斃死施設

熊谷聖

第1話

「世の中には、生きるべき命と死ぬべき命がある。俺はそれを選別しただけだ」


 かつて自分が逮捕した殺人犯の言葉だ。この殺人犯は五人の人間を殺害しており、その被害者は皆過去にいじめをして相手を自殺に追いやった者や蹴落として死に追いやった者たちだった。殺人犯は遺体をその過去の被害者の家に送り付けるという行動を取り、これが被害者達に殺された人達への供養だと本気で信じていた。だからこそ、生きるべき命と死ぬべき命という言葉が心の底から出てきたのだろう。

 例えばニュースでいじめを受けた人が自殺しているのにいじめをした本人達は名前すら出されずに、何も罰せられることも無く生きている。それを見ると恐らく多くの人がいじめをした人達に対して「死ぬべき命」という認識を持ち、それによって自殺に追い込まれた人達に対して「生きるべき命」という認識を持つだろう。

 だが、本当に必要な認識は「」だということだ。自分の事を他人の犠牲が必要なくらい「生きるべき命」と思っている人達も、その犠牲になる人達にも何ら変わりはない。なにか特別な臓器が存在する訳でもない。特別な何かが身体の中にある訳でもない。だから、一緒なのだ。

 例え、どれだけ「死ぬべき命」と思っても。それを決めるのは誰でもないのだ。



「浅見さんって、前は何の仕事してたんだっけ?」


「えっと…公務員です。母の介護をすることになって、なら現場で働いて介護を知るのが早いかなって」


 車の中で浅見唯奈は車を運転する女性に聞かれ、少し考えながら話す。外を見ると、畑や山など雄大な自然が車窓を埋め尽くす。時期は夏に入り始めた頃で、桜が咲いていたであろう山の木は新緑に染められていた。夏だから少し暑いか、と覚悟していたが避暑地として人気である那須高原は思った以上に気温は高くなかった。駅に着くと、事前に連絡をもらっていた迎えの車が来ていたので軽く挨拶を交わして車に乗り込んだ。

 軽自動車のドアには「介護付き有料老人ホームのぞみ」と書かれている。浅見は前職を退職し、那須高原の有料老人ホームの介護職員の募集に応募して採用された。

 母は実家で父と暮らしていたが母が脳梗塞で倒れ、その後遺症で左片麻痺になってしまった。父は母の介護をやると言っていたが、父も当然高齢なのでならば自分が介護をすればいいと前職を退職して介護職になった。そんな前職は埼玉県警の刑事であり、男社会の中で負けてたまるものかと毎日走り回っていた。刑事課だったので殺人事件も担当することもあったが、色々あって辞めようかと思っていた時の事だったので決断自体は早かった。前職の事も殺人事件等も絡んでいたので進んで話すべきではないと思い、先程の質問も公務員とだけ答えた。

 窓の外を見ると、いつの間にか道は登り坂になっており周りの木々も深くなっていた。


「そっかー。お母さんの介護をお父さんが名乗り出たけどってやつね。最近は介護の人手が足らないから、老老介護なんて問題もあるしね」


「片麻痺ですけど、認知自体はしっかりしてますしトイレ介助とか学べたらなって」


「そうね、でもこれからの事を考えたら認知症の方と触れ合うのも良い機会だと思うわ」


 緊張していた心の氷が溶けていくように、車内の雰囲気は和やかになっていった。そんな二人を載せた車は更に山道を登っていく。同じ栃木にある日光のいろは坂を彷彿とさせる曲がりくねった道を何度も通りながら、浅見は酔わないようにしっかりと顔を上げて一点だけを見つめる。

 木々は深くなり、まるでトンネルのように道を覆い、日光を遮っていた。草木の間から差し込む光がなんとも幻想的だったが、道の先が急に拓けたのがわかった。

 急に差し込む眩しい日光に目を細める。明順応が進み、徐々に目が光に慣れると浅見の目の中に景色が広がる。

 道の左側に施設への入り口があり、そこから入ると建物に向かって楕円形を描くように道が伸びている。所謂ロータリーだろう。ロータリーの真ん中には小さな噴水、建物も大きいがそれを埋めるように周りには綺麗に整備された芝が広がっていた。広大な敷地に広がる自然に目を奪われていたが、車は無情にもロータリーを進み、景色が緑から建物へと変わる。

 入口の前に来ると、自動ドアの横にプレートが付いていた。プレートには「介護付き有料老人ホームのぞみ」と書かれていた。今回、浅見が採用された介護施設だ。建物は見る限り三階建て、一階はエントランスかそれとも居室があるのか。それは入ってみないと分からないが今はそれを邪推する必要は無い。

 車は入口の前で止まり、浅見は車を降りる。運転席から女性が乗り出して声を掛ける。


「そこが正面玄関です。入って左側に事務所がありますから、そこで受付してくださいね。じゃ、私は車を駐車場に置いてくるのでまた後でねー」


「あ、分かりました。ありがとうございます」


 爽快な笑みで別れを告げた女性は車を奥の駐車場に走らせていく。駐車場の入口には「」と書かれた看板が見えた。怪我や急患等の場合に救急車がそこを通っていくのだろう。病院ではないとはいえ、介護付き有料老人ホームなのでカテゴリーとしては最期を看取るまでが仕事範囲に入る。急変や事故等で救急車を呼ぶのは特に珍しいことではないのだろう。

 これ以上考えると、前の職業病というのか悶々と考え続けてしまいそうなので頭の中を一旦リセットしてから、自動ドアを通る。

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