第5話 宇宙犬、とおい




 謎の喧嘩騒ぎや、女子の教科書に異変が起きたことは解決しないままだったが、しばらく平和な日々が過ぎていた。

 だからあの日に瓦礫が崩れていたことについて、そこに犬が居たことについての情報を俺はほぼ持っていなかったし、考えもするどころか忘却の彼方だったと言って過言ではない。


何か事故があったんだろうなくらいの感じで、特には興味も持っていなかったからだったから。


「……は?」


と、最初はぽかんとしてしまった。

夜中、自販機まで向かうべく外に出ていると、目の前に犬。

ただしその足から何か煙が光るようなものを見た。

犬の足がなぜ光っているのだろう。

昔、暗闇でも光る蓄光リングが流行っていたが、そんな感じじゃない。輪じゃなく足そのもの。 犬は高く飛び上がって電柱に掴まると、あっという間に電線に乗った。感電しないらしい。



思わず、目をこすってしまった。

やはり犬。

光る犬だ。



「ああ、クソ! 本当にクソだな!」


やがて犬が、吠えた。

人語で。

こっちを向いた。


「とおいのこと、何見てんだよ」

きゃんきゃん。

と、吠えるように犬は叫んだ。

「クソしかいないのかよここは!」


……。

あまり日常会話に使わない言葉を、連続で聞いた気がする。


「あー、クソ! ううううー」


苛立ちに任せるように吠える犬は、やがて電線をゆさゆさ揺らした。


「腹が立つ。あちこちの家にクソって書いた紙置いて来てやる」



「あの。犬。それにより何が満たされるんだ?」


思わず、頭上に声をかける。


「お、とおいのこと、助けた人間か! クソ! 人間なんかに助けられるなんて」

「あのな! この世界じゃとおいの力は弱いが、ほんとはすっげんだからな!」

犬。

ゆさゆさ電線をゆらす犬。

「わんちゃん、一旦、降りようか」

「ああ! クソ! 地球なんか滅ぼしたいわ!」


滅ぼすなよ。

「きみさ、さっきからやけに品位が無いしゃべり方しかしないけど正しい言葉遣いとか、習わなかったの? 地球をせんきょするなら、まずさ、そこからだよ」

 びいいいん、と、何かが発せられた。うわ、と後ろに下がると、瞬間、目の前のアスファルトが焼けていた。周りにはぼこぼこと瓦礫みたいなのが出来、あちこちに浮きあがっている。

「ひ、い」

「ああ、クソが! なんだ、これは正しい地球語、それもじゃぱにーずだろ」

「小学生とかが使うようなやつで、あまり大人は使わないよ」

「ケッ、本当かよ、クソだな」

 でも広辞苑には、親愛の気持ちを持って相手を指していう語、と代名詞的に載ってるからな……宇津保物語(藤原君)

「おもしろきことのたまふ__たちかな」だそうだ。


 きょろ、と辺りを見る。大丈夫だいまのところ、俺は、不自然じゃないし、この異常現象も誰にも目撃されていないはずだ。


「だから、言葉遣い!」

「うるせえ、クソが」

「わんちゃん、もう飽きたから、帰っていいかな、君みたいなのと話してたら、自分も馬鹿になりそう」

「わあぁん? いま、なんつった?」

犬が、吠えた。




ヨーロッパやアメリカには、日本の漫画やアニメを専門に扱う書店があるらしい。学習者が多いのは、韓国で、中等教育段階で9割、らしい。

ジュースを購入し、家に戻る道中。

「ナマいいやがって! わかった、それならとおいを教育させてやるよ」

 とかで、物騒な言葉使いのわんちゃんが、俺についてくることになった。

しかしその姿で家に来ると、さすがに問題になる。

話すとめんどくさいのだが、そんなわけで、わんちゃんは、なんとエイリアンだった。


「なんか宇宙犬らしく、変形できないのかよ」

と言ったところ、ぐうにーーんと、わんちゃんはぬいぐるみみたいなモノに変形した。ふわっとしてる、小型のキャラクターだ。

「うわ、かわいい!」

腕で抱えると、とおいはわんわんと吠えた。

「クソだな! ほんと!」




言葉づかいは、最低だった。









「浜梨、せんせぇ……」

「なんだ? 砂季」

「俺、もう……」

「なんだ?」

「なんだじゃない!」



ばしん、とテーブルを叩いた俺。先生はぽかんと、俺を見ている。

先程、わんちゃんを家に上げたところ、なんかちょーどよく、玄関が開いており……

「っの、不法侵入者!!」




『おかえりー、夕飯出来てるよ!夕飯のあとはちゃんとお勉強だぞ☆』と先生が。

さらに『あ、犬! 悪い子ですねー』と、犬を取り上げ、俺の腕の方を近くのタオルで縛った。

「怒るなよ、血圧あがるぞ」

「だからこれを! ほどけ!」

「ほどいたら殴るもん」

「っ……!」

「先生な、宇宙犬を密かに探しに潜入捜査してるなんかアレな人なんだぁ。

で、宇宙パワーで家がぐしゃあ、と」

「あぁ、なんか、これ、懐かしいノリだ……」


俺は……疲れているらしい。「でね、この家に捜査に来てもいいって! お母さんたちからは許可もらっちゃった!」


「…………」


ふざけんなあああ!

と言うのは簡単だけど、あぁ、なんだ、なんだか、投げやりになってきたぞ。

ちなみにそのお母さんたちは今外出中。姉母で、焼き肉に出掛けた。俺は行かなかった。

一人を満喫するはずが。


「犬のことは、内緒な?」

「……これ、連れて、帰ってくれません?」

ぐい、と『とおい』クンを押し付ける。

「そうもいかないんだこれがー、ちゃんとしつけてやんないと、宇宙介助犬にするんだから」

「はあ?」

「だから、宇宙パワーを察知するわんちゃんを育てて、不自由な地球人の介助を」

「はあっ!? 勝手にやれよ」


「そうします! さっき、どうやら、砂季が言葉を矯正する、話してたみたいだし? 聞いちゃったー」


勝手ってそういう意味じゃ……ないんだが。

目の前が暗くなっていく。

「あ、なんだ」


と、言い浜梨が、こっちを見つめる。

……?


「ちゃんとそーいう顔するんだな」


そ、っと顔に伸ばされる手。

微笑む、顔。

近づく距離――――



「てゃあっ!」


足で太ももを蹴った。



「いっっっ痛い、いたあいー! 先生泣いちゃう!」


「早くほどいてください!」


「うわーん」


涙目になる、先生。

ちらっと、ダイニングを見ると、テーブルには確かに美味しそうなシチューとかサラダとかが並んでいた。

ごくっ……。

お腹が空いているのは確かなので、この妙な状況よりも、食事がしたい。


「冷めるし、ご飯、食べたいんです」

やがて投げやりながらも腕をほどいてくれる。


「お前って、かわいげがないなー、そこがかわいいとも言うが」


「……いただきます」


無視して席につく。

……スプーンがない。

箸もない。フォークもない。


どうやらカトラリーとかの場所は、わからなかったみたいだ。黙って立ち上がり、棚の引き出しから二人ぶんの箸とスプーンを出す。

いただきます!




「味は、まあ、なかなか、悪くないです」


「そいつは嬉しいね」




近くの床に放置した『とおい』がギャウギャウ吠えている。

ぬいぐるみの姿だから動けないのだ。


「とおいは無視か! ほんとクソだな」


「食事中だよとおい。

食事中は、政治思想の話とスポーツチームの思想の話、そして汚い言葉は控えた方がいい」


「そうだぞ、犬コロ」

「ぎゃうううう~」






食事が終わり、さて片付けるかと立ち上がったときだった。ふいに窓の外から、サイレンが鳴り響いた。

部屋の白い壁が、明かりで真っ赤に染まったようになる。

どくん。

心臓が跳ねる。

どこからともなく、声が、聞こえてくる。

『あなたのせいよ!』『うわぁ、早く消えてくれないかな』『あなたなんか、どこも綺麗じゃないのに』『整形かなにか?』『ずるをしたでしょ?』『あんたが、あんたさえいなければ』『整形と、カンニング?』『あんたに負けるはずないもの』


どくん、どくん、どくん。


椅子に座ったまま、血の気が引いたみたいになって硬直する。


「どうした?」


浜梨が心配そうな声をあげた。顔を、見られない。

身体が動かない。

まだ間に合う、なんでもないですよとへらりと笑え、笑うんだ――早く……


 握っていたマグカップがするりと地面に落下、音を立てて割れる。

気に入っていたのに。

割れちゃった。

割れちゃったのに、早く、動かなくちゃならないのに。

ふっ、と意識が遠退く。



「片付けるから、とりあえず休んでいなさい」



…………

先生の、声。誰かに似てると思った。

気のせいなのに。


……

俺の意識は途切れた。
















「あんたは、黙ってればいいの!」


だって、つまんないよ。



「喋りさえしなきゃいい」


だって……



「お前は、お願いだから、何もしないでくれ!」





なんで?



「……」

 目を覚ます。

自室のベッドだったし浜梨はまだ帰っていなかった。心配そうにこっちを見てる


「お、起きたか」


「変なことしてないですよね?」

「信頼無いっ!」



彼は大袈裟にショックを受ける。

「ひどいな、これでも、先生なんだよ? 一応、仮の姿だけど、ティーチャーしてんだよ? 教え子とそんなことになったら、犯罪じゃないか……」


説得力のない台詞に、しらーっとした目を向ける。


「ぐっ、いや、本当だって、マジで、きみのお母さんたち帰って来たしさ」


「……ま、いいです」


のそのそと、起き上がると彼の腕を引く。


「少し、冷えました」


ぱたりと、倒れ込んで目を閉じる。なんか、スーツって妙に暖かいよな。


「……すやすや」


布団が薄かったのか、夢見が悪かったのか、冷房のせいなのか今、なんだか、寒い……

そのままうとうとしている側で、彼は何か唱え続けていた。


「な、にもしない、なにもしない、なにもしない」



そう。

なにもしない。

頼むからなにもしないでくれ。お前は、居るだけでいいんだ。なにも。

なにもするな。



しゃべるな

動くな

意思を持つな――――




夜22時。

先生に叩き起こされるやいなや聞きたいことを思い出した、とのことだった。


「学校で、怪事件が起きてるのは知っているな?」


 バナナの皮で転んだり、

教科書にいかがわしい写真があったり、乱闘が起きたり――


「あー、はい」


「生徒の側から見てなにか、気づいたことは、なかったかな?」


「あー、天園くんがちょっと怪しいです」


「天園くんは、乱闘はしたようだが、バナナの皮については否認していたよ」


「そっすか」


「で、砂季くんはいつまで、先生を椅子にしてるのかな」



「いいじゃないですか、俺……寒いとだめなんです、先生を先生と見越しての頼みっす」


「先生は、外に出て、救急車の向かった先が比較的この家の近所だったことについて確認を取らなくちゃならなくなったんだがね」


めんどくさい。

このまま、動かしたくない。

動きたくない。

とおいと二人になりたくない。頭がぼーっとする。あのサイレンのせいか?それとも……


ひょい、と身体が浮いた。



「お前も……なんか少し、具合悪そうだ。みてもらいに行くか」


歩く振動。伝わる、体温。



「先生って、体温高いんですね」

夜。外。いつもより高い視線。星ひとつない、雲ひとつない、紺碧。


「そうか? まあ、代謝はいいかもな」


「代謝がいいと、あたたかいんですね」


腕の中で猫のようにうずまる。頭のなかが、ぼーっとして、全部、どうでもいいような気分だった。鬱だろうか。今日はメモを書いてない。

最近、頻繁にあの音がするし、最近いままでと、何か違うし。だから、なんだか、様子が変だ。身体も。なんでだろう。

ぼーっと、する。

うまくいかない。


先生は、歩いている。

俺を、先生の車に乗せる気だ。なんか荷物みたいな気分だ。


「保険証は預かってきたぞ」


「そう、ですか……」


寒い、と言ったから、毛布をかぶせられる。

 昔からよく『お前は何もするな』と言われてきた俺はこういうとき、何もしないことが、何かしているみたいな、落ち着かない気持ちになる。

なにもするなとは、つまり迷惑をかけるから存在を消せという意味だ。

なのに今は、そうはいかない。寝てるだけで迷惑なのだ。

迷惑なのはわかっていたのだが、毒を食らわば皿までというかそう、自棄になっている。どうせかけるなら、かけ倒してやろうという算段で、ひたすら水が飲みたいとか、寒いとか言ってみる。

彼は特に嫌な顔を見せなかった。さすが教師だ。

俺が暴れると思って、面倒だから従ってくれているのだろうけれど、それでもまあ、ありがたい。


「……どっちに、先、行くんです?」

「病院。でも、たぶん、救急車の行った方向からしても、行くとき現場を通るだろうから見られるよ」


車に、乗せられる。

前の席で先生は運転している。荷物になった気分だ。

カチ、カチ、とウインカーだかなんだかが動いている。

少しして車は発車した。


流れていく景色。

いつもの町が、なんだか変わって見える。

まるで引っ越すみたいな。

気のせい、なんだけど。


「……嘘だろ、おい」


先生が、なにか驚いた。




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