その2 共通点

 パトカーのサイレンが到着するまでの間、俺は死体には触れず、指紋が残らぬように注意しながら狭いリビングの中を探して回った。

 彼が倒れていた直ぐ後ろにデスクがあり、その隣にバカでかい本棚があった。

 講師という職業らしく、仕事関係の堅い本ばかりしかなかったが、一番端に、丁寧にブックカバーで覆った本が二冊だけ置かれていた。

 頁を捲ってみる。

 俺は少し驚いた。

 漫画だった。

 それもただの漫画じゃない。

 いわゆるアダルトコミック。

 もっといえば”エロ漫画”だ。

 俺はタイトルと著者名、そして出版社の名前だけを手帳に記した。

 もう一つ・・・・これは二冊とも最後の頁、奥付の上に小さな印があった。

 こいつも忘れずに書き留めて置いた。

 中身も確認しようかと思ったが、丁度その時、パトカーのサイレンが俺の耳に響いてきたので、元の位置にしまい、俺は警察おまわりの到着を待ったという訳だ。

 後は、冒頭に記した通りである。


 本来ならば、これで”依頼は終わり”となるところだ。

 当たり前だろう。

 依頼人(になるはずの男)が死んでしまったんだからな。

 ところが、そうはならなかった。

 俺が事務所に帰り、デスクに足を投げ出して惰眠を貪っていると、電話が鳴った。

”も、もしもし。乾探偵事務所ですか?”

 切羽詰まった男の声が、受話器に当てた俺の耳を打った。

”飛び込みでは依頼を引き受けては貰えませんか?”

『そんなことはありません。法に反しておらず、筋さえ通っていれば、お引き受けいたします』

 電話の向こうの男は、それでやっと安心したのか、声の調子が変わった。

『では、今からそちらに伺います。場所は・・・・』

 恐らくメモか何かをとりだしているんだろう。俺の耳元で何かをがさつかせる音が聞こえた。

 俺が丁寧に住所を教えてやると、彼は”では二時間後に”そう言って電話を切った。


 きっかり二時間後、男は俺の事務所に着いた。

 背の低い男である。

 眼鏡をかけ、何処といって取り柄の無い平凡な外見、

 こっちが聞くより前に、

”名前は大倉勤、年は35歳。神奈川県在住で、大手税理士事務所で雇われ税理士をしている”といって、名刺入れから名刺を出し、卓子テーブルの上に置いた。

 俺はそいつを目の高さまで持ち上げてみた。

 

 なるほど、確かに大手だ。

 あちこちに派手に広告を打っている、確かに何度か見かけたことがある。

『で、ご依頼の内容ですが、電話でも申し上げました通り、合法的で、反社組織とも無縁で、筋が通っていれば大抵はお引き受けします。あと離婚や結婚と無縁であることも条件になります。それさえクリアしていれば』

『私は狙われているんです。』

 大倉税理士は、俺が淹れてやったコーラを一気に飲み干し、少しむせながら答え、それから・・・・

 いや、ここから先は書き記してもあまり意味があるとは思えない。

 

 要は須田秀夫氏とまったく同じことをされたというのだ。

 無論警察にも届けたが、相変わらずの対応しかされなかった。

 当然ながら付け狙われる覚えは全くない、という。

『お願いします!私を助けて下さい。お金が必要なら』

 

 大倉氏はそう言って財布を取り出すと、今銀行で下ろして来たばかりというような一万円札を八枚数え、俺の前に置いた。

『手付金という事で、もし解決して下さったら、謝礼を含めて残りは必ず支払います』

 金まで出されちゃ、断るわけにも行くまい。

『いいでしょう。お引き受けします。では』

 俺はそう言ってデスクに手を伸ばし、立てかけてあった書類ケースから一枚引っ張り出すと、彼の前に置いた。

『契約書です。良くお読みになって、納得出来たら・・・・』

 俺の言葉を聞き終わる前に、彼はポケットにもう一度手を入れ、ボールペンを出し、素早く最後の頁にサインをして寄越した。


 これで俺は正式に仕事を引き受けた。

 金を貰った以上、どんなことがあっても解決をしなければならない。

 たとえ依頼人が死んでも?

 そんなことはないだろうって。誰もが思うだろう。

 しかし、それが起こったんだ。


 翌朝、俺が事務所オフィスに降りてすぐだった。

 本庁の機捜と、この間俺を取り調べた所轄の刑事が訪ねて来たのだ。

『さあ、乾の旦那、ご同行願おうか?』

 のっけに声を揃えてにやにや笑いながら言った。


『断る、と言ったら』

 俺が答えると、写真を二枚取り出し、デスクの上に置く。

 読者諸氏にはもう想像がつくだろう。

 三発の弾丸を撃ち込まれた死体・・・・当然、昨日俺が契約したばかりの依頼人、大倉勤氏だ。

 もう一枚には、俺と交わした契約書である。

『だから何だというんだね?こんなものがあったからって、俺がやったという証拠にはなるまい?』

『大倉勤氏は自宅で殺害されていた。彼は独身で、人に恨まれるような後ろ暗いところも、仕事上で怪しげな部分もまるでない。これしか手がかりがなければ、お前さんを疑うよりはあるまいよ。さあ、上着を着て、髭でも剃って、ご同行願おうか?何なら令状おふだを取っても構わんのだぜ?ああ、ついでに拳銃も出してくれ。色々調べにゃならんこともあるんでな』


 仕方ない。

 俺は椅子から立ち上がり、保管庫を開けて拳銃を出した。

 ホルスターに収めようとすると、刑事の一人が手を出し、

『そいつはこっちで預かる。疑いが晴れるまでな』

 

 それからどうなったかって?

 話したってつまらんだろ。

 前と一緒だ。


 俺は所轄の狭い調べ室に三人の刑事しふくに囲まれ、たっぷり三時間、

『話せ』

『黙秘する』

 のやり取りを繰り返した。

 だが結局、死体から発見された弾丸の条痕検査が一致せず(38口径だったという)、俺の服からも硝煙反応が出なかったので、向こうも不承不承ながら、俺を解放せざるを得なかった訳だ。

 帰り際、俺は刑事の一人に『死体ほとけに何か変わったことはなかったか』と訊ねてみた。

 向こうは『捜査上の秘密をみだりに話すわけにはいかん』と言いながらも、

『変な本があった』とだけ話してくれた。

『堅い男で通っていたのにな、何故か二冊だけ変な本があった』

『漫画だろう。エロ漫画』

『どうしてそれを知ってる?』

『業務上の秘密だ』

 俺はそれだけ答え、所轄を後にした。

無論、あの印については喋らなかった。

 

 

 


 

 

 



 

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