§ 1ー6  4月5日    明日ありと思う心の仇桜



--神奈川県・某公園--



 変わりのない日常。



 国の税率の引き上げ、殺人事件、遠い地での戦争、天体衝突……。それらは一人一人にどんな影響を及ぼしているのだろう。近視眼な生活は、遠くをぼやかしてしまうのか。



 夕暮れ時。最後になる桜の絨毯じゅうたんこうばしい焼き物の匂い。行き交う人々の笑い声。

 明日は強い雨になるという天気予報から、見納めにと公園は多くの花見客でにぎわっていた。そんな中、綺麗に咲き乱れた木の下に場所を陣取れたのは、匡毅のおかげだ。抜かりのない彼は、下見しておくと言っていた成果を発揮させたのだろう。季節の変わり目の空に月が見えるのも彼のおかげではないのかとすら錯覚してしまう。


 喫茶ル・シャ・ブランのスタッフ10人ほど集まり、お酒と出店の品々、サラダのオードブルなどなど、桜の下で解放的に味わっていた。店長が不参加なのは飲食店として仕方のないことだが残念だった。

 それでも、加奈(東海林しょうじ加奈かな)さんたち奥様陣に蜜柑ちゃんと瑞稀みずきちゃん(栢山かやま瑞稀みずき・蜜柑ちゃんの友達の17歳バイト)のミミコンビが「若いんだから、もったいないわよ〜」と指導を受けていたり、「オーバードライブ〜!」と叫ぶ風祭さん(風祭かざまつり浩一こういち)と匡毅がJOJOの話で二人の世界に入ってたりと、それぞれ勝手に楽しんでいた。



 颯太もしばらく奥様方のオモチャにされていると、ふいに彩の姿が見えないことに気づく。

 匡毅はいるし一人でどこに? と散歩に来た仔犬を見失った飼い主のようにキョロキョロ周りを見渡すが、花見客のざわつきの中には見つけられなかった。

 「ちょっとトイレ」と口実を作り、彩もトイレかもと人混みの隙間をって歩き出す。


 途中、陽キャグループのテリトリーに足を踏み入れてしまい、謎に紙コップに注がれたストロング系の缶チューハイを一気飲みさせられたが、なんとかトイレまで辿たどり着いた。が、順番待ちする長蛇の列の中には彩の姿は見つけられない。出店が並ぶ通りに速足で向かう。


「彩?」 さえずりながら人の波にもまれる。


「彩……」 鼓動が高鳴る。


「彩!」 思いが波となり揺れる。


 どうしても、何をしてても心配してしまう。彼女の心が壊れた姿を知っているから……。通りが十字に交差した場所で、必死に見渡す。


 色せた群衆の中、後ろから上着をチョンと引っ張られる。


「どうしたの? 颯太」


 あわてて振り返る。そこにはキョトンと上目遣いの彩がいた。こちらの気も知らずに、こちらの心配をしている。


「彩! はぁー……、あ、いや、ちょっと探しものしてたんだよ」


「え? 何、何? あ! たこ焼き? たこ焼きでしょー」


「え? なんでたこ焼きって決めつけるんだよ」


「だって、颯太、お祭りとか行くと、いつもたこ焼き食べてたじゃん♪」


「あー、小学生のときね。りんと3人でよく食べてたよなー」


「そうそう。ふふ♪ たこ焼き6個を2個ずつ。串が1本足んなくて凛ちゃんにあ〜んってしてあげたっけ」


 安堵あんどから気がゆるんでいた。彩とは昔の話を避けるようにしてたのに……。でも、無邪気に楽しそうな彩の顔は、どんよりした心のパレットをオレンジや黄緑の暖色系の色に変えてしまう。


「ねぇ、颯太。私もたこ焼き食べたくなっちゃった」


「は?」


「あっちに美味しそうなたこ焼き屋さんあったから、そこで買お?」


「……いいけど、どうして美味しそうって分かるんだよ?」


「匂い♪ それに食べてた人みんないい色してたし」


「イヌか! それに色って」


「ふふ。早く食べたいワン♪ 颯太、行こ行こ」


 肩の当たる距離で、2人流される。やきそば、チョコバナナ、わたあめ……どれもこれもに美味しそうと反応するその声とその表情。


 ほっとして、懐かしくなって、そして、胸がうずいた。



 懐かしいメロディの微かな鼻歌。手に持ったビニール袋。公園内の池のほとりにちょうど空いたベンチに2人で座り、出来立てほやほやのたこ焼きを2人の間に置く。容器を開け「いただきまーす♪」と早速、串を差す。


「あふっ、あつ! もぐもぐ……。うん、おいしー♪」


「あっつ! んん……。ホント、うまいな」


「へへ。やっぱり、あの屋台で当たりだったね」


 6個入りのたこ焼きを3個ずつ分け合う。桜が春風に舞う。空になった容器に串を置き、鮮やかな桜をながめながら、ふいに彩が口を開いた。


「颯太はさぁ……、どうして紗良さんと別れたの?」


「ぇ……」


「もうそろそろ時効かなって。颯太も立ち直ったみたいだし」


「時効って、おまえさぁ……はぁー、そんなの振られたオレが聞きたいよ」


「……何か振られるようなことしたんじゃないの?」


「そうなんだろうけど、全然わかんないだよな……」


「そっか……。せっかく、大学で心理学を勉強してるのにね」


「だな。それでも、いろいろ頑張ってたんだけどね」


「へぇー、例えば?」


「そうだな……。メラビアンの法則とか」


「メラビアン?」


「そう。人と人とのコミュニケーションにおいて、言語情報が7%、聴覚情報が38%、視覚情報が55%のウェイトで相手に影響を与えるという法則だよ。話しの内容よりも、声色やその具合、見えている表情や身体の動きの方がコミュニケーションにおいて大切ってことだよ」


「だから、そんなに謎に手を動かしてのね。フフフ♪」


「あっ! な、なんか意識してやってたら癖になっちゃったみたいで」


「確かにLINEより電話、電話より直接会ってお話したほうが楽しいよね」


「そうそう、そういうこと」

 

「でも、颯太の手の動き、おばちゃんっぽいよ?」


「おばちゃんって! そんなことないって」


「え! 自分で気づいてないの?」


「……マジで?」


「それが原因かも、よ?」


「はぁー、マジか〜……」


「ウソウソ♪」


「は? ウソ?」


「でも、変な動きはしてたけどね♪ 手だけアメリカン♪」


「……おーまーえーはー!」


「待って待って! デコピンはやめて〜! 颯太のメッチャ痛いんだから〜」


「からかった罰だぁー! MAXパワーでいくからなー!」


「やめてやめてー! わぁぁ!」



 パチンッ!



 舞い散る薄紅色の妖精たちと月光が、淡い過去の陽炎かげろうまねいてくれたのだろう。

 


 それは未来のない世界からの贈り物だったに違いない。


 俺と彼女に春の思い出を。


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