§ 2ー7  7月1日    兆し



--神奈川県・喫茶ル・シャ・ブラン--



 赤色灯が赤く回る。最近では珍しく晴れたあかね色の夕日に混じり、繁華街の一角で、通りすがる野次馬たちの顔を順々に不気味にあかく染めている。

 そんな中、雑居ビルの2階の喫茶店から2人の20歳程度の男たちが警察官に連れられ【神奈川県警】と描かれたパトカーに乗せられる。1人は申し訳無さそうに、もう1人は周りに鋭い視線で威嚇するように。店内のお客様の対応をする店長たちを背に、匡毅と彩とほっぺをらした颯太はけたたましい赤色灯を見送っていた。




   ◆    ◆    ◆    ◆




 梅雨晴間つゆはれまの日曜。もってこいの行楽こうらく日和びよりに、家の庭先も近所の公園もTVの画面の中にも、外に気が向いてる人たちが溢れていた。陽気の良い休暇を各々過ごす一日。

 こんな日に誰も世界が終わるなど思っていない。いや、表面上にはそう見えていただけなのかもしれない。悲観的な毎日を送れるほど人は強くないのだから。



 喫茶ル・シャ・ブランは朝から客足がえずにぎわっていた。常連さんに一見いちげんさん、家族連れに観光客、若い子たちの団体客、ネットに画像をあげようと来た一人客などなど、お昼を過ぎても階段まで並ぶ列は絶えなかった。


 アイスコーヒーのオーダーが飛ぶように入り、蜜柑ちゃん考案の桃が2切れ乗ったほんのり桜色のシフォンケーキは昼過ぎには無くなってしまうほどだった。そんなこんなで久しぶりの猛烈な忙しさに時間を忘れて働き尽くし、落ち着いてきたのは夕方近くになってからだった。

 

「遅くなって悪かったね。休憩に入ってよ、匡毅くん」


「あ、はい。このオーダーあげたら入ります」


 慣れた手つきでナポリタンをいためていた玉川匡毅が店長に答える。


「匡毅〜。休憩、何食べる?」


「えー、じゃぁ、いつもの風祭スペシャルサンドとアイスコーヒーで」


「はいよ♪」


 風祭スペシャルサンドは、ハム・チーズ・ハニーレタス・タマゴにマヨネーズとマスタードを絶妙な配合で合わせたお客には言えないまかないだ。ナポリタンを仕上げると、「玉川、休憩いただきます」とサンドウィッチとアイスコーヒーをトレンチに乗せてスタッフルームに向かった。


 この日は店長・蜜柑ちゃん・瑞稀ちゃん・風祭さん・匡毅・彩、そして颯太おれの7人が店に出ていた。瑞稀ちゃんは蜜柑ちゃんが急遽きゅうきょヘルプをお願いしてシフトに入ってもらった。

 やっと落ち着いた店内でスタッフたちは、片付けられていなかったテーブルを回ったり、お冷のおかわりを提供したり、アイスコーヒーの仕込み、洗い物、紙ナプキンやポーションミルクなどの備品の補充などなど、各自仕事に当たっていた。




「ねぇねぇ、なんか6番卓のお客様たち、ちょっと心配なんだけど」


 彩が急にそう小声で話し掛けてきたのは、他のテーブルの食器を片付けていたときである。6番卓に目をやると、2人組の男で「お前さー」やら「そんなこと言ってたら……」など語気を強めて話し込んでいるのが分かった。遠目に見てたせいか、他のお客もチラチラ見ながら様子をうかがっているのが分かる。


「ちょっと注意してくるよ」


「でも、店長にまず言ったほうがいいんじゃない?」


「んー……。じゃぁ、彩は店長に報告しに行って。おれは軽く注意しに行ってくるからさ」


「わかった。颯太! 丁重ていちょうにだからね」


「わかってるって」


 片付けも途中にトレンチをその机に置き、問題の6番卓に向かう。他のお客も、やっと店員が来てくれた、という目でこちらに一瞬視線を送る。周囲の雰囲気にも気づかず2人の男たちはヒートアップしている。2人とも20歳前後の同年代だと気づく。落ち着いて近づくにつれ男たちの表情には余裕が失われていることが分かった。


「あの、お客様」


 声をかけると、2人とも怪訝けげんそうにこちらを見やる。


「すいませんが、他のお客様もいらっしゃいますので、えと、声のトーンを少し落としていただけないでしょうか」


 店長や加奈さんの対応のマネをして丁寧に注意する。思ったよりスムーズに言葉に出来たんじゃないかと自画自賛しかけた。


「すいません……でも、こいつが悪いんですよ!」


「悪いってなんだよ! お前には関係ないって言ってんだろ……」


「関係ないとか、おれは知らないとか、心配して言ってるんだろ!? このまま大学にも行かない、働きもしないでこの先どうするんだよ!」


「……うるさい! そんなのわかってるんだよ! お前におれの何が分かるんだよ! それにどうせパンドラがぶつかって地球が無くなるんだから、何しても同じなんだよ!!」


 あまりの剣幕に後退あとずさりすると、後ろに彩が店長をちょうど連れてきたところだった。


「ねぇ、どうしたの?」


 耳元でコソコソと小声で尋ねてきた彩の行為が、怒りに満ちた彼には琴線きんせんに触れたのだろう。


「お前までおれをバカにして!」


怒気どき混じりの言葉を発し、ガタンッと立ち上がる。おれでも店長でもなく、その言葉と視線は彩に向けられていた。小さな喫茶店で突如主演役者になった男は、身体の向きを彩にとらえ2m程の距離を右腕を振りかぶりながら間をつめる。


 ドゴッ! 

 

 目をそむけた彩が目を開けると、颯太が左頬を殴られてしゃがんでいた。


「颯太!」


 そう呼びかけると、男はまた彩を見る。


「邪魔するからだよ!」


 怒りが収まらない男が再度彩に殴りかかろうとするところを、颯太が急いで胴にタックルをして止める。


「なんだよ! 離せよ!」


 しがみついている颯太の背中を2度3度と叩いて暴れる。それを見ていた男の連れと店長が止めに入る。それでも怒りを発散しようと男は必死にあらがう。無理やり引きがした右腕が今度は店長に向いて振りかぶられたとき、横から出てきた腕に止められる。

 匡毅だ。野球で鍛えてきた腕力は、相手の自由を簡単に奪い、180cmの長身から目で威嚇する。


「おみゃー、なんばしとるたい!」


 匡毅は感情がたかまると方言が出る。つかんだ腕をひねり関節をきめる。「いてーよ、離せよ」とわめく男。匡毅はお構いなく、強く拘束して騒ぎは収束に向かうことになった。


 その後、不甲斐ふがいなく殴られた颯太おれへの暴力沙汰として警察に通報。取り押さえた匡毅には客からの賞賛の拍手が送られた。一方、おれは情けなくも彩に付きわれれた頬を氷水で冷やし、不名誉な勲章として、でかでかと湿布を貼られることになった。


「ごめんね、颯太。わたしのせいで……」


 その言葉は殴られたことより痛かった。謝らせたいわけじゃない。こんなことで気を遣わせたくない。正毅のように見事に事態を収められたら、彩のこんな顔を見ることもなかったのに……。情けなさとあきらめと痛みの中、そうだよな、と口元を少し緩めながらも、涙を見せないように必死にこらえていた。




 男たちが通報でけつけた警官に連れて行かれた後店内に戻ると、「颯太くん、本当に申し訳ない」と謝る店長に「気にしないでください。こちらこそしっかりと対処出来なくてすいませんでした」と笑って応える。「大丈夫ですか!?」と心配してくれる蜜柑ちゃんと瑞稀ちゃん。「災難だったなー」と笑ってくれる風祭さん。「大丈夫?」と声をかけてくれるお客さんたち。みじめになる。


「颯太ー、思いっきり殴られたけどホントに大丈夫なのか?」


 匡毅の言葉が一番しんどかった。心と逆の作り笑い。匡毅のように何も心配も不安もさせないで守れるようになりたいと思っていたのだから。


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