夜を渡る

令狐冲三

第1話

 正太郎の髪には白髪が多い。


 そのせいで、大抵一回りは老けてみられてしまう。


 冗談めかしてそんな話で笑ってみたが、彼女はただ深々と頭を垂れるだけだった。


「もうよしましょう。何もかも昔のことです」


「いえ、正太郎さんには何とお礼を申し上げてよいか。こんな田舎まで、姉の形見をわざわざお届けいただいて」


 あまりの慇懃さに、正太郎はつい苦笑してしまった。


「こちらへは仕事のついでがありましたので。お姉さんの御命日ですし」


 正太郎が何を言っても、ちひろは頭を下げてばかりだった。


 双子というだけあって、彼女を見ていると、正太郎はこの二十年近い歳月片時も忘れたことのないちとせの面影と、彼女と過ごした短い月日を想わずにいられなかった。



 鍵が壊れて三月になろうというのに、大家はいっかな修理に来ない。


 寝ているちとせの上をまたいで通り、カーテンを開け放つと、部屋一面が茜色に染まった。


「ちとせ、起きろよ。もう日が暮れるぞ」


「眠ってなんかないわ」


 皺だらけの布団から弱々しい声が返った。


「調子、悪いのか?」


 病人のような青白い顔が、布団の中から正太郎を見ている。


「ちょっとね、気分がすぐれなかっただけ。もう大丈夫よ。それより仕事は?うまくいったの?」


「おかげさまでね。しばらく使ってみて、良ければ本採用してくれるってさ」


「よかった、なら安心ね。あたしの稼ぎだけじゃどうしようもないし。あなただって、半病人に食べさせてもらってるんじゃ格好悪いでしょ」


「別に。この御時世だし、何ともないよ」


 正太郎はそう言って立ち上がった。


「今日は肉も買って来たから、ちゃんと食べてくれよ。キミに死なれちゃ困る」


 冗談とも本気ともつかぬ口調で言いながら、正太郎は狭い台所を独楽鼠のように右往左往している。


「あなたって本当に大袈裟よね。ちゃんと食事はしてるし、身体が弱いのは生まれつきよ」


 ゆっくりと上体を起こし、ちとせは浴衣のはだけた胸を整えた。


 そして、押入れの中から手鏡と櫛を取り出し、布団の上まで広がっている長い黒髪を器用に束ね、そっと梳き始めた。


「そうだわ、お湯を沸かしといてくれる?」


「昨日銭湯へ行ったばかりだろ。今日は汗ばむような陽気じゃなかったぜ」


「貧乏性な男って嫌ね。あたしは肉を食べる食べないより、身体を綺麗にするかしないかの方が大切だと思うけど」


 正太郎は言い返したくなるのを呑み込んで、やかんに水を溜めた。


 彼女は手を休めてこちらを見ていたが、ふと窓の方を見遣った。


 燃えるような夕陽を受けても、額の青白さは消えない。


 彼女は細く柔らかな掌をそっと合わせ、静かに目を閉じた。


 白い瞼が、小さく震えている。

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