第9話
ひとしきり抱きしめられていると彼が突然真剣な眼差しを向けてくる。
「アメリー、君は意識を失う前のことを覚えているか?」
というのは私がこの人を殺そうとしてしまったことだろうか。そう何気なく考えた言葉に熱を持っていた体が一瞬にして血の気を引く。ばっと彼の腕から抜け出して土下座をする勢いで頭を下げる。急に動いて少しふらついたのは許してほしい。
「本当にごめんなさい!私、あなたを……」
体が震える。そうだ、忘れてた。私は暗殺者、たくさんの命を奪った人殺しだ。忘れてはいけないことなのに……。
ドクンドクンと心臓が嫌な音を立てる。怖い、自分が怖くて仕方がない。命令だったとしても殺しは人道に反する行為だ。こんな私を誰が受け入れてくれるというのだろうか。いや、私が耐えられないのだ。人を殺すことを受け入れ慣れてしまった自分がたまらなく恐ろしい。
「アメリー」
名前を呼ばれてビクッとする。恐る恐る顔を上げると彼は優しく微笑んでいた。まるで愛しいものを見るような瞳で見つめられ心臓が苦しくなる。
やめて……そんな目で見ないで。私は汚れている。血にまみれた醜悪な存在だ。無意識にずりずりと後ずさる。
「アメリー」
もう一度名を呼ばれる。今度は先程よりも優しく甘い声で。私は彼の視線に耐えきれなくなって部屋を飛び出す。扉の前にいた人物とぶつかりそうになるのをすんででかわし、ひたすら走る。通りすがる人が驚いたように振り返る。だがそんなことはどうでも良い。今はとにかく逃げたい一心だった。
「待ってくれアメリー!!」
必死に追いかけて来る彼に捕まりたくない。私は足を止めることなく走り続けた。
「なぜ逃げる!?」
そんな彼の言葉を無視してひたすら走るのだが追いつかれるのも時間の問題だ。考えた私はさらにスピードを上げると、気配を探って誰もいない空き部屋に入ってしっかり施錠し息を殺す。すると案外あっさりと巻けたようで静かになった。ほっと息を吐きうずくまる。
心臓が痛い。もう刻印はないのにズキズキと痛む。胸を押さえながらこれからのことを考える。
(はやくここから離れなければ……!)
きっとこのままでは彼に迷惑をかけてしまうだろう。なぜなら私は彼を殺そうとした暗殺者でしかもこの世界の人間ではないから。
(とりあえずこの国から出ていこう。そしてできるだけ遠くに行こう。あの人に見つからないほど、探しに来れないほど遠くに……)
そう決意して立ち上がる。すると突然扉がノックされた。びくりとして思わず肩を揺らす。だが鍵をかけてあるので入っては来れないはずだ。
「アメリー様。いらっしゃいますか?私はアメリー様の専属侍女となりました、オフェリーと申します。とりあえず扉を開けてもらってもよろしいでしょうか。ご安心ください。殿下はおりません」
最後の言葉につきりと胸に痛みが走った。ルシアン様はいないのか。良かったと思う反面、どこか寂しさを感じる。
「ハっ……バカみたい」
「アメリー様?」
自分で逃げといて追ってきてくれないのが寂しいなんて……なんて自分勝手なんだろう。自嘲気味に笑うとガチャリと音がした。ばっと扉を見るといつの間にか解錠されていたようだ。マスターキーでも持っていたのだろうか。慌てて飛びしさって距離を取る。
入ってきたのはメイド服に身を包んだ私と同じ猫獣人の女性。茶色の髪にヘーゼルグリーンの目をしている。耳は少し折れているのでスコティッシュフォールドだろうか。
「……失礼しますね。アメリー、さま……?どこか痛むとこでもありますか?」
「…………?」
「いえ……泣いておられるようだったので……大丈夫ですか?」
言われて頬に触れると濡れていた。無意識のうちに涙を流してしまっていたらしい。ごしごしと拭って笑顔を作る。
「……なんでもないです。それより……なんでしたっけ?私に何か用があるんですよね」
誤魔化すように言うと彼女は困ったような顔をする。ああ、困らせてしまった。自己嫌悪に陥りそうになる私を見て何を思ったのか彼女が近づいてきてそっと抱きしめてきた。びくりと驚いて固まっている私に構わず背中をさすられる。
どうして良いかわからずされるがままになっていると落ち着いたと思われたのか体が離される。
「改めまして、アメリー様に本日より仕えさせていただきます、オフェリーと言います。よろしくお願いいたします」
ぺこりとお辞儀をされて戸惑ってしまう。
「あの……私ここを出ていくので……」
「えっ……なぜでしょうか?」
オフェリーの困惑したような声に曖昧に笑うとため息をつかれた。
「……殿下が何か気に触ることでもしたのでしょうか?それにしてもとりあえず体調が良くなってからにしてくださいませ。とりあえず部屋に戻りましょう」
「へ?」
返事をするまもなく捕獲され部屋に強制連行された。元暗殺者の私を捕まえるってこの人何者?私はオフェリーに対して警戒心を強めたのだった
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