人喰い桜。

朧塚

妖怪桜。

 うちの学校には八月になっても花を咲かせる桜の木がある。

 普通は桜の季節は三月か四月で、遅くても五月には散る。

 だが、うちの校門裏にある大きな桜は八月になっても花が咲いている。桜の花びらが地面に散っている。

 古くから学校に勤めている教師に訊ねても、用務員さんに訊ねても原因は分からないらしい。そもそもどういう種類の桜なのかも分からないそうだ。

 そして、その桜の木の中央には大きな孔が空いている。

 孔の奥に願い事を書いた札を入れれば、願いが叶うという話だ。


 クラスメイトの和真が例の桜の木で首を吊っていたのが発見されたのは、七月の上旬くらいだった。和真はイジメられっ子で、中心となっていたのは、クラスのリーダー格である吉岡と木場の二人だった。よりにもよって、クラスの人気者達の的にされていた為に、必然的に和真はクラスメイト全員から無視や軽いいじめを受けていた。いわば、クラス全員がいじめの加担者だったというわけだ。

 首吊りの現場検証を行った警察官達によると、桜の木の孔の中に神社で買ってきた絵馬が入っており、そこには吉岡と木場の名前がでかでかと、そして小さくクラスメイト達の名前が刻まれていた。名前の隣には呪いの言葉が虫のようにぎっしりと書き記されていた。どうやら、そこには俺の名前もあったらしい。

 加えて、クラスメイト全員の机の中に、意味不明な言葉が和真の字で綴られた、ノートの切れ端が突っ込まれていた。そこにも呪いの言葉がぎっしりと書かれていた。俺も含めて、半分以上の人間がノートの切れ端を読まずに捨てた。

 和真は小太りでいつも汗をかいているような男子生徒だった。

 不潔な印象を与えるらしく女子からも嫌われていた。

 担任の体育教師の机の中にもノートの切れ端が入っていたらしく、担任は和真の事は忘れろ、とホームルームで堂々と言った。

 

「和真の奴、本当に自殺しちゃったみたいなんだよなぁ……」

 そう、木場が俺の眼の前で溜め息を吐いた。

「なあ。最初にあいつイジメ始めたの誰だっけ? 俺と吉岡じゃなかった気がするんだけどさぁ」

「今更、責任逃れするのかよ?」

 バスケ部の倉本が木場を見て呆れていた。

 そういう倉本も昼休みに、和真を見てはバスケットボールをぶつけたりして遊んでいた。

「いじめはなぁー。悪いよなぁー。ほんと、悪いよなぁ。俺、こんな筈じゃなかったんだけどなあぁ」

 木場はどうやら、本当に和真の事を悔いているみたいだった。今更、遅すぎた。元々、木場はいじめが悪い事だと、一年の時は言っていた。

 

そう、いじめは悪い事だ。

そんな事は誰だって知っている。

和真を率先してイジメていた吉岡と木場は二人共、ちゃんと知っていた。

滑稽な事に吉岡達は流行の学園ドラマにハマっていて、学園内で起きるイジメられっ子キャラクターに同情して、ドラマ内のイジメっ子キャラを本当に嫌っていた。

でも、彼らはフィクションの中の人物の方がよっぽど同情出来て、クラスメイトの中にいる、どうしても生理的に嫌いな人間には同情出来ないみたいだった。

ドラマとか漫画とか、あるいは新聞やTVで報道されるようなイジメは悪いイジメ。

けれども、自分達が和真に行うイジメは良いイジメ。

そんな歪んだ認識が吉岡達、あるいはクラス全体で形成されていたんだと思う。

和真へのイジメは過激さと陰湿さを極めたものとなっていた。

「和真の家。貧乏なんですよね……。だから、あいつ、いつも臭いし…………」

「あいつの父親、犯罪者なんだってよ。強盗だか詐欺だかで刑務所いるんだってさ…………。まあ、今更、みんな知っているよなあぁ…………」

 清廉潔白な性格だが、気弱で内気。けれども、お洒落をしたら美少年……。そんな人間をいじめるのは赦されないが、和真のような犯罪者の子どもで、汚らしいデブ。顔も不細工。そういった人間はいじめても構わない。何故か、歪んだ認識がみんなの間で共有されていた。


「吉岡。今日は学校に来ないなあぁ」

 冷たい缶コーヒーを飲みながら、木場は溜め息を付いていた。

 どうやら、彼は本当に落ち込んでいるみたいだった。

 そう言えば、木場、それから倉本と吉岡は直接、和真をいびったり暴力的な事を行う事はしていたが、陰でこそこそ、和真をイジメる事だけはしなかった。もしかすると、元々、三人は和真に対しての関わり方が分からなくて、イジメという形になったのかもしれない。

 和真が悲惨だったのは、便乗犯になったクラスメイト達だった。彼らはまず、和真を空気のように無視して、陰で噂を広める事や配布されるプリントを捨てる事などから始まり、次第にエスカレートしていった。和真の下駄箱や机の中にゴミや生きた虫を詰め込む。和真がトイレの中に入っていると上から水をかける、体操着を盗む、果ては和真の父親の犯した強盗事件の記事を印刷して学年中、学校中に貼って回る事までしていた。

 木場達は、何処となく苦虫を潰していた。

「確かに、俺はプロレスごっこと言って、和真を締め上げたり、飛び蹴りをしたりしたけどさあ。あいつ、抵抗しねぇから。抵抗すれば良かったんだよ」

 木場は缶コーヒーの缶をゴミ箱に放り投げる。

 歪な関係に見えたが、木場、吉岡の二名は単なるイジメの標的ではなく、和真に対して普通の友達のように接している事もあった。カラオケやゲーセンに連れていったり、飯を奢ったりもしていた。好きなゲームの話を聞いている事もあった。イジメの主犯格達のその日の気まぐれで行われる飴と鞭は、余計に和真を追い詰めたのかもしれないが、少なくとも、無視して陰湿に裏から嫌がらせを続ける他のクラスメイトと比べたら、二人は和真に対してよっぽど人間として見ていたように思う。

 だからこそ、木場が本当に罪悪感を抱いているのは見ていてよく分かった。


 その晩、木場は校舎の屋上で首を吊って死んでいた。

 遺書があった。

 遺書の中には「和真に“桜の木の呪いを教えてやった”」と書かれていた。


 桜の木の呪い…………。

 それは、女子達の間で流行っているLINEで送られてくるチェーン・メールだった。

 校舎の裏にある奇妙な桜の木。

 桜の木に開いている孔。

 そこに、呪いたい相手の名前と呪いの言葉を書き綴って入れる。

 桜の木は血や人の不幸の心を欲するので、本当に願いを成就させたいなら、桜の木の孔に手を入れて孔の中に自分の血を垂らす必要がある。

 警察は俺達に言わなかったが、情報が何処からか漏れたのか、和真は手首を切り刻んで桜の木の孔に大量の血を流し込んでいたらしい。呪いたい相手が多過ぎた為に、手首から流れる血以上のものが必要だった。すなわち、和真自身の命を犠牲にして、クラスのみなを呪ったのだろう。


 夏休みになる直前だった。

 クラス中の人間が嘔吐や下痢、発熱などによって学校を休み始めた。

 休んでいる生徒達からのLINEの文章には、みな同じように夢の中で桜の木が見えると書かれていた。瞬く間にクラスメイト達の恐怖は伝播していった。


「俺、どうなるのかな…………」

 倉本は半泣きで俺の隣でうずくまっていた。

 木場が自殺した次の日から、倉本はクラスメイトから無視され始めた。吉岡と木場に次いで、和真をいじめていた主犯の一人として扱われていた。みな、和真の呪いから逃げたかった。近頃、倉本は部活でも無視され、ついにはレギュラーを外されてしまったらしい。

「自業自得なのかな…………。でも、みんなやったんだよな…………」

 窓際で倉本は半泣きになっていた。

 それから、夏休みに入って数日して、岡石の訃報を聞かされた。

 岡石は高いビルから飛び降りたらしい。

 岡石はいじめの主犯格では無かったが、よく吉岡に媚びへつらっていた。彼は少し猿に似た顔立ちをしていたので、吉岡と木場からいじられる事も多かった。和真がいなければ、和真ほど酷い事にはならなかったと思うが、イジメの標的にされていたのは岡石だっただろう。結果として、岡石は和真を身代わりに立てた、という事になる。

 俺の家の玄関のチャイムが鳴る。

「なあ、玉木。俺、本当にどうすればいいのかなあ…………」

 倉本はかなりやつれた顔をしていた。

 俺もどうしていいか分からなかった。

 俺だって、和真のイジメに加担していなかったと言えば嘘になる。

 ネットにある程度強かった俺は、LINEを使って女子生徒のフリ、所謂、ネカマをやって和真をからかった事は何度もある。和真の個人情報入手の為に和真家の家庭事情を特定して流す事にだって加担した。

「取り合えず、死なないようにしようぜ…………。それにしても、吉岡、どこ行ったんだろうな…………」

 吉岡は結局、失踪という事らしい。

 

 俺と倉本は学校の校門裏へと向かった。

 校庭ではサッカー部の連中が練習に勤しんでいた。

 校門裏に着くと、八月なのに綺麗に咲き続けている妖怪桜が見えた。

 桜の中央には、大きな孔が開いていた。

「おい。あれ、なんだと思う?」

 倉本が指を指す。

 コブのようなものが三つ程、見つかった。

 一つ大きなコブが桜の樹木の頂上になり、まるで嘲り笑う人の顔のように見えた。その下に一回り小さいコブが二つ程出来ていて、それぞれ大きなコブが和真。小さなコブが木場と岡石の顔に見えた。

 俺達は言葉を失っていた。

 セミが鳴いている。

 俺達の背中には悪寒が走っていた。

「たぶん、俺達も、この桜の木の一部になるのかな」

 倉本はぽつりと言った。

 俺は無言で頷いた。

 せめて、桜の一部になるなら、花になりたいなあ、と倉本は言う。俺は少女漫画のセリフかよ、と返す。倉本の眼は何も無い場所を見ていた。

 数日後、別のクラスメイトの訃報が届いた。

 名前は家崎。女子生徒だ。

 彼女は陰湿なイジメを率先して行っていた。

 和真の下駄箱や机にゴミや虫を率先して入れていたのは彼女だった。悔しそうに泣いている和真をこっそりスマホで撮影したり、挙句に動画で撮影まで行っていた。

 そんな家崎は自宅の木に首を括って死んでいたらしい。

 亡くなる前に何度も友人の女生徒に、桜の木が呼んでいる、登らないと、といったような不可解なLINEを送っていたらしい。

 妖怪桜に向かうと、家崎の顔らしきコブが樹木にくっきりと浮かんでいた。

 ……いよいよ、次は俺かなぁ。

 倉本は家でひきこもっているらしい。

 よく夜中に桜の木の夢を見るのだと、彼は言う。

 

夏休みも半ばに入った、ある日、吉岡の生存のLINEがクラスメイトから回ってきた。

何でも、吉岡は和真の自殺を知ってから自宅でしばらく寝込んだ後、更に木場の訃報も知って、両親と話し合った結果、スマホを両親に預けて親戚の家を転々としていたらしい。

かなり遠くの街のゲーセンで吉岡を見つけたクラスメイトが情報を流出させたみたいだった。


「なあ。俺もあいつと同じになればさあ。あいつの親父と同じようになればさあ。さすがに俺を許してくれるかなあ。辛いよ、生きているのが辛い……。でも、死ぬのも怖い。辛いのと怖いのじゃ、俺は辛い方を選ぶよ。まだ、俺、未成年だし…………」

倉本は自分が助かりたいから、吉岡を殺せば自分は許されるという妄想に取り憑かれているみたいだった。

 和真の父親は強盗殺人で、無期懲役の刑に服していた。

 子どもは何も関係無い。

 当たり前の事だ。

 それでも、俺達のクラスはみなで寄ってたかって、和真を犯罪者の息子としてイジメ抜いた。そして自殺に追い込んだ。

「そうだ、贖罪をしよう。桜の木の呪いを教えたのは、木場なんだってな。……なあ、あいつもずっと罪の意識に苦しんでいたんだと思うよ。どんどん、和真に対するイジメはエスカレートしていったし、クラスメイト以外の生徒や年上や年下からもイジメられていたそうじゃねぇか…………」

 倉本は電話でそう俺に伝えた。

 四日後、倉本は吉岡を刃物で滅多刺しにして殺した。

 その後、その足で警察に自首した。

 それから、数日の間に、何名かのクラスメイトが首を吊ったり、飛び降りたり、電車やトラックに飛び込んだりして亡くなったという知らせが届いた…………。

 

 夏休みがもうすぐ明ける…………。

 元々は、桜の木の呪いなんてものは無かった。

 確かに、あの夏にも花が咲く妖怪桜は珍種で謎に満ちていた。

 けれども、桜の木の孔に自らの血を満たして憎い相手に呪いをかける事が出来るという噂を作ったのは、他ならない俺だった。

 四月の頃、あの桜を見ていて、とても不気味に思い、何かの妖怪のように思った。

 それから、俺は何を思ったのか、まるで取り憑かれたように桜の木を使った呪いの方法を思い付いて、チェーン・メールの形で女子生徒に広めた。それが巡り巡って、木場へと。そして、木場から当事者である和真へと伝わったのだと分かる…………。


 俺達はみんなずっと、イジメの共犯者だった。

 誰かがずっと、何処かで裁かれたがっていたのだと思う。

 元々は、吉岡も木場も倉本も悪い奴とは言い切れなかった。

 ただ、まるで集団ヒステリーのように歯車が噛み合ってしまい、みなで和真をイジメ殺すという行為に及んだのだと思う。一人一人の悪意が集団となって、一人の人間をイジメ殺した…………俺も加担した。


 そして、八月三十一日。

 明日から学校だ。

 何名もの命を吸った桜の木は人の顔に見えるコブが大量に生えていた。まるで、異世界に存在するような木に見えた。コブは近付くと苦悶の表情に満ちた人間の顔に見える。

 ぶわっ、と、風が吹き、桜の花びらが夏の終わりの空に舞っていく。

 俺はおぞましくも、何故か桜が綺麗だと思った。

 俺は家に帰り、自室に閉じ籠った。

 きぃー、と。風も無いのに、窓の外に音がする。

 何かが揺れる音が聞こえる。

 きぃー、と。

 俺の家の庭には、それなりに大きな木が生えている。

 少なくとも、首を括れるくらいには。

 何故か、俺の眼の前には、丈夫なロープが置かれている。

 きぃー、と、庭で音がする。時刻はもうすぐ夜の0時だ。九月になる。

 きぃー、という音が聞こえる。

 耳元で、和真のあざけり笑い声が聞こえたような気がした。


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