予報で言ってたじゃん」

柊は子供みたいに、ふくれっ面をした。


 柊はこう言うが、あながち天気予報は間違ってない。

確かに今年は例年より暖かいし、雪も少ない。

 ただ昨日の大晦日はかなりの雪が降った。

こうして初詣に来ている今も、どんよりと曇っていて、チラチラと雪が降っている。気温も朝からあまり上がっていない。

 石段は融雪剤が撒かれているものの、所々凍っている場所がある。

椎名しいな、足元気をつけろよ」

と柊が注意を促したその瞬間「わっっ!」と夏人が声を上げた。

足を滑らせたのだ。

と、同時に・・・。

 柊が夏人の右腕をグッと掴んで、自分の体に引き寄せた。


「言ってる側から、危ねーな!!大丈夫か?」

柊はまだ夏人の腕を掴んだまま、心配そうに聞いてきた。

「あ、う・・・うん。ごめん、ありがと・・・」

柊の体から離れて、夏人は答えた。

 気をつけろよ、と夏人の頭をポンポンと軽く叩いた柊は、優しく笑った。


 こういうことを女の子がされたら、一瞬で好きになっちゃうんだろうな。

ふと、4組に柊が来ると、キャッキャッと喜んでいる女子を思い出す。

 夏人は胸の奥は何故か、モヤっとした。


 ようやく2人は本殿の前にたどり着いた。

作法があやふやな夏人に「ニ礼ニ拍手一拝だよ」と柊が小声で教える。

 横目で柊を真似ながら、夏人は鈴を鳴らし、お賽銭を静かに入れて、2度お辞儀をした。

『パンパン』と大きく2回拍手をした後、目を閉じて祈った。

正しくはをしている。ただ軽く目を閉じているだけだ。

 

 夏人には特段、祈ることも、叶えて欲しい願い事もないのだ。

薄目を開け、チラリと柊の横顔を見ると、まだ何か熱心に祈っている。

 気付けば雪は止み、境内にはうっすらと陽が差してきていた。

大勢の参拝客で賑わっているのだが、真剣に神に祈っている柊の周りだけは、静寂で、厳かで、ゆっくりとした時間が流れている。

夏人はそんな錯覚を覚えていた。

 深々とお辞儀をした柊を見て、慌てて夏人もお辞儀をし、人混みを避けながら、柊の後ろを歩いた。


 「あー、腹減ったなぁ」と柊が腹をさする。

「出店いっぱいあるね!柊くんは何食べたい?」

久しぶりに見る出店に、夏人はテンションが上がっていた。

「・・・。と、その前に・・・」

柊が指を指した方向を見ると『おみくじ』と書いてある。

「・・・引くの?」夏人はおみくじや、占いなどは、信じていない。むしろ嫌いな方だ。

「ん!引く!初詣のイベントだからな」

と柊はその方向へ歩き出した。

 仕方なく夏人も柊に付いて行った。


 「よっしゃぁ!!大吉!!」

柊の引いたおみくじは、見事大吉だった。思わずガッツポーズをしている。

「椎名はどうだった?」と柊が覗き込むと『半吉』と書いてある。

「柊くん。半吉ってなに?」

夏人が怪訝けげんそうな顔をして聞くと、柊が「おーーーー!」と大声を出した。

周りにいる数人が、チラチラとこちらを見ている。


 「ちょっと、柊くん、恥ずかしいよ」という夏人にお構いなしで、柊は興奮気味に言う。

「半吉って、かなりレアなんだよ!そもそも半吉を入れる神社が少ないのに、入れてる神社でも、数パーセントしか入れないって聞いたことある」

「だから今年の椎名は、運がいいってことだ!」

「でも、あまりいいこと書いてないよ・・・」

おみくじを読んだ夏人がまた怪訝そうな顔をした。

「まぁ、半吉って自体の運勢はあまりよくないんだけど・・・」

柊はポリポリと頭を掻いた。

 「でもあれだな。かなり珍しいんだから、ある意味運がいいんだよ!」

こじつけだな、と夏人は苦笑いした。

そもそもおみくじなんて信じていない。『半吉』だろうが『大吉』だろうが夏人にはどうでもいいことだった。


 だが隣にいる柊にとっては、どうでもいいことではないようだ。

「願い事・・・。叶う!だって!!」と喜んでいる。

「じゃ、インハイいけるかもね!」

柊に合わせて、夏人は喜んでみせた。

「いや。インハイは俺次第じゃん。練習と研究と、自己管理。これができれば自ずと結果は付いてくると思う」

 柊の顔は真剣だ。

「でももう一つの願いは、神様の力を借りないと。俺だけの力だけじゃね。たぶん叶わない」

「ふーん・・・。じゃ、その願い事ってなに?」


 柊は、夏人に軽くをした。

「いたっっ!」さほど痛くはないが、夏人は大袈裟に額に手を当てた。

 そして柊はコホン、と小さく咳払いをし、こう答えた。

「椎名夏人と泳げますように!だよ!」

「・・・・・・・」

 そうだった。夏人は思い出した。

柊が夏人に近づいたのは、が目的だったことを。

「そうだよね。柊くんは、その目的を果たす為に友達のをしてたんだよね」

夏人は寂しそうな顔をして、項垂うなだれた。


 「は?お前マジで言ってんの?」

今度は柊が強い目つきで見据える。その表情に、夏人は一瞬怯んだ。

「・・・。あー。ごめん・・・」

夏人の怯えたような顔を見て、柊は謝った。

「でも友達のは酷いな。今までのお前への態度を見てそう思われたんだったら、ちょっとショックだわ・・・」

 そう言った柊の声は、怒っていると言うより、どこかもの悲しい。

「少なくとも俺は夏人を大事な友達だと思ってるよ」

「まぁ、最初は水泳部に入ってほしくて声かけたから、そう思われても仕方ないけど・・・」


 「でも今は、純粋に夏人と一緒にいると、自然体でいられるんだ。というか・・・。うん、とにかく楽しいんだ!」

 まだねている夏人が柊を見ると、もういつもの笑顔に戻っている。

「俺、もっとお前を知りたいし、もっと楽しいことしたいし、勉強も教えてもらいたい!」

それは捉えようによっては、好きな女の子への告白みたいな台詞だ。

「ま、あわよくば、水泳部には入って欲しいんだけど。それは夏人の自由だしな!」

と柊が、はにかんだ。


 夏人には理解できなかった。

何故そこまで自分と泳ぎたいのか。何故こんな自分と一緒に居たいと思ってくれるのか。

 その疑問を、思い切って柊にぶつけた。

柊は真面目に聞いている夏人に、きちんと向き合って答えた。

時々、いつもの幼い笑顔を見せながら、真っ直ぐに答えた。


 その答えを聞いた夏人は、体の奥の奥で、何かが音を立てて、弾け飛ぶのを感じていた。

その後に襲ってきたのは、心臓にチクチクと針が刺されているような感覚。

体中の血液が、勢いよく流れる感覚。

この感覚は前にも感じたことがある。『あー。そうだ・・・。5年前だ・・・』

 軽い目眩を覚えた夏人は、柊が喋る後半の話は、ほとんど頭に入ってこなかった。


 「さて、なに食おうか?」

柊の言葉で、我に帰った夏人は慌てて、柊に並んで歩き出した。

「寒いから温かいのがいいかな。あ、柊くんは焼きそば?売店でもいつも焼きそばパンだもんね!」

「なんだよ、俺焼きそばしか食ってないみたいじゃん!」

ゲラゲラ笑う柊の体と、夏人の体の間には、触れそうで触れない微妙な距離があった。

その微妙な空間を、冷たく凛とした空気が流れている。

 夏人がその空気を思い切り吸い込むと、自然と背中がスッと伸びた。そして前を向いて、ある決意をした。


 そういえば。

 『椎名』と呼んでいた柊が、いつの間にか『夏人』と呼んでいる。

たぶん柊は無意識なのだろう。

その無意識さが、夏人を『大事な友達』として見ている証の一つなのかもしれない。


 「じゃ、まずは焼きそばから食べる?」

と夏人は揶揄からかうように、柊の前を歩いた。









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