第三話 ルートヴィッヒの指輪

 アリスとして目覚めた日から数週間が過ぎた。


(あっという間だったなぁ)


 公爵令嬢としての生活には、もっと戸惑いや混乱があると思っていたが、無意識に身体が動いた。十六年間のアリスの努力の成果なのだろう、ピアノを弾いても、ダンスを踊っても、教師たちが完璧と唸る。


(……でもなぁ)


 風が吹き、さわさわと木の葉が擦れる音がする。


 教師たちの賛辞は“アリス”に対してのものであって、自分へのものではない。


「浮かない顔をしているね? どうかしたか」


 顔をあげると、そこにはルートヴィッヒが立っていた。


 そういえば午後に来ると言っていた。まだ時間があると思ったから、アリスは中庭で散歩をしていたのだ。


「ルートヴィッヒ様、申し訳ありません、屋敷内でお待ちしていなくて……」


「謝ることはない。私が早く来すぎてしまっただけなんだから。一刻も早くアリスに会いたくてね」


 にっこりと彼は素敵な笑顔を見せてくる。


「――――っ」


 アリスがなんとも言えない表情をすると、ルートヴィッヒはくくっと笑った。


「そんな顔をしなくても」


 首を傾げて、宝石のような瞳をキラキラと輝かせた。


「……もしかして、からかっていますか?」


「どう思う?」


 ルートヴィッヒは意地悪そうな表情をしている。


「ど、どちらかといえば、からかわれていると思います」


「からかってないよ、アリスに会いたいのは本当のことだし」


「……ありがとうございます……」


 二人の間に流れる微妙な空気を変えたくて、アリスは別の話をする。


「あ、あの、いつもなさっている指輪、とても素敵ですね」


 彼の右手の人差し指にはめられている指輪を褒める。


「あぁ、これか……そうだろう?」


 ルートヴィッヒは指輪の赤い石にそっと唇を寄せた。大事なものなのだろうか?


「大事なもの――――なんですね?」


「とてもね。そうだ、アリスにも作ってあげよう。君のその華奢な左手の薬指に似合う指輪を」


「え? 指輪?」


 こういうとき、なんと答えればいいのだろう? 宝飾品を簡単にもらってもいいものなのだろうか?


「ええっと……」


「うん?」


「お、お父様に相談してみます……」


 ルートヴィッヒは苦笑している。


(うわ、不正解だ)


 アリスが心の底から困ったような表情をすると、彼はにっこりと笑った。


 なんだか楽しそうにしている。何がそんなに楽しいのか、アリスにはさっぱりわからなかった。


「……楽しそうに見えるのですが」


「あぁ、顔に出ていた? それは失礼。私の表情ひとつに顔色をコロコロと変える君が面白くてね」


「お、面白いって……」


「可愛いって意味だよ」


 ルートヴィッヒは再び、にーっこりと笑った。








 ――――その夜。アリスは天蓋付きのベッドの上に寝転ぶと、昼間のことを思い出した。


(なんか、ごまかされた気がするんだよなぁ)


 大事な指輪であるなら、どんな理由で大事なのか言ってもよさそうなものなのに。と考えてから、自分には言いたくないのかなと思った。


 婚約者候補と言っても、ルートヴィッヒを始めとした三人とも、自ら望んだ婚約ではない。モルベルトにいたっては、恐れ多くも王太子にアリスを押し付けようとしている。


(デビュタントの後には、婚約者を決めなきゃいけないのに)


 三人の中なら、アルバートが一番アリスに対して好意的なのだろうか。


 守ってやると言ってくれた言葉が、嘘でないなら----。


(アリス、君は……どうしたい?)


 眠りに落ちる寸前、父であるエドワードに指輪の相談をし忘れていたことに気がついたが、次にルートヴィッヒに会うときまでに聞けばいいやと、深い眠りに落ちていった。




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