第42話 駄犬


「本当に見目麗しいですなぁ~」


 黙れクソジジイ。

 気持ち悪い。


「辺境伯の小僧には勿体ない勿体ない」


 お前如きが誰を評価している。


「ありがとうございます教皇様」


「何か良い匂いもします」


「香水ですわ。どうぞお気になさらず」


「いえいえ、女性の匂いに文句などつけようはずもありません」


 心など微塵も見せず、作られた様な笑みで返す。

 それがディアナと女の在り方だ。


「それで教皇様、お呼び出しのご用件は何でしょうか?」


 招待を受け、それをシェリフに任されたディアナは教会へ足を運んでいた。


「いえ、本日はビジネスの提案を少々」


 齢80を越えていそうな、肥えた身体の男。

 しかし、気持ち悪さが滲みで居ている。


(品性の欠如。いや、品位の必要ない人生だったのだろう)


 教会の権力は王族に及ぶ。

 つまり、貴族が下手に出る立場だ。

 そんな彼は、誰に対しても品性を必要としてこなかった。


「ビジネスというと?」


「奴隷売買ですよ。魔族を奴隷にしたい者など、探せばごまんとおりましょう。逆に人間を奴隷にしたい魔族もいると思うのですよ」


「なるほど、魔族との貿易をお手伝い頂けると?」


「いえいえ、勘違いなさらぬよう。我々が主導で貿易は行います。お呼びしたのは関税交渉ですな。どうでしょう、金貨3000枚程で、年間契約というのは?」


 馬鹿かこいつは。

 それがディアナの率直な感想だった。


「それとディアナ嬢、我が側室にどうかね? あの小僧よりも満足させてやるぞ? 生活も夜の方も」


「申し訳ありませんが、どちらもお断りさせていただきますわ」


「それは残念。本当に残念ですな……」


 言い終える。

 同時に教皇が指を鳴らした。


「結界ですか」


「室内で魔法陣が生成されると、強制的に破壊される物ですな。そして……」


 男たちが入室して来る。

 ディアナと教皇、双方の座るソファの後ろに立ち、肩を抑える。

 数は合計4人。


「お返事をお聞かせ下さい。ディアナ殿」


「私、男性に触れられるのは苦手ですわ」


 消える。

 いや、肩が重心から外され男たちの手が抜けた。

 しかし、それを認識するよりも速くディアナの身体は動いている。


 机を蹴とばし、教皇の後ろに居た男の顔面にぶつける。


 そのまま流れる様に、掌底で後ろに居た男の顎を穿つ。


「お前!」


 そのまま顔を握り、もう一人の男へ投げつける。

 投げつけた男の背中を蹴り飛ばし、倒れた所に上から一撃。

 その掌底は魔力を込めた物だ。


 魔力操作による身体強化であれば魔法陣は発生しない。

 つまりこの空間内でも使用可能だ。


 発勁の衝撃が、一人目身体を抜け奥の男に伝わり、浸透する。


 内臓にダメージを受けた男は気絶した。


「クソが! よくもやりやがったな!」


 最後に残った男が、後ろから飛びつき両脇を抑える。


 けれど、その手には拳銃が握られていた。


「触るな、そう言いましたわよね」


 パンと音が鳴る。


「まぁ、テイザーガンなので死にはしませんから安心して下さい」


 男は痺れ、気絶する。


「あぁ、やはりたまには捻じ伏せとかないと自信が無くなりますわ」


 個人戦力最強のシェリフ。

 機械をして天才と呼ばれるリラ。

 そして、万能にして最賢のカナリア。


 ディアナはやはり、負け続けている。


「まぁ、あの方々に付き合うにはこれ位はできませんとね」


「き、貴様……この私にこのような無礼を働いて許されるとでも……」


「あぁ、もうそろそろ3分ですわね」


「何を言って……」


魅了の香りサキュバスメル


 それは部屋に入った瞬間に発動してい魔法。

 魔法陣は小さくし、後ろ手に隠す事で隠蔽されていた。


 発動条件は2つ。

 3分間、この匂いを嗅がせ続ける事。

 そして対象を欲情させる事。

 効果は奴隷化。


「這いつくばれ」


「は、はい!」


 喜々として、教皇は床に擦りつける様に頭を下げる。


「お前、何私に色目使ってんだよ。誰がお前みたいな汚ねぇゴミの相手なんかする訳ないだろ。私が相手するのは、たったお一方だけよ。痴れ者が、殺すぞ」


「も、申し訳ありません。ご主人様!」


「黙れ。お前如きが人間の言葉を使うんじゃないわ。今後私の前でワン以外の言葉を喋るな」


「わ、ワン! ワン!」


「気持ち悪い」


 そう言いながら、ディアナは教皇の頭部を踏みつける。

 ヒールの先をグリグリとめり込ませるが、教皇は喜びながらわん、わんと声を上げていた。


「取り合えずゴミ、聖女を呼んで来なさい」


 踏みつけて乱れた髪を掻き上げながら、ディアナは命令した。


「ワン!」


 教皇は扉の外に居た使用人に命じる。

 その際、ご主人様の命令だ、という言葉を聞いて使用人は酷く混乱していたが、何も言わず聖女を呼びに向かう。


「聖女の魔法が無ければ何の権威も無い分際で……」



 ◆



 神は多分居るのだろう。

 けれど多分、神は人に興味がない。


「メルナ様、教皇様がお呼びです」


「分かりました」


 私は知っている。

 この場所に神聖さなど欠片も無い事に。

 気が付いていて、それでも何もしない。


 無知で無力だから。


 だから、その衝撃は一撃で私を虜にした。


「こちらです」


 何か、汗を搔きながら案内してくれた者が扉を開ける。


「泣け! 喚け! 無様に叫びなさい!」


「ワン! ワン! ワン! ワン~~~~~~!!」


 天上から裸で吊るされ、鞭で打たれている教皇が居た。


「来ましたね、聖女メルナ・アールティア」


「……な、何をなさっているのですか?」


「見て分かりません? 犬の躾ですわ」


 私は絶句した。

 あの教皇だ。

 傲慢で、強欲で、権威と財力と武力の全てを持つ男が。

 私と同じ位の歳の女に鞭で打たれている。


「どうやったのですか?」


 最初に口に出た疑問はそれだった。


「何故かを先に聞かれると思いましたけど、そうですね、知恵と力があればやりようは幾らでもありますわよ」


 奴隷商と繋がっている事を知っていた。

 信者を奴隷にしている事を知っていた。

 賄賂を受け取っていた事を知っていた。


 脅迫、強姦、殺人、放火、薬物売買、人身売買、法外な金貸し、それ以外にも沢山。


 悪事を働いていた事を知っていた。


 けれど、私は気が付いていない振りをする。

 だって、気が付いても何も出来ようはずもない。


 小娘一人。

 現実を知らない。

 何の力も無い。

 そんな私に悪人は止められない。


 そう諦めていた。


「どうか貴方にお仕えさせて下さい」


 事実を認識した時、私は自然とそう申し出ていた。


「貴方の様になりたいのです」


 憧れた。

 私の諦めた現実を解決する、その力に。


「辛かったですわね」


 そう言いながら、その女性は私の肩に手を置いた。

 そのまま膝をついた私の頭を胸埋めてくれる。

 いい匂いがした。

 柔らかい。


「もう大丈夫ですわ。だから私に協力して下さいますわね?」


「はい。お姉様……」


 涙を流した。

 この世の神はきっと人に興味がない。

 けれど、別にそんな事はどうでも良かった。

 だって、お姉様が居るのだから。


 神の声を初めて聴いたあの時より、ずっと濃く心からの涙が出た。

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