第23話 部屋の中で

 目を覚ますと、見慣れた自分の部屋だった。頭痛もなく、久しぶりに身体が軽い。台所から食欲をそそる薫りが漂ってきて、私はベッドを抜け出した。


「あれ? 片付いてる」


 足のふみ場もなく散らかっていたはずの部屋が、きちんと整えられている。不思議に思いながら扉を開けると、アランが台所に立っていた。


「アラン!?」


 叫び声を上げてから、再会したことを思い出す。アランは私の気配に気づいていたのか、驚きもせずに振り返って近づいてきた。


「体調はどうだ? 熱は下がったみたいだな」


 アランはぼんやり立っていた私の額に手を当てて、安心したように微笑む。


「要望どおり野菜スープを作ったけど、食べられそうか?」


「要望?」


 私が首を傾げると、心配そうに顔を覗き込まれた。二人で共に過ごしていた頃と変わらぬ距離なのに緊張してしまう。


「覚えてないのか? 昨日の夜、食べれそうなものはあるかって聞いたら、『アランのスープが飲みたい』って言っただろう?」


 思い出してみると、一度目を覚ましたときにそんな会話をした気がする。同時に帰ろうとするアランを無理やり引き止めたことも思い出して顔に熱が集まってきた。


「ごめんね、アラン。アランのスープ、飲みたいな」


 私はいろんな意味を込めた謝罪をした。顔を隠すように魔道具で出来たコンロに向かおうとしたが、アランに立ち塞がれる。


「用意する間に着替えてこい。着替えは椅子の上に置いてあるよ」


 記憶の中より背の伸びたアランが、私の肩に手をおいて部屋に戻るように促してくる。久しぶりの再会なのに、あの頃と変わらないアランの態度に困惑する。告白されたのは夢だったのだろうか。


「ほら、早くしろ。その格好のままじゃ、今度は風邪をひくぞ」


「でも、洗濯できてないの。服を聖女の加護で浄化するだけだから、着替えは必要ないわ」


 私は『具合が悪くて』を強調して主張した。アランにズボラなところは知られてしまっているが、一人で生活する能力がないとは思われたくない。一年以上もこの場所できちんと暮らしてきたのだ。


「だから、椅子の上にあるって言っただろう?」


「椅子の上?」


 私はアランに背中を押されて、隣りにある寝室まで戻る。いつも使っている椅子の上には、見慣れた洗濯用の籠が置いてあった。中を覗くと石鹸の良い匂いがして、投げ捨てるように入れたはずの服がきれいに畳まれていた。


「まさか、アランが洗ったの?」


「ギルドに依頼して洗濯してもらったんだよ。籠のまま渡したから中は見てないよ」


 この世界にもクリーニング屋のような場所がある。昨日のうちに依頼して今朝受け取ってきてくれたらしい。『中は見ていない』というが、床に散らばっていたはずの服も入っている。それは、つまり……


「着替えを手伝っていた頃だってあるんだ。今更、気にすることじゃないだろう?」


「き、着替え!?」


 私の視線を受けて、慌てたアランがさらにおかしなことを口にする。


「変な誤魔化し方しないでよ!」


 もちろん、孤児院でも着替えの手伝いは基本的に同性が行っている。ただ、私の世代は女児の方が多く、上着のボタンなどは義兄たちにも手伝ってもらっていた記憶はある。


『ボタンがうまくできないの』


『ジャンヌは本当に不器用だよな。留めてあげるから、こっちに来い』


 いつも私の近くにいたのは、赤茶色の髪の小さな少年で……


 あれ?


 まさか、アランに手伝ってもらっていたのだろうか。小さい頃から不器用だった私なら、弟分が釦を留めてくれていたとしても不思議ではない気がしてくる。


「とにかく、今回は緊急事態だったんだから仕方ないだろう。忘れろ」


「う、うん。そうよね」


 アランの心底困った顔を見て、私は反省した。驚きはしたが、洗濯に出してもらって助かったのも確かだ。先程入った台所もアランがきれいに掃除してくれたのだろう。


「片づけてくれたのに怒鳴ってごめんなさい。ありがとう、アラン」


「気にするな。俺も変なこと言ってごめんな」


 私が様子を伺うように見上げると、アランは陽だまりのような温かい微笑みを浮かべる。とっても安心するのに、鼓動がいつもより早くなった。


 やっぱり、私はアランが好き。


 今なら、素直に伝えられる気がした。


「アラン、二年前に焚き火の前で話したことなん……」


「あのときの話は忘れてくれ」


 アランは私の言葉を遮るように言った。


「えっ……」


 そのまま、アランはこちらを見ずに台所に戻ろうとする。気づいたときには無意識にアランの服を掴んでいた。


 私の一世一代の告白は、告げることも叶わずに失敗したらしい。アランは心配だから来てくれただけで、もう私への特別な感情はないのかもしれない。はっきり言われるのが怖くて、確認もできない。


 でも、告白される前と距離感が変わらないのも、そのためだと思えば納得だ。


「心配するな。ジャンヌが一人で不安なら、『攻略対象者』と出会ってジャンヌが幸せになるまで、俺がそばにいてやるよ」


「私は……」


 アランが好きなの。


 今、そう言ったら受け入れてくれるだろうか。困った顔をして断るアランしか想像できなくて、言葉が出てこない。


 何も言わなければ、攻略対象者と幸せになるまで側に居てくれるのだろうか。それなら、ずっとアランのそばに居ることができる。そんなズルいことを考えてしまう。


「やっぱり、本調子じゃなさそうだな」


 アランがそう言って、労るように私の頬を指で拭う。つられるように反対の頬に触れると、しっとりと涙で濡れていた。


「こんなふうに泣くジャンヌなんて始めて見たよ」


 いつの間にか、私は泣いていたらしい。アランは想像していたのと寸分違わぬ困り顔で私を抱きしめる。それは、共に育った義姉を慰めるだけのものなのだろう。そう思うと、さらに涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。


「ごめん、すぐに落ち着くから。本当にごめんなさい」


「大丈夫だよ。一人でよく頑張ったな」


 アランの声はどこまでも優しい。この包み込まれるような愛情が私の抱いている愛情ものと別の形をしていると思うと寂しかった。


 アランが泣きやまない私をどう感じたのかは分からない。ただ、落ち着くまで、ずっと抱きしめてくれていた。

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