酒と白衣とメンソール

堕楽

第1話

とある放課後、校舎裏のゴミ捨て場には、白衣を身に纏い酒と煙草を楽しんでいる人間がいた。

化学の柊先生だ。

若手の女教師だというのに、両手に持ってる酒と煙草がよく似合い、謎の貫禄を醸し出している。まるで煙草の煙が先生の化粧をしているようだった。

そんなことを思いながら見惚れていたら、自然と目が合ってしまった。

何とも言えない静寂が一秒、二秒と続き、先生は僕を気に留める様子もなく、新しい煙草に火を点けだした。

「それ、旨いんですか?」

空気のいたたまれなさから口を出してしまった。

「旨いかと言われたら不味いな」

「じゃあ止めればいいじゃないですか」

「旨いんじゃない、美味しいんだ」

なんてことのない質問のつもりだったが、訳の分からない返答を受け、僕は不可解な顔を浮かべた。

「大人になれば君もわかるさ」

含み笑い気味に言う先生の様子は、少しキザだがカッコよく見えた。

「そうですか」

これ以上居てもいたたまれないので、僕は納得したような素振りをして、足早にその場を後にした。


一週間後の放課後、ふと訪れるとまた柊先生がいた。

今日も一服楽しんでいるご様子だった。

「また君か」

僕が訪れたことをあまり気にしない素振りで先生は言った。

「僕がチクるとか思わなかったんですか?」

「君、そんな面倒なことしないタイプだろ」

さも当たり前かのように言ってきた、確かに当たっているが。

「なぁ君、毎週金曜日の放課後、ここに来てくれよ、私の愚痴相手になってくれ」

突然の提案に僕は困惑した。何を言ってるんだこの先生は。

「え、嫌ですよ、僕だって暇じゃないんです」

「次のテストのヒント教えてあげるからさ、いいだろう?」

「いや、でも」

「君の成績、あんまり良くないんだろ、手助けしてあげるよ」

何故この人は担任でもないのに、僕の成績事情を知っているんだ。


その後、僕は先生に言いくるめられてしまい、毎週先生の愚痴に付き合うことになった。

僕は、愚痴を聞く中で、週を追うごとに先生のことに詳しくなっていた。

最近のマイブームはマッチングアプリで男を釣って、待ち合わせを樹海の入り口に指定してすっぽかすこと、いつも飲んでいるお酒はサッポロの黒ラベル、パッケージが可愛いという理由で選んだ、煙草のダブルハピネス・メンソールを好んでいること等、随分前からだが結構イかれた先生だと分かった。


そして、先生の愚痴話に付き合って六週目の日、先生がぼそりと僕に質問をした。

「君は言霊って信じる?」

「言霊ですか」

「そう、マーフィーの法則とも言うかな、簡単に言うと、思ったことを言葉にすることでその事象が起こるというものさ」

「僕はそんな迷信めいたこと信じませんよ」

どうせまた酔って変なことを口にしているのだろうと思って適当に流した。

「じゃあ、私が今から証明して見せよう」

そう言うと先生は、口にしていたメンソールを上に放り投げこう言った。

「煙草よ、鳩になれ!」

先生が言霊を口にした瞬間、僕が見ていたメンソールは一瞬にして形を変え真っ白な鳩に変化した。

驚愕した、一瞬にして僕の心の少年魂に火が点きそうだった。しかし、冷静に考えて今のは手品だ。

普通に考えてメンソールが鳩に変化する訳がない、そう割り切って考えた。

「先生、手品なんてできたんですね、僕の為にわざわざ準備してくれたんですか?」

「おいおい、今のが手品な訳ないだろ、ほら見てみろ種も仕掛けもないだろう?」

そう言って先生は僕にくしゃくしゃのメンソールの箱を渡してきた。もっと他に見せるものがあるだろうと思ったが口にしないで確認してみた。確かに種も仕掛けもないただのメンソールだった。

「それじゃあ本当に言霊の力だというんですか」

「そうだと言っているだろう」

やや自慢げに言っているのが癪になる。

「じゃあ僕にも言霊の力使えますか」

「いや、それは無理だろうな」

「何でですか」

「君には言霊を扱える素質が見えない、人間いろんな分野に向き不向きがあるように、言霊にもあるんだよそれが」

「何で先生に僕の素質が分かるんですか」

「言霊を扱える人間はオーラを纏っているんだよ、言霊が使える人間はそれが見える、君には私のオーラが見えないだろう?」

「まぁ、見えませんけど、先生のオーラってどんな感じなんですか」

「私のは、それはもう神々のように後光が差してみえる程の輝かしいオーラだよ」

「はぁ」

先生の酔いどれ話を聞いて阿保らしくなった僕は、夕暮れ時になった為、帰ろうとリュックを背負った。

「君、信じてないだろう」

先生は少し不貞腐れたように僕を見つめている。

「僕だって子どもじゃないんですから、信じるわけないじゃないですか、先生も今日はお酒を程々にしてさっさと帰ってください」

早く帰ろうと背を向けたとき先生が僕に問いかけた。

「一つだ、君に一つ私の力を使って、君の言霊を再現してあげようじゃないか」

突然の提案に僕は足を止めた。

「本当ですか?」

「本当だとも、今まで私の愚痴話に付き合ってくれたお礼だ、なんでも言ってくれ」

なんでもという言葉に惹かれ、僕は躊躇わずに思ったことを口にした。


「僕を先生にしてください」


僕が思いを口にした瞬間、時間が止まったかのように先生は硬直した。そして、少し時間が経った後にゲラゲラと笑い始めた。

「あはははは!君がそんなことを言う奴とは思わなかったよ!」

「そんなに可笑しいですか」

「可笑しいとも!毎週のようにこの私の愚痴を聞いていると言うのに、それでも成りたいと思う方が可笑しいというものさ!」

「それでも成りたいんです」

ひとしきり笑ったのか、先生は新しいメンソールに火を点け煙を吐いた。

そして、僕の目をいつになく真剣な表情で見て言った。

「本当にそれでいいの?」

「はい」

真剣な眼差しで僕は答えた。



             *****

       



その後、先生の手厚いサポートによって、僕は高校、大学を卒業し、今年度から化学の教師になった。

お世話になる最後まで先生は言霊の力は存在すると言って、手品を見せてきたが結局真相は謎のままだ。

「先生にしてくれってそういう意味じゃなかったんだけどな~」

そんなことをぼやいていたとある放課後、僕は校舎裏のゴミ捨て場で、白衣を身に纏い酒と煙草を楽しんでいた。

「それ旨いんですか?」

通りすがりの生徒と目が合い、空気のいたたまれなさから口を出されてしまったようだ。

「旨いかと言われたら不味いな」

「じゃあ止めればいいじゃないですか」

「旨いんじゃない、美味しいんだ」

訳の分からないことを言われ、生徒は不可解な顔を浮かべた。

「大人になれば君もわかるさ」

「そうですか」

生徒は納得したような素振りをしてその場を後にした。


















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酒と白衣とメンソール 堕楽 @Darakurakuraku

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