置き去りドライブ
街を背にして、一台のスポーツカーが気持ちよく走っている。運転しているのは若く美しくも、勝ち気な性格が顔に見え隠れする女性。
「やっぱり、走るのは気持ちいいわね」
彼女の名は
このドライブに決まった目的地はない。しかし、求める条件はあった。それはスピードを出しても問題無い場所まで行く、ということ。
順子は車を速く走らせるのが好きなのだ。何故なら速度が上がれば上がるほど、考えごとや悩みごと、それら全てを置き去りに出来ると、そう彼女が思い込んでいるのである。いわゆる、逃避行動の一種と言えた。
それでいて高速道路を使わないのは、順子自身が忙しない街の匂いを嫌っていたからだった。休みの日くらいは、時間と利便性だけに縛られて道路を選ぶのではなく、自由な道の選択をしたいのだ。
そういったこだわりを持っているからこそ、本日の彼女は一般道を何とはなしに北に舵をとって、今、やっと街を脱出した所なのだった。
道路案内の看板を見つつ、なるべく車通りの少なそうな道を来たせいもあるだろうが、やはり街から離れると交通量はグッと減る。だが順子は、そこからさらに道を選び続けて、やがて自分以外の車が存在しない、真っ直ぐな道へと辿り着いたのであった。
「今日は勘が冴えてたわね。最っ高の場所だわ!」
ここなら大丈夫よね──彼女は内心、興奮しながらアクセルを踏んだ。80、90、100……メーターの針は、グングンと上昇する。
「それにしても、この前の客はムカついた。肌に合わないだの色が好みじゃないだの、あれこれ文句を言ってきて、数時間も対応させた挙句、結局は何も買わずに出ていきやがって……」
順子は苦々しく呟き、さらに車のギアを上げる。合わせてエンジン音が一旦止まり、すぐさま力強い唸り声を上げ加速した。速さの上がり具合を肌で感じて喜びながら、今日は日差しが強く視界を奪ってきて煩わしいと、助手席のグローブボックスを片手間に探ってサングラスを取り出す。しかし日差しは容赦なくカッとして、順子の目を眩ませた。
そうしてサングラスをかけて、ボックスから前に視線を戻すと、本日何度目かの道路案内標識が目に飛び込んできた。どうもこの先、三つに道が分かれているらしい。
「もう、ここからがいいとこだったのに!」
文句を言いつつも、速度を緩める。残念ながら世の理として、道が分かれればどちらに行くかを選ばなければならないのだ。
けれどこの道路案内、ちょっと変である。というか、書かれている行き先の名前が変だ。見慣れた青字に白の道で、先端は矢印。ここまではいいのだが、左の道には【結婚】、直線の矢印には【恋人】、右の矢印には【独身】と表記されている。
「あら、変わった地名ねえ。おもしろいわ。けど、どこに行きましょうか……ま、どれも知らない地名だし、このまま直進しましょうか」
そこまで深くも考えずに、順子は【恋人】の道を選んだ。車を走らせていくと、そのうち表示通りに道の分岐があって、スポーツカーは道を曲がらずに進む。
「ふふっ、それにしても恋人なんて名前、ロマンチックね。一体、どんな所なのかしら」
名前にまつわる、悲劇的な伝承がこの地にあるのかもしれない。そう、思いを馳せていると──。
「そうだね順子、僕も気になるよ」
突然、誰も乗っていなかったはずの助手席から声がかかった。驚いて横を向くと、見知らぬ男がシートに座っている。
「きゃあ!?」
順子は驚き、急ブレーキをかけた。順子も隣の男も慣性の法則に従って、前のめりになる。
「うおっと。どうしたんだい?猫でも横切ったかい?」
「そうじゃないわよ!アンタ、誰……」
そこまで言って、彼女は言葉を失った。さっきはビックリしてよく見れなかったが、この男、顔立ちがとても良い。いいや、そんなものではない。絶世の美青年、眉目秀麗の色男、息を呑むほどの好男子。これらの表現でも足りないくらい、とにかく素晴らしい男であった。
「誰って、君の恋人じゃないか」
「恋人……?」
順子には確かに恋人がいる。しかしここまで顔は良くないし、最近は関係も冷えていて、会ったのも三週間前。もちろん、今日のドライブについてきているはずがない。
そして、その恋人もどうでも良くなってしまった。目前の彼が恋人と言うなら、きっとそうなのだ。もし誰かと間違っていようとも、せめて車を運転しているこの時間だけ、彼が間違いに気づくまでの時間だけは、彼を自分のものとしたい。
これが順子でなくとも、彼を見れば、女性なら誰もが心を揺さぶられてしまうだろう。性別が違えば、世の男性は全員、彼に惚れてしまうに違いない。そう断言できてしまう存在なのだ。
「……そう、ね。そうだったわ。変なこと言ってごめんなさい」
こうして新たな恋人を迎え、順子は浮かれ気分で車を走らせることになった。
「そういえば、こんな話を聞いたことはあるかい?山奥にある家があってね、そこには二人の男が住んでいたんだけど──」
「うふふ、やだぁ、ほんと?」
男は軽妙なトークで順子を楽しませる。そのうちに順子も喋り出し、どんどん会話に花が咲く。
しかし、いくら甘いマスクに惹かれて同乗を許したとはいえ、彼女も最低限度の警戒はしていた。やはり男の正体は詐欺師か何かで、巧みな話術で相手の油断を誘い、心を許したら最期、破滅を招いてくる悪魔かもしれないのだ。
けれどいくら経っても、男は投資話や、金を貸してくれなどとは言わなかった。金銭の「き」の字も出てこない。ましてや刃物や銃器を出して、脅しや暴力に訴える雰囲気もなければ、後部座席に無造作に置いた順子の鞄には目もくれず、手も触れようともしない。
彼は順子だけしか見ていないのだ。その態度ははパートナーとの時間を大事にする、良き恋人そのもの。彼の曇りなき態度に、順子の疑念は車体を沿う風によって吹き飛ばされるのだった。
二人きりの甘い時間をしばらく過ごした後。道の先に、目につくものが出てきた。
それは道路案内標識。この先、三つに分かれると予告されたそこには、次なる不可解な行き先が書かれている。
左は【金】、真ん中は【健康】、右は【怪我】。彼女は前回と同じくスピードを下げ、少考をしはじめた。
(またおかしな地名ね。どこに行きましょう。そういえば隣の彼は、さっき恋人の道を選んだ時に現れたわ。……まさか?いいえ、そんなこと、あるわけないはず。けど、それでも……)
順子はそれに気づくと、熱っぽくなり頬が紅潮した。そして高揚のままに分岐点に辿り着くと道を重視していた元の判断基準も忘れ、欲望のまま左へとハンドルを切ったのである。
分岐路を通過してすぐ、異変は現れた。順子はいきなり、膝上に重みを感じたのである。下を向くと、銀色のアタッシュケースがいつの間にか乗っている。
彼女は車を一旦止め、震える手でケースの留め具を外した。開くと新札の香りが漂って、帯付きの万札が隙間なく並べられた内部が顕になる。ざっと見積もって一億はあるか。しかもバックミラー越しに、後部座席にも同じ銀の箱が出現しているのが見えた。全てを合わせれば、五億か六億。もしかしたら、トランクにも……。
「うそっ、こんなことって、信じられないわ!」
うわずった声で順子が叫ぶ。
「嘘じゃないさ、君が選んだから貰えたんだよ。ここはそういう道路なのさ」
横からは恋人が、甘い声で囁く。
「なんて素敵な場所なのかしら!ここへ来れた、私の運も良かったわ。こうなったら、もっと車を走らせちゃいましょう!」
順子は目を輝かせ、またエンジンをふかす。それからも何度か標識が現れ、欲しい道へ進んだ。【宝石】、【洋服】、【永遠の美貌】、【最高の美食】……。
それぞれの品に目を奪われ、驚嘆し、堪能しようとするから、車の速度は次第に落ちていった。もう今は、目に見えて遅い。
「ああ!夢のようだわ。道を選べば、望むものは何でも手に入ってしまう。このまま、この道が永遠に続けばいいのに!」
そう思わずにはいられなかった。すると、順子の願いに呼応するように、次の道路案内にはこう書かれていたのだ。
左の道の先は【元のところへ戻る】、右の道の先は【この場所にずっといる】。今回は今までとは違い、二股の道だ。
「順子、次の案内が出たよ。どうするんだい?」
隣から、優しい声がかかる。
「んもう、決まってるじゃない。こっちよ、こっち!」
順子は幸福に溺れた顔で、ハンドルを右に切った──。
街から離れた、ある村の病院。運ばれてきた患者が目を覚ましたので、医師が質問をしている。
「お気づきになられましたね。あなたは何故、ここにいるのかわかりますか?」
「いいえ……」
「では、自分のお名前は?」
「……すみません、分かりません……」
「そうですか、やはり事故で……。いいですか、これがあなたの運転免許証です。あなたの名前はここに記されている通り、井上順子と言います」
「はぁ…」
「よそ見でもしたのか、日差しにやられたのか。何にせよ、あなたはスピードを出したまま道端の木に突っ込んだんです。幸い軽症で済みましたが、事故のショックで記憶を失くしてしまったようで、今、あなたは何も思い出せないのですよ」
「そうだったんですか……。一体、わたしは記憶を、どこに置き去りにしてしまったんでしょう……」
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