想像で創造するショートショート
遠藤世作
定額制殺人サービス
カップルの甘い時間も、家出少年が目をギラつかせてたむろする時間も過ぎ去って、誰も居なくなった深夜の公園。その夜のしじまの中、私は明滅を繰り返す朧げな街灯の下、ベンチに座りうなだれていた。
夜更けのこんな場所で、スーツ姿の成人男性がこんな格好をしているのは大抵の場合、仕事で大きな失敗をしでかして絶望しているか、もしくは会社で理不尽な仕打ちをうけて、これもまた、絶望しているかだ。
私は後者だった。ある日、会社に行くと別の部屋に呼び出され、身に覚えのない横領の疑いをかけられ、問い詰められた。しかし、横領の罪自体に覚えは無いが、この罪を私になすりつけた犯人には覚えがあった。
そいつは私の直属の上司で、私が仕事で成果を上げる度に何かと突っかかってきた男だった。私が呼び出された時の、奴の憎たらしい笑みが忘れられない。きっと奴が私を嵌めたのだ。そして、私はその企みに、まんまと引っかかってしまったのだ。
状況証拠しか無かったため、なんとかクビは免れたが、私の社内での評判は地に落ちた。これまで真面目にやってきて、あともう少しで出世か、というところだったのに、あの男のせいで全てがパーだ。あぁ、憎い。あの男が憎い。それも、殺したいほど……。
「何だか、殺したい人がいるようですね」
見透かされたような言葉に、それよりも誰もいないはずの公園から聞こえた声に驚き、顔を上げ、辺りを見渡す。すると暗闇の中に、目つきの悪いやつれた男の顔が、ぼんやりと浮かんでいた。
「あぁ、驚かせたのなら申し訳ございません」
それが幻かと疑う私に気づいたのか、イヤに丁寧な言葉遣いと共に男がこちらに近づいてきた。街灯の灯りの下まで来ると、その服装が喪服であることが分かって、そのために闇の中では、彼の顔だけが浮かんで見えたのだった。
「いや、びっくりした。しかし、あなたは何者ですか。喪服を着て夜に現れるなんて、まさか、死神とでも言うんじゃないでしょうね」
男はこの言葉に、くっくっと、不気味な引き笑いを立てた。
「死神ですか。それは、言いようによるかもしれません。確かに、我々は死をもたらしますから」
「えっ、なんですって」
その異質な容姿と、全くもって冗談の雰囲気を伴っていなかった言葉に、私は寒気を感じ、心臓を掴まれた気分になった。
「そ、それはどういう意味ですか」
口の渇きを唾でどうにか湿らせて、真意を問う。聞かない方が良かったのかもしれないが、ここまでの発言を放っておくほど、私の神経は鈍さを持っていなかった。
「申し遅れました。ワタクシ、こういうものでございます」
男は仰々しい手つきで、上着の内ポケットから名刺を取り出し、差し出してきた。震える手でそれを受け取り目を向けると、そこには『全日本殺し屋協会』と記されていた。
「こ、殺し屋……」
「ええ。殺し屋、でございます」
私は男の正体に恐れ慄いたが、男はそういった反応に慣れ飽きているのか、気にもせずに会話を続けた。
「ですが、勘違いなさらないようお願いいたします。ワタクシはあなたを殺しにきたのではありません。勧誘をしにきたのであります。もし、殺すのであれば、そもそも姿を見せませんから」
そう言うとこの殺し屋はまた、くっくっと引き笑った。私は突然の出来事を飲み込めず、数秒固まっていたが、目前の男が何もしてこないのを見て、幾らかの落ち着きを取り戻した。そして、ならば彼の勧誘とは何なのかが、妙に気になりはじめたのである。
「あなたが私を殺さないのは分かりました。しかし、一体何の勧誘なのでしょう。もし私に、殺し屋にならないか、とでも言うのなら、それはお門違いもいい所です。私は今まで、そんな世界とは無縁の人間でしたから」
「ええ、それは十分に分かっております。元よりあなたを殺し屋にしよう、などとは思っておりません。勧誘というのは、あなたをどうこう、ではなく、我々を使いませんか、ということなのです」
「それは、つまり……」
「はい。いえね、殺し屋というのは置かれている環境上、人の殺意に対して敏感なのですが、どうもあなたは誰かを殺したいと思っているようでしたので、声をかけた次第なのです」
何を馬鹿な、と言えはしなかった。頭の中にちらつく、上司の顔。記憶にこびりついたあのニヤけヅラは、思い出すたびに私の神経をいらだたせた。これからの長い人生、奴の顔と与えられた屈辱は、絶対に忘れもしないだろう。けれども、怒りを忘れないというのは、同時にこの不快感を一生背負っていかなければならないことを意味する。
それは精神的に、健全とは言えなかった。こんなものを持ち続けていると、気が狂ってしまいそうだ。私はいっそ原因の大元を消し去って、スッキリと生きたい気持ちになっていた。
だが、ヤツをこの手で殺せばストレスが消える代わりに、一生を棒に振らなければならない。それは困る。そもそも、先に仕掛けられたのは私なのに、報復をすると捕まり、裁きを受けなければならないのは理不尽ではないだろうか。
ここ最近の私の心は、こういった問答ばかりを繰り返していた。なので、気持ちをどうにか落ち着けるために、今日はこの静かな公園に来ていたのだ。つまり、私はたしかに奴への殺意を持て余し、ここでうなだれていたのである。
「どうやら、図星のようですね。どうです?我々『全日本殺し屋協会』なら、確実な仕事をお約束いたしますよ」
「……はっきり言えば、ご依頼したいです。しかしですね、今、私が依頼をして、奴が殺されたりしてみなさい。警察は捜査をし、これは恨みに違いないと言って、私が疑われてしまうではありませんか」
「仰ること、至極もっともでございます。ですが、あなたは勘違いをなさっていらっしゃる。誰それが殺された、と分かってしまうのは、三流のやることなのですよ。我々一流の殺し屋は、そこに全能力を注ぎ、決して人に悟られないようにするのです。誰の目から見ても不慮の事故死だ、突然の病死だ、と、分かりやすく、なおかつ不自然さを残さずにです」
この説明に、私は感心した。ドラマや映画のように、銃撃戦や格闘を行なって毎回仕事をしていたら、すぐに足がつくだろう。彼がこうして殺し屋を名乗って未だ生きているのも、そこが優れているからに違いないのだ。
「なるほど、それはその通りだ。だけれど、私は見ての通り、只今落ちぶれの真っ只中です。あまり、お金が用意できる身ではないのですが」
「そこです。そこなのです」
金が無いという言葉が何か琴線に触れたようで、殺し屋は急に声を高めると、身をかがめて私へ顔を近づけて喋り出した。
「我が協会はそういった人こそ、殺し屋の需要があるはずだと考えているのです。世の中を数で見れば、甘い蜜を啜ってブクブクと太った金満家より、誰かに虐げられて恨みを抱く方のほうが絶対に多いはずではありませんか。ですから、我々はリーズナブルに、それでいて依頼人様が困窮から脱するまでの期間、邪魔を排除するお手伝いをしたいのであります」
「と、言いますと」
「はい、つまり我々のプランは月毎で定額をお支払いしていただければ、その間は何度でもご依頼をお受けするようにしているのです。もちろん、もう人を殺す必要がないと思えば、その月から解約して貰って構いません。また今回は一ヶ月分の料金をお支払いしていただければ、何と初回一ヶ月は無料、つまり二ヶ月殺し放題です。ちなみにお値段はこれほどで……」
男はどこからか計算機を出し、私に突きつけた。殺し放題、何と聞きなれない物騒な言葉だろうか。しかしそんなことを深く考えさせないほど、提示された金額は安かった。私は殺し屋相場を知らないためそう感じたのかもしれないが、それにしても命を奪う行為にしては、破格の値段だと思えた。
「こ、これならすぐにでもお願いしたい!」
「では、ご契約でよろしいでしょうか。……ありがとうございます。契約金はこちらの口座へ、ご依頼の連絡はここに、殺したい相手の写真と名前をお送りください。数日以内に、仕事は完了致します。では口座に入金を確認出来次第、契約完了です。二ヶ月間いつでも、ご依頼をお引き受けいたします」
男のセールストークに魅了されたのか、私の心はこのタイミングを逃してはいけないという焦燥感に支配された。気づけば言われた方法で定額殺人サービスに加入して、上司の写真と名前を送りつけていたのだ。
殺し屋の男は必死に加入する私の姿を、薄気味悪い笑みで見つめていた。そして全ての操作が終わったのを見届けると、「では」と一言残して闇へと消えていったのである。
その後、私は家路につき、高揚した気分のまま眠った。しかし翌日、目が覚めると、昨夜のやりとりは夢だったような気がして、二日も経てばその疑念すらも忘れてしまった。
だがさらにその翌日、記憶は蘇ることになる。にっくき上司が死んだのだ。話によると、会議室から出て、階段で下の階へ降りようとした時に持病の発作が起き、運悪く足を滑らせて階段を転げ落ちると、当たりどころが悪くそのまま死んでしまったという。不審な点も無かったので、警察の捜査は適当に終わり、私には事情聴取すら来なかった。
この一報は、あの夜の契約が嘘でないことを示した。僅かに存在した本当の事故である可能性も、「依頼完了」の四文字だけが打ち込まれたメールにより、丁寧に否定されたのだった。
けれどそれを知っても、私は罪の意識に苛まれはしなかった。殺しを依頼した負い目はあったが、それだけなのだ。
もしも奴が刃物で刺され死んだのならば、「さぞかし痛かっただろう」と、同情の念が出てくるだろう。しかし、殺しのサービスはそういったところも手厚く葬ってくれる。雇い主の精神に負担をかけないよう、優しくターゲットを始末するのだ。殺された本人も、殺されたとは気づいていないかもしれない。
なんと素晴らしい仕事っぷりだろう。そこらのゴロツキには土台無理な技術。しかも、それがあと二ヶ月使い放題なのだ。私は巧みなプロの手腕と、このシステムの完成度に心底感心し、またそれに出会えた自分の運命にも感謝した。
さて、復讐は果たされたが、それで人生の目標が終わったわけではない。私は失墜した社内の地位を戻し、それ以上に高めていきたいのだ。
そのために、手段を選ぶつもりはない。そう、こんな便利な物を使わない手は無いのだ。二ヶ月と言わず、何度も更新すればいい。そうすれば私の前に立ちはだかる者達は全て排除出来る……。
──数年後。私は異例のスピードで昇進を果たし、社の幹部となっていた。ここに来るまで、誰よりも努力をしたつもりだ。まぁ、私より努力をする者には消えてもらったので当然であるが。
しかし消すにも、毎回相手を死なせては、いくら事故死と言えど目立ってしまう。そのため、時には身内に不幸にあってもらいもした。そうすれば、奴らは仕事への意欲を無くし、集中力を欠いてミスをする。人によっては退社をしてくれる。我ながら上手いやり方をしていると思う。
だがこんなやり方をしながら生きていると、時々不安になることがある。それはニュースや新聞を見ている時に起こるのだが、報道されるこの世の事故全てが、定額制殺人サービスによるものではないかと思えてくるのだ。
医者に話せば誰もが、「君は何か疲れて、妄想に取りつかれているのだろう」と返す思考なのは分かっている。けれど、実際に私はサービスを利用しているし、それで死んでいった人間を何人も知っている。
それに、他にも疑念を強めさせる要素がある。それはサービスの値段設定だ。これが、安すぎるのだ。私が加入した当初から、払う金額は一定して変わっていない。つまりその金額で、全日本殺し屋協会は、このサービスを存続できるほどの利益を上げているということを意味する。
では、何故そんなに利益を上げられるのか?思い当たる理由は一つ。低価格でやっていけるくらいに、加入者が多いのだろう。一体、加入総数は何人なんだ?何十人?何百人?何千人?いいや、何十万、何百万?もしかして、この世の殆どの人が……?
考えれば考えるだけ不安になってしまう。こういう時は、無理矢理考えを切り上げてしまうに限る。
リビングで座っていた私は、食後のコーヒーを飲み干し、ニュースが流れ続けるテレビを消した。支度を整え、靴を履き、いつも通りに出勤をするのだ。おや、今日は多少急がなければ、腕時計を見ると時間がギリギリだ。電車に乗り遅れてしまう。
私は玄関のドアを開け、家を出た瞬間に小走りをしようとした。しかし、靴紐がほつれていたらしい。足を引っ掛けて、勢いをつけたまま体が前に倒れる。そこは車がスピードをつけて走る大通り。私は勢いそのまま車道に転がって──。
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