運命を壊せば

「なぁ、姉ちゃん。コーヒー奢ってくれよ」


 私はすごく近く、真正面から聞こえる声に素知らぬふりをした。聞いたことのない声、知らない顔、趣味じゃない見た目。似合わない大きなサングラスに極彩色のファッション。まるで間違えたアーティストのような。


「アンタに言ってんだ。奢ってくれよコーヒー」

「なんで……ですか?」

「運命に抗うべきだろ。見知らぬ奴にコーヒーを奢るなんて運命はないはずだ。そこで俺とアンタは運命に勝利できる」


 訳のわからない理屈を並べながら目の前で煙草を吸い始める。甘いバニラのような香りがする。


「な、目の前で煙草を吸い始める男にコーヒーを奢る。運命に抗おうぜ。疲れた顔のネーチャン?」


 たしかに。仕事に疲れた私はおそらくクマも濃ゆいだろう。全身から疲れたオーラが出ていそうだ。と、妙に納得した。この運命を変えれられるのかなと。

 無言で男の手を握り、喫煙可能の喫茶店に連れて行った。条件は私に煙草を数本渡すこと。


「たしかに、あなたのいうとおりかもしれない」


 甘いバニラの香りの煙草をふかしながら私は頷いた。男はそうだろう? と言いたげな顔でコーヒーをストローで混ぜている。


「運命壊せば私は楽に生きられるかな?」

「ああ。俺が保証する。運命を毎日壊し始めてから人生が楽だ」

「そう」


 もらった煙草を全て吸い終わり、珈琲を飲み干す。男の名前を結局知らないままだが、まあいいかと手を引っ張り外へ出る。


「じゃあ、もっと運命を壊しましょう」

「お?」

「ワンナイト、わかるでしょう?」

「タクシー呼ぼう。もっとチリになるまで壊せば良い」


 汗ばむ身体が気持ち悪くシャワーを浴び、ベッドに戻った。男はどこか別の世界を見つめるような表情で天井を見つめている。


「煙草、取ってくれよ。一本吸いたいんだ」


 煙草を一本抜き取り手渡すと男は紫煙を燻らせる。


「な、ネーチャン。こんな日もいいもんだろ。コーヒー奢ったのも運命だったんだな。全て運命の下にある。ありがとさん」


 私は男の煙草の箱を持ったまま、立ち尽くした。ああ、じゃあ何も変わらないんだ……って。


「じゃあな、運命が共鳴したらまた会える」


 そう私に告げ、にやけ面で男は部屋を出て行った。私は自分のにおいと知らない男の匂いがするベッドに倒れこんだ。喉が枯れるまで涙が果てるまで全ての体力が消し飛ぶまで、私は声をあげて泣いた。けど、これも運命と言われるのかと、私は大きく唸った。

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